EGAKU@miho

こんにちは。エガクと申します。『自分がたのしいが大事』にたどり着いたアラフィフです。絵を描くこと、登山、身体づくり、スキなものにこだわるインテリアやガーデニング、日々の暮らしetcを大事にしています。

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最近の記事

連泊の家族旅行

数年前にネットで見つけた和歌山・南紀白浜のとれとれヴィレッジ でも当時は諦めたんですよねー それが今回、 夫も退職して責任の仕事もなくなり 年休を取りやすくなった! 実家での法事の後にくっつければ、遠方だが可能では? と閃き、さっそくペーパートラベル🎵 中一日フリーディを作るため、夫が休みを取れるならなおgoo👍 やーくん問題も山積していて、 これはコテージタイプでだいぶ軽減出来ますが… 見慣れぬ場所で寝られないやーくん。。 騒いだり、予測不能の行動をします。。

    • 私の、終わりの はじまり

      先日 フジ子・ヘミングさんのドキュメントを観た。 91歳だったそうだ。 (寿命かな)などと、 一時でも思った自分を恥じた。 次々にやりたいことが待っていて、復帰を待っている人がいた。 無念だったろう。 が、、 画面のフジ子さんは 自分のことがわかっていたと、 腹をくくっていた、ことを テレビを通して感じた。 元々耳に障がいのあった上に、 きこえず目も見えない、と言っていた。 主治医の計らいで病院のグランドピアノを弾く機会をつくられたが… 自分が一番わかるのだ。

      • 変わってきたモノとのつきあい方、終い方

        先日、 テレビ台を作りました。 すると、 今まで使っていたテレビ台は 不要になるわけです。 長いこと和室に置いてありましたが、これがまた場所を取る。。 12月の旅する古物商hito.toさんの定期開催『倉庫の日』に持ち込もうと考えました。 ただ、hito.toさんは戦前や昭和のシャビーな感じでまとまっていて、ホームセンターで買ったテレビ台を引き取ってくれるのだろうか… 古物商って、店毎に得意ジャンルがあるみたいだし。 でも、テレビ台としては遜色なく使えると思うのよね

        • 阪急三番街

          こんにちは♪ こんにちは〜♪ こちらは阪急三番街 こんにちは♪ こんにちは♪ ようこそおいでなさ〜い という歌が、頭から離れず幾歳月 ほぼ40年かな 高校の時通った中之島の美術予備校の時、 空いてる時間に行ってたのが阪急三番街の 地下の喫茶店で、 十八の歳に、苦いアイスコーヒーの味を 覚えたのでした。 その時以来 梅田は歩いてない。 嫁いでから一度 夫に米原まで送ってもらって徳島に帰ったら、 徳島の家族に『そこまで来たんなら寄ってけばよかったのに』(いや、じゅうぶん

          女三人旅

          2023年3月、母と姉が私の住んでいる長野に遊びに来た。 「行き先は美穂ちゃんに任せる」とのこと。 よっしゃあ 長野在住トータル25年で培いましたとっておきの、 ただの観光ツアーでは立ち寄らないディープなスポットをめぐりましょう! 初日 塩尻駅にて合流① 三澤の珈琲豆購入後 塩尻IC⇒茅野IC 五味家に挨拶 五味家をおいとまして味噌蔵でお買い物後、 茅野IC⇒長坂IC  須玉町『おいしい学校』にて昼食 ここは、明治・大正・昭和に それぞれ建築された校舎が並んで保存されて

          女三人旅

          父のメメント・モリ(死を想え=よりよく生きよ)

          母に、 浮かんでくる父の姿は何歳くらい?と 聞いたことがある。 母にとっては 完全に寝込んでしまう前の、 ここ十年(70代後半から80代)の父が浮かぶそうだ。 私に浮かんでくる父は 私が結婚する少し前から、二男の就学前6歳くらいの姿が浮かぶ。 歳で言うと50代から60代。 若い時ほど感情で怒鳴られることも無くなって、 ある意味 対等な話が成立し だけど頼りになり、 離れて暮らしていても常に心の支えになっていたその姿が、 父のイメージだ。 最近 不思議な感覚に包まれる時

          父のメメント・モリ(死を想え=よりよく生きよ)

          やっとこの感情に浸れた 

          8月。徳島の帰郷から松本に戻ったある日、フォーマルコーナーをウロウロと見に行った。 「お探しですか?」 店員さんが声をかけてきた。 ここのフォーマルコーナーって、普段ひと気がないのでセルフショッピングなのかと思っていたのだけど、 その店員さんは品よくフォーマルドレスを身にまとっていたので、専門の販売員としていたようだ。 「見てるだけですので」と牽制しつつ、「手持ちのワンピースに、ジャケットをあと買いしたら 色味や素材の違いが目立ってしまいますかね~」 というような質問を

          やっとこの感情に浸れた 

          夜中に爪は切らなかったのになぁ

          着信に気がついたのは  マナーモードにしていてしばらく経ったあとの 徳島駅行き高速バスが三原にさしかかった辺りだった。 あと1時間で到着するし、そのままにしようかとも迷ったが (あ そうだ、トイレがある)と気がついて 個室に入って 発信ボタンを押した。 たぶん母は、私に電話をかけるまでの時間で 悲しみに浸り お別れを出来たのだろう、事務的に「あのな、お父さん亡くなったんよ、ほなけん・・・」とすぐその後の行動を指示して電話を切った。 茫然と座席に戻る。 親の死に目に会え

          夜中に爪は切らなかったのになぁ

          答えはひとつじゃない。山に登る理由だって

          三股からの常念岳コースには、 果たしたい夢がある。 それは 三股の分岐から、 『堀金村』と書いてある柱の間の急登の抜け方だ。 ちなみに地図のコースタイムは3時間30分。 この間は、 よく整備された登山道で迷うなどの危険はない。 景色は同じような樹林帯で  アキレス腱が常に引っ張られるような斜度や  道のつづら折りの繰り返しも 同じような道が 標高差900m  延々と続く。 いつもここで集中力が途絶え ぐだぐだの登りになってしまっていたのだ。 ぐだぐだになる原因を考えてみた

          答えはひとつじゃない。山に登る理由だって

          この夏の、父と私とお大師さん

          「美穂ちゃんを美穂ちゃんとわかるうちに、徳島に帰って来れんだろうか」 そんな電話が母からかかり、私は当初の予定をすべて書きかえて帰郷の支度をした。 徳島が一年で最も混む時期であったが交通機関の予約もすべりこみで取れて、三年ぶりの帰郷となった。 父は、 柔道で鍛えた体躯と  独学でグレの磯釣りで頂点に立ったセンスの持ち主で、 祖父から継いだ身内を大事にしていたので、盆暮れの集まりは それは賑やかだった。 また、意に沿わぬものは怒号でその場を収めてしまうようなカミナリ親父でも

          この夏の、父と私とお大師さん

          育鉄

          知り合いの若者が事業をおこし 頑張っています。 https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Foutdoor-brown-color.com%2F%3Ffbclid%3DIwAR1FqTuwMS0v3BVZtrYyBC7NLkGNJ8SPDyAgVgPRJGw2LqvgITKPr_MAxh0&h=AT2u5p8lOAPPnI6HfOMnsCh2YAXTvLX9SGKAD6INq6UykBrXgdNXR505stGBu8E6bKVln

          つねづね張っておいたアンテナでキャッチしていた言葉に救われた話し

          今思えば… 事の発端は、生ごみコンポストバケツを ノアの車内で倒したところから始まったのだ。 こまめに第二コムハウス製のボカシをふりかけていたので キッチンに置いておいても臭わなかったが、 汁は別物だった。。 最近は農具も運ぶのでピクニックシートを敷いていたのに、ブレーキで倒れて運悪く シートの端を越えてノアの床に汁は吸い込まれていった。 五月晴れの心地よい気温の室内では 吐瀉物に似た臭いが蔓延して耐えられず、 直帰してゴシゴシ拭いたが取れるはずもなく。。 覚悟を決め

          つねづね張っておいたアンテナでキャッチしていた言葉に救われた話し

          夢は不意に実現する

          GWもあと週末の土日を残すのみ となり、 『どう過ごす?予定は?』 と、夫に聞いてみた。 『日曜日は仕事に備えて疲れを残さないような過ごし方をする 今日の土曜日は、スカッと天気も良いし、いつもと違うお出かけをしたい気分になってきた。 どこか行きたいところはある?』 と聞かれて(そうねえ、日帰りで夫の趣味に合って、やーくん連れて行けて… って何処がいいかな?) と頭をクルクル回転させていた沈黙の間 その沈黙を破ったのは夫だった。 夫の方から『この前のところは?』 と提案

          夢は不意に実現する

          そうか、君はもういないのか

          朝 目覚めて 一階のカーテンを開ける 庭に 一昨日のバーベキューのあと おろしたてのサンダル 蚊取り線香ホルダー うっすら頭の中で 四人分の朝ごはんの算段をしていたが、 いつもの三人分なら あれとあれで済むな そう訂正した途端に えもいわれぬポッカリというような、 空虚な感情におそわれた。 そうか、 もう居ないんだ 昨日の夕方、二男のジョンくんは 東京に戻って行った。 そういえば この感覚、ついひと月前にも覆われた。 おじいちゃん(義父)がいつものように夕食前にお風

          そうか、君はもういないのか

          あなたのいない世界を こうして心を整えてゆく

          いつものように過ごしていて 夕飯の前にお風呂に入りに行ったのだが あまりに遅い、、と 様子を見に行ったそうだ。 その日 息子家族である私たちは ウォーキング後の  入浴後の  買い物後で、 ずっと運転していた夫が 帰宅してから着信に気がついた。 義父が亡くなっていた。 夫は狼狽した様子のまま 病院へと車を跳ばして行った。 その日は帰ってこなかった。 実はその一週間前 息子やーくんの作業所が休業だったこともあり 思いたって長野より一足早い山梨の桜を見に行き、帰りに 義父

          あなたのいない世界を こうして心を整えてゆく

          不運と絶望 からの 冷静と無キズ

          その時その時に、 万全を期して準備してきたはずだった。 スキー場でのお仕事に申し込み 日程に合わせて息子のショートステイを予約し 作業所後の支援を取れた日には、 スキーの自己練習をしてきた。 今回は、 スクールの進め方を見学するため、 スキー場に向かった。 アクセス道路も、 いつもきれいに除雪されているし  心配はない。 今年の冬らしい冬。 朝から街は雨が降っていた。 (スキー場は雪かな)くらいのことは考えたかな。 人工雪のスキー場が、コース以外まで雪景色になっている!と

          不運と絶望 からの 冷静と無キズ