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責任って、なんだろう?
「責任」という言葉が、ずっと嫌いだ。「これくらい当然です。私の責任ですから。」と言われると、興醒めしてしまうのはなぜだろう?ネットで「責任とは」と検索すると、“人や団体が、なすべき務めとして、自身に引き受けなければならないもの”と出てくる。しなければならない=must あるいは have to 。やっぱり好きじゃない言葉だった。
中学生くらいから「しなければならない」ことに怒りを覚えるタイプだっ
離婚は何度も「終わり」がくる。_後編_
5度目の終わりは、1年くらい前。その日はオフで、ビジネスパートナーである妹とお台場で海を見ている時だった。突然彼から届いたLINE。「報告があります。彼女がいたのだけど、もうすぐ同棲することにしました。」一瞬、血の気がひいた。なんとなく今のまま、離れて暮らす娘の父と母というポジションがずっと続くと思っていた。彼女、いたんだ。そっか、同棲、するんだ。納得したようで、全然細胞の中に染み込まなくて「そう
もっとみる離婚は何度も「終わり」がくる。_前編_
離婚は何度も終わりが来る。ある日の日記に書いた一文。腹の底からでた、魂の嘆きだった。あぁ、今度こそやっと終わり!「完了!!」と思っても、まだ終わってないぞ〜と背後からゾンビのように忍び寄る「あの感情」。そう、罪悪感と少しの後悔。そして寂しさだ。
最初に「完了」と思ったのは、いつだっただろう?確か、別居して初めて、日曜日に娘を彼に預けたとき。よし、私、ちゃんと母親として「父親」のいる生活を娘に与え
「変わった男」が好きなワケ。
昔から、ちょっと変わった男が好きだった。中学生の時に好きになったのは、いつも集団でワイワイ登下校するような人ではなく、サッカー部や野球部といった「花形部活」に所属しながらも、練習が終わると集団から離れてひとりでさっさと下校するような、ちょっとミステリアスな人だった。
高校生の頃は「目が反対についてる(サンリオのバッドばつ丸のような目をしていた」(今考えるとものすごく失礼)と周りから言われる、全く
生き方を変えるタイミング
「生き方を変えるタイミング」があるとしたら、きっと唯一、苦しいときなのだろうと思う。このままの生き方を続けていても、この先ずっとツライ感情や堂々巡りを繰り返すのだろう、となかば「絶望」に似た「底」を見ることによってしか、私たちは自分で自分の「生き方」を変えることは困難なのかもしれない。
私たちにとって最もキツいのは、空中に浮いているときだという。不安と恐怖の中で空中に漂っているとき、私たちは、苦
「生きる」ことが辛くなった君へ。
「生きる」ことが辛くなった。それはまったく突然、唐突にやってきた感情だった。この春小学校1年生になった娘を、夕方4時に学童から迎え、お風呂に入る前に「本読んで。」とせがまれていた時だった。
「お母さんなんだか、生きるの疲れちゃった。」娘を膝に乗せ、本を開いたときに無意識に口から出た言葉だった。
あ。まずい、と思ったその瞬間。娘が振り向き「しまないで!(死なないで)」と叫んだ。もうすでに、涙が
大きく人生の舵を切った、ある日曜日の話。
一体いつまで「スクラップアンドビルド」を繰り返すのだろう?と思ったのは、5月末の日曜日。zoomで仕事をしている合間の休憩時間だった。
38歳。離婚歴あり。6歳の娘と、お腹の中には未婚で産むと決めた5ヶ月の生命。ベランダの向こう側に見える風に揺れる木々を眺めながら、自らの38年間をふりかえって思った。
ある程度まで完成させると、それが「完璧に完成」する前に、壊したくなる。いつだってそうだった。
気遣いができる男、できない男。
ちょっとした気遣いができる人は、ステキだなぁと日々思う。そして同時に、この気遣いというものは、いったいどこからくるのだろう?と不思議におもしろく思うのだ。
育ちか?経験か?はたまた、意識の問題なのか・・?今こうして改めてぼーっと考えているのは、スタバである。スタバの造りといえば、コンクリートの床に、ステンレスまたは木の椅子。無意識で椅子を引くとなかなかの音が出る(笑)クエーーーっ!みたいな音の時
メディアなし生活の恩恵
38歳になってはじめて「メディアに触れない生活」というものをしてみた。というより、それは必然的にはじまった。娘がこの春、シュタイナー 教育の小学校に入学したからだ。
シュタイナー 教育の「教育方針」は色々あるが、その中でもひとつ特徴的なのが「メディアから距離を置いた生活」だと思う。特に小さいうちは大切なのだそうで、それはなぜかと言うと、内から湧き出る自由な創造力の泉を絶やさないため。
しかし我
未婚で産む、と打ち明けた後の父とのLINE
未婚で生む。
と決めたときから
母や妹にはそれを言えたものの
なぜか父には誰も言えずにいた
東京下町の長男として
特別に目をかけられて
生きてきた父
大学卒業後
就職もしないで置屋に入り浸っていたら
おばあちゃんが手切れ金を持って
やってきたというのは
なかなかインパクトのある話で
でもなんだか
やってくれるねお父さん!!と
少し誇らしかった
本とジャズと資格取得を