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【小説】マリオネットの私たちはめぐり逢う

隣、いいかしら?  ありがとう。
可愛いよね、あの子たち。特にチャトラの方は人なつっこくて、すり寄ってくるしね。白い子はちょっと警戒心が強いけど、声が少し高めで鳴き声が可愛いの。ああ、あの耳ね。去勢手術が済んでいるっていう意味よ。耳の先端がV字にカットされてて、桜の花びらみたいでしょう?  だから「さくら耳」っていうの。あの子たち、この辺の住民の方が保護している地域猫なのよ。保健所に連れて行かれる心配はないし、食べ物も与えられているみたいよ。じゃれ合っちゃって本当に仲良しでしょ。あなたここ来たの初めて?  猫、好きなの?  そう。飼うとなると大変だもんね。ここに来たらわりといるよ、この子たち。私は三回に一回は会えてるかな。たまによその家の庭にいることもあるけど。とにかくこの子たちいつも一緒なの。がらは大分違うけど、キョウダイなのかね。


ああ、今日は風が気持ちいいね。晴れてるし、朝は空気がちょっと澄んでるよね。あなた学生さん?  おいくつ?  そうなのね。やだ、「もう」だなんて。二十四は全然若いわよ。近くに住んでるの?  あ、一人暮らしなの。偉いね。うちの娘は三十過ぎても実家暮らしだったわよ。
私はね、すぐそこのコンビニ横のマンションに住んでて。時々この公園に猫たちの様子を見に来るの。癒されにね。ねぇ、なんにもしなくても生きているだけで愛されるなんて、羨ましい存在だよね。
え?  猫になりたい?  なぁに、ちょっとお疲れなんじゃない?  猫って一日の大半眠って過ごすのよ。あなたまだまだ若いんだから、人生楽しい時期じゃない。私なんてもういつお迎えがきてもおかしくない年齢なんだから。ふふっ。私?  なんていうんだっけ。あれよ、あれ……えーと、“アラカン”だ。あ、でももう半ばを過ぎてるからこの言い方もできないのか。ふふっ。まぁ、もうおばあちゃんってことよ。孫もいるの。今年五歳の男の子でね、これがもうヤンチャで。しょっちゅう保育園の友達とケンカしちゃって、娘が手を焼いてるわ。でも根はいい子なのよ。この間もお手紙もらったんだけどね。「ヨウちゃん、にひゃくさいまでいきてね。ぎねすにのれるよ」だって。二百歳って、妖怪になっちゃうじゃないねぇ、あははっ。あ、私、ヨウコっていうの。「ばあば」って呼ばれるの嫌で孫には「ヨウちゃん」って呼ばせてるの。ふふっ。


ごめんなさいね、自分のことばかり。娘にも“マシンガントーク”って言われてて。お友達もみんな賑やかな人たちだから、あんまり自覚していなかったんだけどね。たぶん夫が無口な人だから、二倍しゃべるようになっちゃったのね。家だと夫が不機嫌な顔して「ああ」とか「うん」とかしか言わないものだから、張り合いがなくてね。夫は縦のものを横にもしない人なのよ。つまんなそうな顔して日がな一日新聞読んだりテレビ見てるわ。たまにふらっと出かけたと思ったら、パチンコか競馬のどっちか。あんなんで人生楽しいのかしらねぇ。やだ、愚痴聞かされても困っちゃうよね。あなたお名前は? ナナちゃんね。ナナちゃんはお勤めしてるの? 今日はお休み? え、夜勤明けだったの? そうだったの、介護のお仕事って大変そうよね。うちは 父のことはもう見送ってて。九十過ぎの母が施設でお世話になっているの。職員さんには頭が上がらないわ。
というか、ごめんなさいね、もう帰って寝るところだったのかしら。 今日は夕方から仕事あるの?  あ、そうなのね。ちょっと安心したわ。帰ったらゆっくり休んでね。体力の要る仕事だものね。
え、何? どうしたの?  私何か面白いこと言ったかしら。なになに?  何かツボに入っちゃった?  私の顔に何かついてる?  え?  ううん、全然失礼じゃないけど。そうだよね、こんな見ず知らずのおばあさんに、息つく暇も与えられずにしゃべり倒されたらおかしいよね。あははははっ。笑いって伝染するよね。あははははっ。


そうかぁ、でもナナちゃんは、年寄りの相手をするのに慣れてるのね。納得。優しい雰囲気だから、ついするすると話しちゃったわ。職場でもよく絡まれるでしょう?  ナナちゃん可愛いもんね、ふふっ。ああ……認知症の方は大変よね。私もこの先どうなるか分からないわ。 最近けっこう物忘れも酷くなってきたし。お友達と話してても「あれ」って言葉ばっかり出てくるのよ。でもお友達も「ああ、あれね」なんて応じるものだから。通じてるし問題なかったりするんだけど。ダメよね、ちゃんと言語化しないと。どんどんボケちゃうよね。え?  あははっ、ありがとう。私、明るさと元気くらいしか取り柄ないからね。ヨウコのヨウは太陽の「陽」って書くのよ。
あら、救急車。けっこう音近いね。もうこの辺りもだいぶ年齢層高いからね。サイレン一日に何度も聞くよね。でもね私、救急車の音が頻繁に聞こえるのって、悪くないことだと思っているのよ。だって誰でも呼ぶことができて、呼んだらすぐ来てくれるんだもん。安心でしょ。何かで聞きかじったんだけど、どこかの国は救急車を一度呼ぶだけで二十万もかかるんだって。日本は恵まれているよね。
ああ、そっか。ナナちゃんの職場は救急車の出番も少なくないよね。職員さんも救急隊員さんも、病院で働く人たちも大変だ。
孫の成長も見たいし長生きしたいけど、これからますます人の世話にならざるを得ないことが増えていくんだろうね。 なるべく最期まで自分のことは自分でしたいけどさ。やだ、すごく年寄りくさいこと言ってるよね?  ごめんね。え?  そっか、慣れてるか、あははっ。



ナナちゃん、もう眠かったらおうち帰って大丈夫だからね。帰りづらくさせちゃってるよね、私。え?  本当?  私、言葉はそのまま受け取っちゃうのよ、裏とか読まないんだけど、平気?  ふふっ。え?  ううん、私は若い人とおしゃべりできてすごく楽しいわよ。 でもナナちゃん、職場でもたくさんお年寄りのお話聞かされてるんじゃない?  そうなの?  ストレスだけは溜めないでね。なんて言いつつ、じゃあお言葉に甘えてもう少しおしゃべりしちゃおうかしら。ふふっ。
そういえばね、母が施設に入る前に一緒に映画を観に行ったのね。何年前だったかな。まだ十年は経っていないと思うんだけど。『鎌倉物語』っていう映画。観た?  ほら、『リーガルハイ』っていうドラマで有名な俳優さん。そうそう、堺雅人さかいまさと。知ってる?  あとあの可愛い子、えっと……高橋…じゃなくて、高畑だ。高畑充希たかはたみつきちゃん。その二人が主演で。堺雅人が作家で夫役で、高畑充希ちゃんが若い奥さん役だったのね。確か「アキコ」って名前だったと思う。鎌倉でニ人で新生活をスタートさせるんだけどね、そこは妖怪とか魔物とか異世界の存在も混じり合う場所なの。でね、死神とかも出てくるんだけど、夜、路面電車に乗って黄泉の国に行くシーンがあるのよ。ああ、そうね『千と千尋の神隠し』に似た場面あったよね。カオナシと千尋が一両の電車に乗って、湯婆婆ユバーバの姉のところへ行くシーンね。
私、ジブリ好きなのよ。ナナちゃんも? ジブリ映画は本当に色褪せないよね。何が一番好き? 『耳をすませば』かぁ。なかなかツウだね。いいよね。「カントリーロード」聞くと、涙出そうになるわ。娘もジブリ大好きでね、昔は金曜ロードショーでやるたびに、親子でテレビの前にかじりついてたわ。トトロのぬいぐるみも欲しいってねだられて、三匹いたじゃない?  結局大、中、小、と全部買わされたわよ。娘のお気に入りは小トトロでね、あの子だけ模様がなくて真っ白じゃない?  娘はあれが黒ずんで、ボロボロになるまで抱っこして一緒に寝てたわ。懐かしい。
あれ、何か話変わっちゃったね。ええと、『鎌倉物語』の話をしてて……。どこまで話したっけ。そうそう、作家先生が妻のアキコを連れ戻しに電車に乗って、黄泉の国に行くのね。確かアキコは何かの手違いで、まだまだ寿命が残っていたのに、黄泉の国に連れて行かれちゃったの。それも悪い奴のたくらみだったんだけどね。それでね、向こうの国では想像力が大活躍するのよ。作家先生が頭に思い描いた武器とか乗り物とかが具現化できちゃうの。作家ってさ、頭の中にありありと世界を創造できるんだろうね。とにかく想像を武器にして、魔物を追い払いながらアキコを連れ戻すの。お姫様を救い出す王子様って感じでね。あの二人、年齢が離れているのにお似合いでね、アキコ役の充希ちゃんが可愛くてさぁ。妖怪も魔物も死神もどこか憎めなくて、全然怖い雰囲気じゃなくて。笑えるところもたくさんあってね。観た後になんだかほっこりしたわ。母もすごく満足した様子でね。「よかったわ。あちらの世界も楽しそうで」なんてぼそっと言ってたわ。
もう母は映画を観に行ったこともきっと忘れてるし、私のことも今は娘と認識できているか怪しいんだけどね。いい思い出になったわ。



はぁ、時が経つのは本当に早いわね。一年もあっという間。今年ももうニヶ月もないものね。つい最近年が明けたと思っていたのに。あら、ナナちゃんも早く感じるの?  でもね、甘いわよ。ここからさらにスピード感が増すんだから。もうね、急行列車通り過ぎて新幹線よ。最後はジェット機になるんじゃないかしら。あははははっ。ごめんごめん、脅しているみたいね。ナナちゃんが真剣に聞いてくれるものだから、ちょっと大げさに言いたくなっちゃったのよね。
んー、ちょっとお尻が痛くなってきたわ。
え?  ああ、姿勢?  よく言われるのよ、ピシッとしてるねって。でもよくなったのは大人になってからなの。これね、コツがあるのよ。教えてあげる。
よっこいしょ。ふう。
ナナちゃんもちょっと立った方がいいわよ。座りっぱなしだと血流も悪くなるしね。あ、普段はそんなに長く座ることないか。あははっ。ナナちゃん、けっこう身長あるのね。いいね、すらっとしてて。
あ、それでね、立っている時、上から糸で吊り下げられているような感覚でいるといいのよ。マリオネットになったみたいに。マリオネットって知ってる?  そう、手足を糸で操れる人形。ほら、立っている時に全然力を入れなくていいでしょ。姿勢を正すことって疲れそうって思うかもしれないけど、天から吊り下げられているようなイメージを持つと、すごく楽なのよ。
私思うのよね。人間も動物も、生きとし生けるもの全て、実はみんなマリオネットみたいな存在なんじゃないかって。つまり人形みたいに個体別に意思なんて存在しないってこと。巨大な何者かが天から操っているんじゃないかって。「生かされている」ってよく言うじゃない?  私たちは壮大な人形劇をやらされているだけのような気がしてならないの。そこには役割があって、きっと台本のようなものや演出があって。あらがわずにその通りに動けば人生はすうっと上手くいくようにできているのよ。だけどそんなこと、人間は特に忘れているのね。でね、余計なことをして、みんながんじがらめになっちゃうの。糸の絡まったマリオネットって、悲惨でしょう?  だけどね私たち、操り人形であると同時に、操っている側の存在でもあると思うのよね。だから不安になることなんて本当は何もないのよ。


ああ、ごめんね、変なこと言ってるって聞き流してくれていいからね。最近暇なものだから、本を読みあさったり考え事をしている時間が長くて。空想や妄想ばかりしているのよ、いやね。
あら、チャトラ、来たの。撫でてほしいの?  すりすりしてもご飯は出てこないよ。シロちゃんも来たの。珍しい。あらぁ、ナナちゃんのこと気に入ったみたいね。デレちゃって。この子、オスだったのかしら。この子が人にすり寄るのは珍しいよ。ある程度近寄ってくるけど、いつもチャトラの背後で離れて見ているだけだから。よかったねぇ、お姉さんに 撫でてもらって。ねぇ、ナナちゃんだったらニ匹になんて名前つける?  へぇ“とら次郎”と“おもち”かぁ。いいねぇ。ちょっと渋いけど可愛いわ。
え?  あらやだ、お昼の鐘。もうそんなに時間経った?  ごめんなさいね、こんな年寄りの話に付き合わせてしまって。ナナちゃん聞き上手って言われるでしょう? 久しぶりにこんなに長く人と話したわ。って言っても、私が好き勝手にほとんど一人でおしゃべりしていただけよね。あははははっ。ついつい話し込んじゃったわ。またすれ違ったら声かけてもいいかしら?  あ、もちろんこんなに長話はしないから安心して。え?  本当に?  やだ、大丈夫?  全然知らないこんなおばあさんと?  本当に?  あらまぁ。LINEライン?  できるよ。娘に教えてもらったの。返信遅いけどね。え、本当にいいの?  嬉しい。どうやるの?  ごめんね、私やり方よくわからなくて。ああ、ここを、へぇ。おお、バーコードね。そういえば 娘もそんなことやってくれた気がするわ。もう交換できたの?  本当だ。嬉しい、ありがとう。わぁ、こんなに可愛いお友達ができちゃった。おとうさんに自慢しなくちゃ。ありがとう。本当に暇な時でいいからね。その時は じゃあカフェにでも行きましょう。美味しいコーヒーとケーキ奢っちゃう。わぁ、楽しみ。
あ、見て。鳥があんなに密集して電線に止まってる。なんだか音符みたいね。でもあの下を通るのは危険ね。ふふっ。それにしてもいい天気。私、もう少しここで猫たちを眺めながら、日向ぼっこして帰ることにするわ。ありがとう、本当に楽しかったわ。ふふっ。
今度はあなたの話をじっくり聞かせてね。
ありがとう。またね。


〈了〉


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