父のメメント・モリ(死を想え=よりよく生きよ)
母に、
浮かんでくる父の姿は何歳くらい?と
聞いたことがある。
母にとっては
完全に寝込んでしまう前の、
ここ十年(70代後半から80代)の父が浮かぶそうだ。
私に浮かんでくる父は
私が結婚する少し前から、二男の就学前6歳くらいの姿が浮かぶ。
歳で言うと50代から60代。
若い時ほど感情で怒鳴られることも無くなって、
ある意味 対等な話が成立し
だけど頼りになり、
離れて暮らしていても常に心の支えになっていたその姿が、
父のイメージだ。
最近 不思議な感覚に包まれる時がある。
『父が死んだ』事を 認識出来ない時がある。
今の松本の住まいに来たことが数回で、
家の中に父の、直接の思い出がないことも一因かもしれないし
何年も そばに居なくても頼りにしていたし、心の支えにしていたことにも由来しているのかもしれない。
また、
死ぬと人間の考えていることまでお見通しだと何かで知った。
自分の葬式を天井の辺から見ているとか。
父は、私が今考えていることも、
ひとり思い出して涙を流していたりしている姿も、
全部見ているのかもしれない。
ただ、こちらを見えるけれど 感情はないらしい、とも何かで知った。
喜怒哀楽、感情の塊のようだった父が、
イヤミも言わず、不満も感じず、慈しみも笑顔もなく、ただそこに私を透視しているのだとするならば、ここにある物が父なのではないのかと。
例えば父に買ってもらったレギンス(スポーツタイツ)を履こうと手に取った時、父をふと思い出す。するとそのレギンスには父が宿っているのではないか。肉体がなくなった今、父の魂はあちこちに宿っているのではないか。
仏教では、四十九日までは仏様になってなくてその辺を漂っているらしい。
じゃあやっぱり在るんだ。
ちなみに この不安定な状態の時には魔物に絡めとられる危険もある。だから線香とお灯明を絶やさず(火の用心からロウソクは消すこともあるが、父には私が電池式のお灯明を探してきた)毎日お経を唱え、真言宗は七日七日毎に御霊具を二つ供えてお大師さまにもお願いし、この世に残った者が 魔物が寄りつく隙間を作らないようにする。仏事も煩わしいことと捉えられがちだが、残された者の愛からくる祈りと願いが込められたものなのだ、本来は。
犬のスイがいきなり玄関に向かって吠えたてた時も、私は私で不意に『父さんが来た?』と口にしていた。そのあとでハッと(父さん死んだし、ここは松本やし)と思いなおすのだが。
けれど、
そういう時は居るんだと思う。
父が亡くなって私の中に
母のイメージがなかったことに気づく。
私が学生で一緒に住んでいたころは
怒鳴り怒る父に歯向かうこともなく 嵐が収まるのをひたすら待っているような、
白い割烹着に抱きついて温かさを感じて安心するような、
許容無限のようなイメージをもっていた。
それは見方を返せば 存在に対して配慮しないでいた(子どもだから仕方ないのか?)、とにかく『父と母二人で一人認識』みたいな意識で見ていたことに気がついた。
父は自分のポジションを 母にあけたようにも思う。
そこに気づいた私は、母をより大事にこれから歩んでいこうと思った。
以上が私の
父の死を想う(メメント・モリ)作業です。