叔母の病気発覚から要介護認定と施設入所まで
2019年10月31日木曜日
85歳で一人暮らし、私の父の姉にあたる叔母の病院へ付き添い。
以前何度か父が送迎していたものの、父は78と高齢のため、今回は私が運転手&車イスを押す係。
レントゲン、心電図等を済ませ、叔母を診察室へ。
◯◯さんの状態ですが、肺癌ステージ4で末期、高齢なのと、認知機能低下も見られる為手術は不可能、肺に水もたまっています。
ペースメーカーも寿命が来たら終わりです。
と、ほぼ前置きもなく衝撃的な言葉が。
一人暮らしさせられる状態ではない、
近くにご家族がいるなら同居しないと。
と言われました。
息子さんは埼玉だと病院に伝えると、
地域包括支援センターに相談するようにと。
翌日私から息子さんに電話で説明し、
介護については全く分からないので全てやってもらえると助かる。と言われた為、
叔母の居住区域を担当してい包括支援センターに連絡。
要介護認定の申請に必要な物や、
本人以外でも手続き可能かを聞き、
叔母本人の印鑑、介護保険証があれば、
本人は同行しなくて良いと言われました。
11月5日火曜日
私は専門学校で取得した介護福祉士の資格はありますが、持病の腎臓病の為15年以上のブランクがあり、介護保険や認定、その他最新の制度は無知だったので、老人保険施設で介護職をしている恋人も同行したいと伝え、一緒に地域包括へ。
叔母の病状等を詳しく話し、
要介護認定の申請書類に記入しました。
市役所への認定調査依頼と医師の意見書も手配します。
と言っていただき帰路へ。
その日の夕方、市役所の担当の方から緊急性が高い為、明日調査に伺います。と連絡。
翌6日、調査の日は私が付き添うことに。
10月6日市役所の担当者さん一名が来訪。
お名前、生年月日を教えてください。
茶の間から台所まで歩いてみて下さい。
椅子から立ってもらえますか。
◯時◯分をこのマルの中に記して下さい。
今から4つのものを見せます。
五分後聞きますから覚えてくださいね。
その他色々と、約一時間の認定調査でした。
4つの物を一旦片付け、服薬について聞かれましたがハッキリと答えられず、認知機能は低下となりました。
が、五分前に見せられた4つの物はほぼハッキリと答え、歩行もゆっくりながら特に問題は無し。
調査員さんが帰り際、
これは要支援かも知れないなぁ。
とつぶやき、
正式な判定には約一ヶ月くらいかかります。
認定結果は書面でお知らせします。
と言われました。
我が家へ同居を勧めましたが、かたくなに断られてしまい、
両親、私が毎日朝晩交代で通うことに。
母は食事を作り持参、父は送迎兼話し相手、私は介護保険を詳しく調べ、叔母から預かった現金の管理、記入等と分担。
同時に施設探しを始めました。
包括さんからは、ガンならホスピス施設はどうかと言われ、10月8日、その施設へは私が電話。
翌9日、叔母、私の両親と共に見学と相談。
もし要支援の場合、介護保険の使える額が少なく、自己負担が高くなるとの説明を受け、
入所施設の他、往診診療もしていた為、まずは在宅診療をお願いしました。
主治医の変更申請をしてもらい、正式な手続きの後11月19日、ホスピスの方が叔母の自宅へ。
要介護度が正式決定するまでは、
訪問看護、医師の在宅診療を主体に、
もし要支援だった場合は、ヘルパーさんはあまりお願いできないため、不足分は身内の私達でカバー。
との方向でまとまりました。
その後一週間埼玉から次男が来て叔母宅に滞在と、施設の見学。
が、安心していたのもつかの間、息子がいながら叔母がストーブの前で低温やけどをしてしまい、息子さんが埼玉に帰宅後の11月25日、認定が下りる前に施設に入所することに。
ご飯は一階にて共同で食べ、入浴等は介護付きなものの、全員個室で家具等全て持ち込みの為、冷蔵庫、テレビ、入浴必需品等は私が選び、入所前日に車で運びました。
施設に介助をお願いすると、介護保険超過分は30分以下1100円で、例えばトイレ一度でも1100円の為、自己負担が高くならないよう、入浴介助等は私が行うことに。
とは言えブランクもあり不安だったので、恋人が私の実技指導係を快諾してくれましたが、入所前日の深夜、私は左足を披露骨折してしまい、入浴介助は出来なくなり、入所にも立ち会えず、通院後に恋人と行きました。
家具や備品の設置は両親+介護に詳しい私の恋人と。
力仕事は率先してくれて、更には導線や地震対策も考え、的確に指示してくれた為助かりました。
私は隅に座って見学と書類記入係り。
12月7日、待ちに待った介護認定の書面が。
認定は、要介護1でした。
要介護1なら通常の介護では自己負担は発生しない。とホッとしたのを覚えています。
今となっては、親の介護の予行練習。
父の姉だし私の親だと思ってつくそう。
と思えるようになりましたが、
叔母の入所で落ち着くとの考えは甘く、購入した物の現金出納帳への記載や、施設との話し合い、他にもやることは沢山あり、入所前から私達家族は疲弊し、入所後も些細なことで衝突、家族でケンカもしてしまいました。
骨折した事も重なりイライラはピークでしたが、叔母の前では明るく振る舞いました。
我が家の喧嘩とは裏腹に、叔母は入所後は安心したのか、おだやかな顔つきになり、今現在は食欲もモリモリですが。
叔母の息子さんですが、長男、次男とも埼玉在住。
長男は連絡が付かず、次男に一度来るように話したら、母に会うのは約9年ぶりとの事でびっくり。
要介護認定の結果待ち最中に、連れて帰られないのか相談もしましたが、
奥さんが反対しているから無理です。
年金で支払えるから、美穂さんにお願いします。
といわれ、こんなに大変だとは考えずにいました。
叔母には60歳近い息子もいる為、姪の私は特殊な事例だとは思いますが、
もし、身内の方が介護になった場合は、
一人で抱え込むのは危険です。
最初は何とかなる。と思っていても、
私達みたく疲弊し、下手したら体調を崩す。
となってしまっては共倒れです。
在宅介護の場合は特に大変でしょうし、私の場合身近に介護のプロがいましたが、それでも大変でした。
誰かに話すだけでも気持ちが救われる事もあります。
ご兄弟がいる方は早めに話し、
地域包括支援センター等の、公的機関への相談もオススメします。
★認定や介護サービスを受けたい本人の地域包括センターが不明な場合、まずは、社会福祉協議会へ電話すると、当該の地域包括支援センターを教えていただけて、そちらに電話をすると、日程を調整し、社会福祉士さんが相談に乗ってくれます。
こちらの場合、息子さん二人は色々と問題があり、
55歳の二男のやること、言うことが許せない私は、
堪忍袋の尾が切れて、怒鳴り、ケンカしてしました。
長男はパチンコ依存で、叔母にお金をせがんでばかりいた為文句は言いたいですが、お金を振り込んで欲しい時に電話が来る以外、叔母からもかけられず、連絡先は不明。
その話はあまりにも生々しいので、機会があれば。
2022年2月3日追記
叔母は2020年8月7日天国へ。
施設では約9ヶ月お世話になりました。
コロナ禍で、離れて暮らす御家族とは中々会えない場合も多いでしょうが、時々電話をして声を聞かせてあげる事をお勧めします。
LINEでの連絡も手軽ですが、声を聞くと安心すると思います。
そして、ひとり暮らしのお年寄りなどがご近所にいらっしゃる場合、例え挨拶だけでも声掛けが大切にも感じます。
私は北海道釧路市ので夫と両親と暮らしていますが、町内会の一斉清掃や草刈りは積極的に参加し、一人暮らしや高齢の気になるお宅等は、冬場は雪かきを手伝いながら、夏場は家庭菜園の野菜をお裾分けしつつ、コミュニケーションを図っています。
私は2022年時点で47歳になりますが、体が動くうちに少しでも目配り気配りを出来たらと思います。
自分もいつかは人様から介護されると思うので、今はそれに向けて貯金中です。
私の指す貯金とは、お金だけではなく他人を思いやるゆとりの心の貯金も指しす。