読書記録⑦『夜行』森見登美彦著
「好きな小説は?」と聞かれて私がすぐに思いつくのは、森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』だ。もう手元にはないけれど、映画を観たわけでもないのに今でもいくつかのシーンが映像として思い起こせる。それほど印象深い物語だった。読書記録をつけ始める少し前は、同著者の『四畳半神話大系』も読んだ。別の物語ではあるけれど、この二冊の中には同一人物も登場している。そして、ままならなくて甘酸っぱい青春の雰囲気が、コミカルに描かれた同様の世界観を楽しんだ。
きっと今回も、不思議でくすっと笑えるような青春を垣間見せてくれるのだろうと思いながら何の気なしに『夜行』を手に取った。ハードカバーの表紙には色白で髪の長い女性が佇んでいて、そのバックには幻想的な夜景と電車が描かれている。空中にいくつか散っているオレンジ色の光はおそらく火の粉だ。物語が、10年ぶりに集う仲間が「鞍馬の火祭」を見に行くという流れで始まるからだ。
ではここから『夜行』についておさらいがてら、内容や受けた印象、自分なりの考察などを書いていきたい。
早速はじめに読後の印象を言ってしまうと、想像と全く違った。私の知っている森見登美彦の少し奥ゆかしく古風で博識な文体や、それを和らげて余りあるおちゃらけた雰囲気がどこにも見つけられなかった。京都の街が舞台になっているという点だけが、著者らしさを感じられるところだった。「これは本当に同じ著者が書いた本なのだろうか」と戸惑いながら読み進めた。
物語は序章、第一夜〜第四夜、最終夜、と章分けされている。序章と最終夜は主人公の大橋という男性視点。その他は一話ごとに仲間一人ずつの語り口というオムニバス形式で展開していく。登場人物たちは学生時代に通っていた英会話スクールの仲間で、(当時は)大学の先輩、後輩、大学院生など、性別と年齢もまばらな関係性の5人。
久しぶりに集まったわけだが、実は10年前の夜もこのメンバーで鞍馬の火祭を見物しに出かけ、その夜に仲間の一人が失踪している。
失踪した長谷川という女性は、この5人の中に少なからず影を落としていて、語られる仲間の話の中でもふと思い起こされる。彼女の存在と、もう一つこの物語を読む上で欠かせいのが「夜行」という連作シリーズの銅版画とその作者、岸田道生だ。岸田はすでに亡くなっていて、残された作品のタイトルには「尾道」「奥飛騨」などの地名がつけられている。作品の共通項は夜の風景の中に一人の女性が描かれていること。そして大橋以外のメンバーが順繰りに語るのは、その銅版画のタイトルにもなっている地を、それぞれに旅した思い出話だ。ちなみにこれらの旅は、語られている現在から各々数年前の話で、失踪事件が起きた後のエピソードだ。話の中では皆すでに社会人になっており、既婚者の者もいる。
家出をした妻を連れ戻しに尾道を訪れる旅。
会社の先輩、先輩の彼女とその妹と車で奥飛騨へ向かう旅。
夫と夫の同僚と列車で向かう津軽への旅。
遊びに行った伯母夫婦の家から、電車で天竜峡駅を通過して帰省する旅。
どれも銅版画のタイトルの地と一致する旅で、全員が銅版画を実際に目にする機会があり強く印象に残っているという。この中で旅を語らない主人公の大橋も、仲間と待ち合わせする前に入った画廊で偶然、岸田道生の銅版画と出会っている。
旅先でメンバーはそれぞれ銅版画と同じ光景に出くわす。「夜行」シリーズの銅版画に必ず描かれているのっぺらぼうの女性も、幻のように現れる。その女性は見る者によって身近な似ている女性を想起させる。また、旅の中では誰かが不意に姿を消したり、正気を失う者が出てきたりする。
まるで晴れていた空に暗雲が立ち込めていくように、じわり、じわりと異様さが浸透していく。さっきまで平凡な日常の延長上にいたはずなのに、気づいたら異質な世界に足を踏み入れているのだ。さらに気味が悪いのは、それらの奇妙な旅の話に疑問を抱き、口を挟んでくる者が一人としていないことだ。主人公も「よくある思い出話」と認識しているのである。
第一夜で語られた話の中には、明らかに語り手が人を殺めたか重傷を負わせたような犯罪描写がある。にも関わらず、そこに誰も反応を示さず二話目が始まったため、私は最初、こう思った。「ああ、これはそれぞれが自分の話をさも怪談話のように語る話で、最後には誰の話が一番ぞっとしたかなどを笑って話し合い、失踪した彼女もケロッと登場するような明るい結末になるのだろう」と。
しかし大橋以外のメンバーが全員語り終わった後も、どこか暗い雰囲気は続く。本来の目的である鞍馬の火祭も、宿で旅の話を語り合っているうちに終わってしまった。そのことに関しても誰も何も言わず、一応現地に足を運んでみたものの、祭りの終わった様子を見てそのまま引き返していく。この諦めたような力ない感じで、このまま物語はどう締め括られるのだろうと不安になってしまったが、そんな心配は杞憂だった。
ネタバレになってしまうのでここから先の展開は書かないが、ラスト数十ページで読み手はようやく少し靄が晴れたような感覚を味わうことになる。
ここでもう一つ、キーになるエピソードを挙げておくと、銅版画家、岸田道夫には「夜行」と対になる「曙光」という作品シリーズがあるという。しかしそれはあくまで噂で、その作品を見た者はいないらしい。朝と夜。光と闇。物語のモチーフとしては珍しくないのかもしれないけれど、この対を成す作品の存在が重要な役割を担っている。
また、この本は読み終えた後でも、遡ってページを捲ってしまうような仕掛けがされていると思う。頭のいい人なら一度読んだだけで点と点を結び、全体を把握し理解することができるかもしれない。しかしそれぞれの章の共通項や同一人物らしき存在、関係性、ラストの展開をひとまとめにし、腑に落ちなかったことを回収して納得に導くのは容易ではないと思う。或いはそもそも全てがかちっとハマるような解答は用意されていないのかもしれない。
理解が遅く俯瞰して物事を見ることが苦手な私は、紙に章ごとの旅の内容や人物名、相関図を書いて物語を整理せずにはいられなかった。きっとこの読書記録を書くことがなければ、得られなかった気づきもたくさんあった。
さらっと読めてしまう本もいいけれど、こんなふうに噛めば噛むほど味が出るような本もたまにはいい。何より今回の一番の気づきは、同じ作家からこんなに違うテイストのものを生み出すことができるということ。これは読み手にとっても書き手にとっても楽しいことだと思う。
未読の森見登美彦作品はまだまだある。読書記録に書くかどうかはわからないけれど、またぜひ手に取って、じっくりと味わいながら読みたい。
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