Break time ~ちょっとひと休み~
ここまで書いてきて、思うこと。
自分が性犯罪の被害者だということをこうして書けるようになったのは、自分がたどってきた道を直視できるようになり、受け入れられたから。
そして自分をより愛せるようになったから。
それは30年という年月を経たこともあるし、その時々で必要な人と出会えたことも大きい。
書いていくにつれ、自分の中が穏やかになっていく。
「癒されていく」というより「浄化していく」と表現した方が合っているかも。
滞っていたものが流れていく。
もともと自分の中にあったものだから、流れて消え去るというより、きれいになり戻ってくる。循環するイメージ。
自分が苦しんでいる真っ只中、自分と同じように苦しんでいたり、その先を歩いている人に出会えたらと思っていた。
自助グループもあるが数は少ないし、必ずしも通える範囲にあるとは限らない。
わたしが自分の経験を書くことは抜け落ちた記憶を整理するためでもあり、またわたしの経験を必要としている人に届いて欲しいとも心から思う。
回復のプロセスは順調ではなかったから、きれいな話は書けないけれど、自分の歩いてきた道を誇りに思う。
だからオブラートに包むようなことはしない。
性暴力は犯罪であるし、心を殺すのだ。
そこから本来の自分に戻るのは、生易しい道のりではない。
当事者にしか分からない苦しみがある。
これから先の人生「なりたい自分」と想いをめぐらした時、性被害で受けた心の傷を回復させるために費やした時間やエネルギーを、これからは自分のしたいことに費していく。
選択肢すら与えなかった自分にその価値を与え、自分の世界を広げること。
「自分の世界」それは星読みだったり、カードリーディング、詩を書くこと、好きな服を着ることetc
愛する大切な人に愛を伝えること
人生を喜びで満たしていくこと
そしてなにより、同じように辛い経験をしている人のそばにいること
「なりたい自分」になっていく。
それは遠い未来のことではなく、もうすでに自分の手の中にある。
生きる喜びを感じて、時間を重ねていく。
そんな「ただのわたし」でありたい。