濡れている紫陽花に触れると指先が染まるような気がする。 お姉さん指で唇に触れる。 傘をさせば誰にもわからない
小学生2年生の夏休み、両親と四つ上の兄(小6)と北海道の祖父母の家に旅行に行った。両親が用事で先に帰り、その数日後、兄と2人で旭川空港から羽田空港まで飛行機で帰るという初めての兄妹二人旅だった。 旭川空港でおじさんおばさんに買ってもらったお土産をリュックとカバンにパンパンに詰め、従兄妹達にも見送られ、兄と私は搭乗口に向かった。客室乗務員の女性が私たちを席まで案内してくれた。 右端の席だった。窓際は兄に取られた。そして後ろの席にも小学生の兄弟二人が座っていた。(お兄ちゃんは
「たけのこご飯」 今日は先月急逝された「野菜のおじさん」の月命日だからおばさんの家を訪ねた。 なかなかおじさんが亡くなった実感がわかなかったのだけど、販売所におじさん野菜がない時に「ああ、おじさんはいないのだな」っと感じる。 少しづつわかってきた。たまに野菜が並ぶ時はおばさんが採ってきてくれたのだ。畑ではまだおじさんが植えた野菜たちが育っている。 久しぶりに会ったおばさんは前髪を切って、雰囲気が少女みたいだった。「わざわざありがとうねえ」と言った。猫のももちゃんがやっ
ここ数日、里山で野苺をたらふく食べている。といっても10粒位だけど、野生溢れるエネルギーで少しでも満たされる。 というわけで今度はヘビイチゴを探しにゆきました。ヘビイチゴは美味しくないけれど、焼酎漬けにすると痒み止めになる。蚊に刺された時にいいよ! 心の中で「へびへびへびへびへびへび」と念じながら探していたら、茂みの奥にキラリと光る赤い実を発見! 野苺かな、ヘビイチゴかな?と思って入ろうとしたその瞬間、足元をザザザザーーーーー!!?と長いものが逃げてゆく。 うん…、リ
関東は梅雨入り間近。昨晩も雨が降った。今朝は肌寒さを感じる。 最近、朝目覚めた時の想定を 「ほんとは昨日死んじゃったけど、神様に懇願して生き返らせてもらった。(死んだときの記憶は覚えていない)」 でやってみている。 そうすると、目が見えること、目覚められたこと、まだ生きていることに結構びっくりするし、喜びが溢れてくる。 「おはよう!世界!」 気分が良かったから散歩にでかける。「どのコースにしようかな」足に聞いてみた。 歩いて20分位の里山に行くことにした。坂道を
「ヒルより野苺」 森の中を散歩していると、茂みに野苺を発見!!みずみずしくてきらきらしている森のルビー。一粒口に含むと太陽と雨と五月の味がする。 茂みの奥にはもっと大粒の野苺がいくつも光ってる。取りに入りたいけれど、今日も私はサンダル、ほぼ裸足。 さっき道端でヒルに吸われたから、茂みの奥には絶対いっぱい、いずるはず。 どうしよう。。 選択肢は二つだ。 ①諦める ②ヒルに吸われてもいいから取りに行く 10秒位迷ったけど、野苺は今しか食べられないからやっぱり取
「立夏明け はだし始めの 山登り」 5月5日子供の日、立夏。近所のみんなで近所の弘法山に登った。 私はいつも通り裸足で登ったけれど、初めて裸足で山登りする人もいて、うきうきした。木苺がなっていて、食べたら甘かった。初めて木苺を食べる子供もいて、立ち合えて嬉しかった。 みんなの「初めて」。毎日が「初めて」。 頂上では「春キャベツと新じゃがの味噌バタースープ」を作った。山の上であったかいものが食べれる幸せ。 おいしものをみんなで食べると仲良くなるね。
家のすぐ隣に無人の野菜販売所がある。この10年間、野菜はほぼそこで買っている。販売所のおじさんは無農薬の野菜を育てて、毎日そこに置いていく。 10年前は私は病気療養中で、それを知ったおじさんは「この野菜食べると元気になるぞ」っと私の分を取っておいて、玄関の前に置いて行ってくれたりもした。 私は「おじさん野菜」をいっぱい食べて、元気になっていった。自分の身体の声に耳を澄まし、行動に移し、寝たり起きたりの療養生活は終わり、外で仕事ができるようになった。 私は「おじさん野菜」
今日は母(ゆうこりん)の誕生日なので、一緒に里山をお散歩した。白い帽子にジーンズのチュニックを着て、ツツジの蜜を吸う母は少女みたいだ。 「73歳だっけ?」と訊いたら「まだ72歳です」と言われた(敬語で強めにw)小さなプレゼントを渡したらにこにこしていた。 ヨモギを摘んで、ハコベを食べた。キンカンは人様のお庭のだから我慢した。外では絶対にマスクを外さない母、「息苦しい」と言いながら階段を登る姿を見つめる。 でも森の中ではマスクを外していて嬉しかった。緑の風を思う存分吸い込む
(ああ、こうしたいな) ってイメージが浮かぶんだけど そのイメージを実現させるデザインが浮かばなくて、立ち尽くしたり、縮こまったり、どうしたらいいのかわからなかった。 尊敬する人たちの講座にでても、身体に穴が開いてるみたいに大事なことばが通りぬけていく。つかめない。メモをとってはみるものの。 傍観者の時間が多くて、関われないうっぷんが溜まっていく。 (こんな自分はいやだ!) って、思った。もし小学生の私が今の私を観たらなんて思うかな。って思った。 (変わるんだ)
畑も人生も「デザイン」って大事なんだと思った。頭じゃなくて土いじりを通して、気づかされた。 去年から小さな畑を借りて、野菜を育てている。去年はどういうわけか私の畑はほとんど育たなくて隣の畑をうらやましく眺めていた。元々の土の状態や日当たりが関係しているそうだけど、私の種の巻き方や畑のお世話にも改善が必要だ。でも唯一さやえんどうはいっぱい取れた! 今年は同じ畑内の違う区画を借りた。パーマカルチャーの写真で見た渦巻のお庭に憧れていたのでイメージで作ってみた。なんちゃてスパイラ
八ヶ岳では桃が満開で、桜は咲き始めだった。私の住む神奈川より一ヶ月位季節が巻き戻されたような感じがした。 雪が輝く山並みは絵みたいで、あそこに本当に登れるなんて不思議だ。絵の中のいちぶになるのだな。私がいるこの場所も引きで見れば、絵の中だ。 滝の水はかなり冷たかったけど、清められたくて裸足で入ってみたら1分位が限界だった。水に濡れた苔がきらきらしていて頬ずりしたかった。 ムスカリが土筆みたいにいっぱい生えていた。たんぽぽはおっきい。空が高かった。静かだな。普段の生活はど
ふと気づいたら雨雲がもう頭上まできていて、「今にも降りそう」な状態。ざあっと降ってしまえば、あとはすっきりするけれど、降りそうで降らない時が一番もどかしい。 雷の音はむしろ好き。わくわくする。私には帰る家があるから。 雷が空を切り裂いていく様はいつ見ても美しくて、無責任にうっとりする。そろそろ見たいな。 余計なものへの関心がなくなってきている。からっぽの頭の中にふいに閃きが雷みたいに落ちてきたりする。 そんな時は全身がびりびりする。 そしてまた掘り起こす作業に戻る。
八重桜が満開で、どうしよう。 ソメイヨシノは落ち着いていられるけど、 八重桜はどうにも気持ちがそわそわする。 早すぎるのもあるんだけど、毎年そうなんだ。 人と同じで、花も木も種類によって、性質が違う。私も影響を受ける。 八重桜に出会うと、 ぽん ぽn ぼん ポップコーンみたいに弾ける気持ち 嬉しくて、嬉しくて 「その時期」が来て、条件が揃って、私自身も咲く 去年はこの木の下で、花びらに寄り添ってもらい泣いた 八重桜たちにずいぶん慰めてもらった。 「
「 鳥になれたら 」 空を飛ぶって どんな気分だろう 飛行機じゃなくて 自分の翼で風に乗るって どんな感じだろう 風に乗って 空を飛んでみたい 海を越えてみたい どんな景色が見えるんだろう 町は小さくなって 雲が近くなるんだ 遠くに行きたい ここはとっても noisy 外国に行っても どんなに遠くにいっても 自分からは逃れられない 自分との旅 テレビもFBも無駄口も shut down 想像力の翼があれば どこまでだって飛んでいける
「みんな頑張っている」 思うんだ。 みんなそれぞれの場所で、それぞれの事情と気持ちを抱えながら そこに立っている。 その人はきっちりその人の分量の人生を背負っていて、 私の想像も及ばない体験をこれでもかというほどしていて、 そうして今、私の目の前に立っている。 どれだけのことがあったかなんて、言わないけど、 これまでのぜんぶがその人を作り上げてる。 うちら人間って すごいな