病との向き合い方を自分でデザインすること
母の誕生日に
〜あなたの最愛の娘が癌を告知されてからの今日までとこれから〜
11月8日、今日は、私を産み、大切に育ててくれた最愛の母の誕生日。
小さな頃から、私が消えてしまいそうなくらい細い糸を心の中でピンと張って何かに挑戦しようとするとき、必ず「美穂ならできるよ」と言ってくれた母。
幼い私は、その言葉を信じて、その言葉から愛と勇気をもらって、その言葉を自分のためにも母のためにも「本当」にしたくて、途中どんなに失敗してもかっこ悪くてもできるまで挑戦し続けられたように思います。
大人になって、向き合わせてもらう子どもたち、生徒たち、自分の大切な人たちに「あなたならできるよ」ってその人以上にその言葉を信じて、応援したり一緒に挑戦したいって心から思うのも母の影響だなあとあらためて感じています。
最近は、何かの挑戦を母に共有することはめっきり少なくなったけれど、今日からまた新しい挑戦をしてみたいと思い、それを最愛の母の誕生日にしてみることにしました。
お母さん、私、やってみるよ(^-^)v
そう、今日の私の新しい挑戦は、ここ数年の自分の「癌と向き合った体験」をみなさんに共有することです!
タイトルは
病との向き合い方を自分でデザインすること
です。
「私の経験が誰かの役にたつ?」
と、実はずーーーっとためらっていました。
とてもセンシティブなテーマで、初期の癌を経験した私よりずっとずっと大変な経験をされた方の方が圧倒的に多いことは明らか。だから、こんな私の話はわざわざ公開しなくていい。ずっとそう思っていました。
ですが、ふと、万一、一人でも誰かのお役に立てる可能性があるなら、そして心配してくれていたであろう母や父そして姉弟の心を少しでも軽くできるなら、また、誰より何よりずっとずっと支えて一緒に歩んできてくれた夫、信じられないくらいたくさんたくさんサポートしてくれた義父母、どんなときも私を世界一価値ある人間として扱ってくれた娘、その他お世話になった人たち、このことを伝えられてはいなかったけれど支えられていた人たちへの感謝を残せるならと思いなおし、勇気を振り絞って書き残すことにしました。
そして、公開し始める日を、母の誕生日である今日に選びました。
という前置きを踏まえて、今日から少しずつ綴っていく私の体験記を読んでくださる方、どうぞよろしくお願いします。
癌をみつけてもらった
すでにお仕事の関係などでお知らせした方々、他のSNSの投稿からなんとなく感じていた方もいらっしゃるかもしれませんが、
ちょうど今から3年とちょっと前、乳がんに罹患していることがわかりました。もともと検診でひっかかっていて経過観察だったため、娘の授乳が終わったタイミングですぐ検診に行ったところ、いつもひっかかっている方と逆の胸に初期の癌をみつけてもらいました。
(*手術も治療もそれから数ヶ月で終わり、今は幸運なことに問題なくとても元気に過ごさせてもらっています。)
当時、まだ私の娘は1歳でした。
何がどうなってしまうんだろうと思いながらも、わりと冷静にことを受け止めていました。
そして、検査の結果、癌だったと教えてくださった先生の目の前で、
「『えっ!先生、私、癌なんですか!?がーーーん、、、』ってシャレみたいなことを言ったら不謹慎なんだろうか。でも私自身のことだから不謹慎ってことはないか。。」
なぜかそんなことを考えていました。
そして、手術をした方が良さそうだという先生に、
「では、一番早い日を予約させてください!」
とその場で手術を予約をし
「先生、やるべきこと、てきぱきしっかりやっていこうと思うので、どうぞよろしくお願いします!!」と伝えて病室を出てきました。
医学の進歩に感謝だなーーーという思いとともに。
私なりの向き合い方
私は、自分が癌だとわかった時、上記の「えっ!先生、私、癌なんですか!?がーーーん、、、」って言ったら…のくだりのシャレをぼんやり考えた後、むくむく湧いてくる気持ちがあったことをはっきり覚えています。
それは、
『これが起きたことを、少しでも良いことに変えていきたい!』
ということでした。
「美穂さん、前向きすぎます!」
と、のちに話した生徒たちに言われましたが、私の中では「前向き」とか「後ろ向き」とかそんなことは考えておらず、
もはや反射という感じでした。
とはいえ、ステージがたとえ I であろうが、「癌」という言葉が重く自分にのしかかっているのもわかりました。
癌の素人だったので(当たり前ですが)自分の余命があとどれくらいなのか、どれくらいの時間が残されているのかということも同時に気になりました。
それでも、その不安な気持ち以上に
「これが起こったことを絶対に良いことにも繋げたい!」
そう強く思ったことを覚えています。
なんというか、決意というか、執念に近い思いだったようにも思います。
これはやはり、母であるあなたと、パートナーである夫の瑞人、そして娘を含む子どもたち、生徒たちのおかげだと思っています。
幼い頃から、「転んでもただでは起きるな」「苦労は買ってでもしろ」「困難はチャンスだ」と言い続けてくれた母、
さらに科学的にその意味や価値を示してくれるだけでなく日々それを確認し合ってくれたパートナーの夫、
現場で見事に問題を幸せに繋げて行っている子どもたちや学生たちをみてきたことがとてもとても大きかったです。
だからこそ、治療もちゃんとするけれど、良いことに繋げる活動も同時にしたい!と強く思い、
それが自分の心を元気にしてくれていることも感じました。
決めたこと
もちろん、そこから色んな思いや葛藤、出来事がありました。
(それも少しずつ記していけたらと思っています)
そして、私は、この癌と治療との向き合い方を自分なりに決めました。
それは、
自分のエネルギー100%のうち
20%は
「癌を病として」向き合いしっかり治療し、
残りの80%は
「癌を新しい可能性の扉として」向き合い良いことに繋げていく
ということです。
なんだかとても自分らしい文言と比率だなあと感じます。
そして、この決め事をスムーズに進めるために、今自分に起こっていることは、基本治療が終わるまでは公表せずに過ごすということも決めました。
(この決めごとをするまでの流れや珍道中、私にとっての意味などもまたゆっくり綴らせてください)
そこから約3年の月日が流れました。
(ここもまたゆっくりと)
もちろん、時に辛いこともあったと思いますが、家族を中心としたあたたかい人たちに支えられながら、この経験がなければできなかったたくさんの宝物を得ることができました。そして、その宝探しはこれからも続くのだと思います。
私は、自分で自分の特性に向き合い、自分なりの病との向き合い方をデザインできたことで、不安や痛みや心配に支配される時間より、ずっと多くの幸せでワクワクな時間を過ごすことができたように感じています。
どんな境遇に置かれても幸せを見つけられる人間になりたい
母の誕生日である今日、私が自分のこの体験を綴り始めた大きな理由は、
治療中のほとんどの時間、コロナ禍で会えなかった母に、
「あなたが育ててくれたおかげで、こんなことがあったけれど、周りの人に支えられながら、辛さよりずっと大きな幸せを抱えながら過ごせていたんだよ!」
そう胸を張って伝えたい気持ちが大きいからかもしれません。
(当然これらのことは、前述の通り、私の癌が初期であったこと、私のかかった乳がんが治療法も確立していて初期で見つけることができればかなりの確率で完治もできる、といった事実があることも要因であると思います。そういうの全て含めて、母には「心配しないでね!」と言いたいです。)
とはいえ、もちろん、これからの人生もまだ何が起こるかわかりません。
何が起きても、今回のように自分で向き合い方や自分の心をデザインすること、幸せを見つける努力は楽しみながら続けていけたらなあと思っています。
支えてくれる夫をはじめとした家族、友人、生徒たち、亀田総合病院と先生たちにあらためて感謝の嵐です。
自分の命の時間は誰にもわからないけれど、この感謝と経験を活かして生きていきたい、生きていく!そう決めています。
ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。
手術や治療について、良いことに繋げる活動について、とはいえ落ち込んだ日について、家族や娘にどんなふうに伝えたかについてなどなど、まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、これからゆっくり記していけたらと思っています。
2023年11月8日、大好きな母へ愛を込めて
美穂より