新卒がスタートアップで学んだこと #私とランサーズ
ランサーズの上場を機にかつて一緒に働いた懐かしい諸先輩方にお会いした。その場で是非書いてみてよ、と誘っていただきこのリレーブログに参加させていただくことになった。
▼バックナンバーはこちら
・01やましゅー「ベンチャー、ランサーズ、僕」
・02みのぐち「嵐の中を突き進む力」
・03さかえだ「「戦友」という存在を得た場所 」
・04ザック「RUNサーズ」
・05ぬまぬー「人生を切り開く言霊 〜上司にもらった本気の言葉〜 」
・06よしの「株式会社リートだった、ランサーズの「あの頃」」
・07とがし「誰もが新しい働き方を創る同志だった」
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しかし、お酒のノリで書くって言ったけどどうしよう。みんなのエントリ、すごくエモい。私、そんな熱いキャラに見られてないしなー。何書こうかなー。
とりあえず、新卒一期生(なのかな?)として、ランサーズというスタートアップを駆け抜けた思い出話を綴ろうと思う。文才はないのであしからず。
ランサーズとの出会い
大学4年の夏、内定を頂いた会社への就職に納得できず、まだ就活をつづけていた。スーツをきて面接を受け続ける毎日に飽き、息抜きがてら当時気になっていたwebサービスのインターンに応募した。それがランサーズだった。
まだ渋谷に移転してから1ヶ月ほどしか経っていない頃のこと。当時のオフィス(通称7階)は100坪もないくらいのサイズだったはずだけど、まだガランとしていた。
入社初日はカスタマーサポートチームの島からハワイアンぽい音楽が流れていてベンチャーすげーってなり、ウェルカムランチで社長である秋好さんが、「オレ、サラダしか食べないんだよね」的なことを言ってベンチャー社長すげーってなり。 いわゆるお上りさんな私は何もかもが刺激的だった。
忘れもしない2013年10月1日、初めて秋好さんと飲みに行って、『大学を卒業しても一緒に働かないか』と誘っていただいた。世間一般は内定式の真っ只中。やっと私も就職先が決まったー!と安堵した記憶がある。
しかし、当時はITスタートアップがどんなものなのかなんて全然分かってなかった。ましてやそこから激動の日々がはじまるなんて一ミリも思っていなかった。ほんとに呑気なものだ。
地獄のような日々
時を前後して私は47都道府県を行脚する広報イベントの担当を任されていた。全国各地のフリーランスの方やコワーキングスペースの運営者との関わりを深めるイベントで毎週末のように開催していた。
これは本当に辛かった。平日はイベント準備、土日はイベント開催、振休は卒論。体力的にもきついのだが、それよりも精神的にきつかった。
イベントのコンテンツは薄いし当時まだランサーズの知名度も高くなくてどの地域のイベントも全然盛り上がらなかった。盛り上がるコンテンツを考え、短期間で集客しながら開催場所や宿泊先の手配などのオペレーションを回す。それをずっと繰り返し続ける。うまくいかないしやりたくない。やだやだやだ。ずっとそう思っていた。ただ責任感だけでやり続けていた。
あるイベントの休憩時間、お手洗いに行って鏡をみた。一筋光る長い線が見えた。
白髪だった。その頃はまだ女子大生なわけで、色々多感なお年頃なわけで。ショックすぎてその場で涙が止まらなくなった。
ひとしきり泣いた後、何食わぬ顔でイベントに戻った。泣いたことを当時の上司(伝説のY口さん)にバレることが悔しかった。なによりも上手く仕事ができていない自分に対して悔しかった。
猛烈に熱くドロドロした感情が生まれ、そこからひたすら仕事に打ち込んだ。ここから約1年間は悔しさだけをバネに仕事をする地獄のような日々だった。しかも悔しさは一切人にみせたくなかった。ダサいと思っていた。だから周りからは冷めた人間のように思われていただろう。
現にA立さんはあの時のわたしのことを『なんでもそつなくこなすロボットみたいだった』と言っている。
青木さん、やれば?
2014年、私は新卒としてランサーズに入社した。そして広報から事業開発に異動し、コンテンツ作成のディレクターになる。毎日納品管理と帳票管理に追われ、馬車馬のように働いていた。今思えば私は忙しい、という事で自分を満足させていた節があり、売上ベースでみるとさほど組織貢献できていなかったように思う。
転機が訪れたのは2015年3月。チームが大きくなってきたので細分化しようと言う話になった。2チームにして私はどちらかのチームに配属される予定だったのだが、ミーティングでA立さんが言ったのだ『青木さん、やれば?』と。
その一言で3チーム目として私がリーダーのチームができ、ほぼ同時に初めてメイン担当として大型案件を任された。
この時に世界が大きく変わった。
初めて明確に目標ができ、それについてきてくれるチームのメンバーができたのだ。今までも目標はあったはずだし一人で仕事をしていたわけではない。でも『自分の』という感じは一切なかった。自分のチーム、自分の目標にワクワクした記憶がある。
この時、私にチャンスを与えてくださったA立さんには感謝しているし、それを歓迎してくださったK藤さん、N村さん、S田さんにもお礼を言いたい。
▽2015年の春に9階にお引越し
超達成会
2015年。うまく表現できるだけの語彙力がないのだが、この年のLancers for Business(現 Lancers Outsourcing)はとにかくすごかった。毎月大幅達成を繰り返し、ランサーズの成長を牽引していた。
9階の本社オフィスの真っ青な壁に毎日ヨミ数字を書いて朝会をする。どこかのチームで進捗が悪いと別のチームがフォローする。夜な夜なリーダー達が何となく雑談を仕掛けあって愚痴ったり慰めあったりして支え合う。そして毎月の目標が達成すると全員が安堵感と充実感で満たされた。
ある時超がつくほど達成が続いているので超達成会をやろうという話になった。内輪で盛り上がるような女装大会を仕込んだりして大盛況におわった。
あの日の写真は酷すぎるのでここではあげられないのだがみんなの顔が本当にキラキラしている。(そして若い)
この時に仕事は青春であり、最高に楽しくて最高に熱中できる遊びだと知った。
2015年は本当に会社全体がFEVERタイムみたいな感じで、奄美大島に合宿にいったりもした。多分辛いこともたくさんあったと思うのだが全く覚えていない。
失敗
沢山の方々のおかげで数えきれないほどの成功体験を積ませていただいたがそれと同じかそれ以上の失敗体験も積んできた。
小さいベンチャーだったわけだから私の失敗で数字に穴が空くことだってあったし、クライアントさんにいいものを納品できずご迷惑をかけたことだってあった。ランサーさんにお叱りをうけたり、メンバーに大泣きされたりしたこともあった。
その度に泣いた。会社のいたるところで。泣くプロになっていたので多分誰も知らないと思うけど(とか言ってバレてたら恥ずかしいのだが)、週一ペースで泣いていた。疲れて、悲しくて、自信をなくして、、、。ネガティブな感情が生まれるその度にトイレや非常階段や喫煙所で涙を流した。
5分くらい泣くと満足する。そして悔しくなる。インターンの時の熱くドロドロした感情ーーなんて比べ物にならない。泣いた後はもう何も怖くないのでなんでも決断できたし熱量高く動くことができた。そしてたいていのことは乗り越えられた。
『仕事のストレスは仕事でしか解消できない』N岸さんが言っていた言葉は本当にその通りだと思う。
人間力
2016年、だんだんと組織も整い、私は新卒3年目を迎えていた。お局だね、と言われはじめていた頃、目の前の仕事に若干飽き始めていた。マネジメント力を磨いてチームをもっと大きくしたい、そう思うようになっていた。
ある日、久しぶりにN村さんと往訪に行った。 新宿近辺の巨大迷路みたいな地下通路を歩きながら『青木さんさ、人間力鍛えないとね、点じゃなくて線にしていかないと』と言われた。N村さんにはまじで言われたくない。(本当に生意気ですいませんw)
そこから人間力について考える迷路にはまってしまった。当時わたしの中で課題認識していた部分であったことは確かだった。
私のチームには年齢問わず『部下』と呼ばれるメンバーが付いてくれていて、『上司』として成長を導かねばならないと思っていた。10人いれば10通りの悩みがある中で25歳の小娘にできることなんかタカがしれている。私のチームに入ったことで本来得られるはずだった学びを得られず成長できなかったらどうしよう、、、。
ただ怖かった。
程なくして、『リーダーから下ろしてください』と伝えた。あの時そんな申し出をするなんて本当にめんどくさかったと思うが『いい決断だね』とN村さんは言ってくれた。
リーダーを下りたことで逆に周りを俯瞰して見る余裕ができ、いままでの一つ一つの経験と結びつけながら抽象度高く整理することができた。この期間は必要な時間だったなと思っている。わがままを許してくれたN村さん、みなさん、ありがとうございました。
余談だが、リーダーから下ろしてください、と言ったとき、N村さんは私にこう言った。
『3ヶ月後、”やっぱりリーダーに戻ってほしい”なんてことを青木さんに言わなくても済むように、俺も頑張るからさ。』と。
2ヶ月後の人事異動で私はリーダーに戻っていた。ここは私の名誉のために言うが戻してほしいと頼んだ覚えはない。やっぱりN村さんはN村さんだ。
ケバブときたちゅう
2017年、ランサーズはクオントという子会社をつくった。クオントのメンバーとして私は子会社出向することになった。一メンバーとして会社を作る、ビジネスを立ち上げるって本当に大変なんだなとこの時身を以て知った。
大変なことも楽しいこともたくさんあったのだが、クオントの話をしようと思って一番最初に思い付いたのはなぜか『ケバブときたちゅう』である。
クオント設立と同時に子会社メンバーは渋谷ヒカリエの隣のビルのサテライトオフィス(通称Lab)に引っ越した。駅からのアクセスも良いし、宮益坂も近くて、なんといってもヒカリエまで徒歩10秒くらいで着く。
ランチだっていろんなところに行き放題!なのだが、だれもがみんな揃いも揃って『ケバブ』と『きたちゅう』を愛用していた。
ランチのピークタイムを過ぎたころ、ひとしきり仕事をして休憩に入ろうとするメンバーが次々とオフィスを出る。誘い合わなくても行先は一緒。徒歩1分で着くケバブ屋さんにケバブを買いに行くのだ。お店に行く道すがら別のメンバーにあったりするのだが、ほとんどの場合そのメンバーもケバブの入ったビニール袋を下げていたりする。
たまには会社の外で食べようかな、と思った時はきたちゅうの出番。徒歩50秒くらいで着く中華料理屋さんに行ってサクッと食べて帰ってくる。(ちなみに、きたちゅうの由来は汚い中華屋さんの略である。そんなに汚くはない、失礼すぎるw)
ゆっくりランチをとれないほど忙しかったのか、はたまたただの出不精だったのかは謎だが、いまでも懐かしい思い出の一つになっていることは確かである。
戦友
榮田さんの言葉を借りるならば戦友と呼べる存在ができたのもランサーズであった。数えきれないほどのエピソードがあるので、3人だけピックアップしよう。
W辺さん
普段、彼のことをW辺さんなんて呼ばないのだが、イニシャルトークにすると表現が難しいので、あえてこう呼ぶ。
彼はたしか私より6つ年上なのだが、全く年上感がない。そして全く思考が理解ができない。
初めて彼のお客さんへの営業に同行した日のこと、到着してすぐ、いきなりお客さんからお叱りを受けた。私はまだ一言も発していないのに。とにかく彼はお客さんに対する発言が失礼、しかも何言ってるかよくわからない。そりゃ、私がお客さんでも怒る。しかもその帰り道全く反省の色がなく、プライベートな話をひたすら楽しそうにしていた。理解できない。
だからこそ私と合うかもしれないな、と思って当時の上司にW辺さんを私のチームにください、とお願いした。
彼は全くわからない人だが、たいてい私が苦手なことを実行でき、考えつかないことを考えられる人だった。そしてタフ。年末ギリギリまで二人でアホみたいな話をしながら何千記事という記事の検品をしたこともある。
彼とはその後3ヶ月間同じチームで仕事をし、圧倒的な成果を残して彼は別のチームに行った。そして私よりも早くマネージャーになり、また半年弱ほど一緒に仕事をして転職していった。一緒に仕事をした期間は全部合わせて1年もない。(ちなみに彼は言語表現はあまり得意ではないので名言なども特にないし、思い出は大体ふざけた内容である。)
でも、ランサーズのことを思い返すとき、また一緒に仕事をしたいなと思うのは、なぜか彼である。
Nちゃん
ある日、会社に行ったらヤンキーみたいなやつがいた。それがNちゃんだった。
金髪でシルバーリングを付けて刺繍が入った派手なスカジャンみたいな服を着て会社にきていた。(ランサーズは自由な風土ですが、このような人は歴代でみてもA澤さんとNちゃんくらいです)これまた意味がわからなかった。
しかし、彼の仕事ぶりはいたってまじめ。彼はとにもかくにも愚直、そして不器用だ。話すと粋がったことを言うのだが、googleスプレッドシートで作った管理表をいじりながら納品管理を黙々とやってくれた。
彼とは2年ほど一緒に仕事をしているし、そもそも私と彼はタメである。でも仕事中はずっと敬語で、青木さんと呼ばれていた。(ちなみに今は私のことを”青木”か、ふざけて”美保”と呼ぶ)
彼は私を『上司』として見てくれていたし、必死に私のいうことを咀嚼しようとしてくれていた。でもうまくいかないことのほうが多かった。彼は飄々としているから、私が言ったことが本当に響いているのかどうかもわからなかった。
あるとき、『青木さんみたいに仕事できない』と言われた。ハッとした。
私は彼を尊敬し、信頼していた。でも信頼しているがゆえ、もっとできるようになってほしい、もっと活躍してほしいという私の望みを一方的に押し付けてしまっていたのだ。尊敬していること、信頼していることをちゃんと伝えたうえでコミュニケーションができていただろうか。
ごめんね、と思いながら、私はなんて答えたのか覚えていない。
でも今は彼に助けてもらうことが多いし、転職先で大活躍しているようだし、なんならちゃんと子供の面倒も見る超イケパパになっている。今は私が説教されることのほうが多いので、お互い様だと思いたい。
Kちゃん
彼もまたタメなのだがすごいやつだ。そしておそらくもっとも戦友感があるのだが、如何せん守秘義務的にここにかけないエピソードが多いのが残念である。
彼は2018年のはじめ、事業企画にいたときに一緒に仕事をした。A立さんに『Kちゃーん!これどうなってんの?!』といつもの声で呼ばれ、H井さんに『Kちゃん、あの資料つくってよ、なるはやで!』と言われ、明らかに私では作れない量の資料が溜まっていくのだが、『だいたいこんなもんやろ』といいながらKちゃんはサクサクつくっていく。
資料を見ると腹落ちするのだが、なぜその思考に至ったのか、全くわからない。説明されてもなんでその絵になるのか理解できない。こいつはすごい、と思った。
毎週のように、何なら毎日のようにA立さんは新しい企画を持ってくる。それをA立さんの中でもまだ固まり切ってないところで口頭できいて、それを資料におこしたり体制を作ったりする。
知っている人はわかると思うが、それを続けるのはかなり大変である。楽しさ半分つらさ半分だった。それはきっとKちゃんも一緒だ。それを共有できたという意味で戦友だなと感じる。(ふたりともボロボロになったけど。)
なんであの時続けられたのだろうかと考えると、Kちゃんの無邪気さに救われたのだと思う。彼は嫌いなものは心底嫌う。でもすごいと思ったものは何度でも全力ですごい!と言う。彼は仕組みづくりやオペレーションが嫌いだったから、私が少しオペレーション設計をしたりすると全力で感動してくれた。お互いに褒めあって支えあっていた。
クオントがGREEに譲渡されると知った時、Kちゃんに『譲渡されるらしいね』と言った。当然一緒に行くと思ったのだ。
『あー、そうらしいなー。まあでも俺は行かんと思うわ。』といつもの声色で彼はいった。これから新しい未来が拓けると、わくわくしていた私は一瞬で悲しい気持ちになって、次の一瞬でもう甘えられないな、と思った。
今、彼は新しいことにどんどんチャレンジしている。その姿をみて、負けてられないなと自分を鼓舞するのだ。
同期=同志
さて、ここまで一切触れてこなかったが、わたしには同期が二人いる。職種も違ったし考え方も全く違うメンバーだった。
二人はユーザー思考とプロダクト思考、時々ビジネス思考という配分でよくWEBサービスの話とかをしている。私はもっとウエットな人間くさい話が好きだ。それでも今もたまに集まって飲んだりするし一緒に旅行行ったりもした。ものすごく盛り上がるわけではないけど居心地は悪くない。
ある時秋好さんとタクシーで一緒になることがあって新卒教育について話したことがあった。その時『ほぼ同じくらいのスペックである新卒を同じ土俵で少人数で戦わせると心折れちゃったりするから難しいし、もったいないよねー』と言っていた。納得感があった。
私たち新卒一期生は最初から全員違う土俵でそれぞれ違う形でランサーズのために働いていた。根底の想いはあまり変わらない。でも戦いが違う。だからこそ長く続けられてきた関係なのかもしれないなと思っている。
彼らはライバルでも戦友でもないんだけれど、それでも大切な同志だ。
▽若かりし頃
バイバイ、渋谷
2018年初夏、クオントはGREEグループに入り、オフィスを六本木に移すことになった。いま、事業買収の仕事をしているからこそ思うが、会社設立1年でGREEという大きな会社に事業を買ってもらえるようになるというのは結構すごいことである。
慣れ親しんだ渋谷を離れる前に、お世話になった先輩方とランチに行かせてもらった。しんみりするかな、と思ったが、全くと言っていいほどしなかった。別にこのタイミングで話すようなことでもない、よもやま話ばかりした。
その場での別れなんてそんなのはどうでもいい。中長期的に見たらまた会えるし仕事もできるのだ。IT業界なんて狭いのだから。それよりもまた会う機会を自分で作れるくらい、そして会った時に恥ずかしくないくらいに自分が成長しておく必要がある。
バタバタと渋谷をでた。慌ただしくて全く感慨深くならなかったけど、ここでランサーズからは卒業となった。
新卒がスタートアップで学んだこと
5年分の思い出を振り返ったが非常に濃厚な時間だったと改めて思う。このエントリのプロットをつくった段階でいまの3倍はあったし、書いては消し、書いては消ししてまた半分くらいの量にした。でもまだ長文だ。
この5年で得たものは計り知れないけど、なによりも仕事って楽しいなということ、そして一つ一つに対して立場や能力関係なく、どれだけ全力で向き合えるかでその楽しさは変わってくるということに気づけたことが一番大きかった。
いま、これだけの思い出を書き記せるくらい、私はランサーズと向き合ったのだと思う。
新卒として5年間働くうちに、ランサーズはスタートアップと呼べないサイズになった。そしていま、上場した。その成長の一端を担えたことはとても光栄なことだ。
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最後になりますが、秋好さんはじめ、ランサーズの皆さん。上場おめでとうございます!
つたない文章でかつひどいことも書いてるので、消してくれとかあったらDMください!
あー、もっと書きたいエピソードがあったし、イニシャルだしたかった、、、。(少なくともあと10人分のエピソードは書いていた)
これからもランサーズの成長を陰ながら応援しています。またどこかでお会いできるのを楽しみにしています!
2019.12.XX ランサーズ卒業生 青木 美保
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