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「必ず履修する必要がある科目」の必要性:社会人学生から見た教職課程
「必ず履修する必要がある科目」
教員免許状を取得するためには、高等教育機関で法令で定められた科目を履修する必要がある。教育職員免許法施行規則 第六十六条の六 において定められている以下の4科目だ。
日本国憲法 二単位
体育 二単位
外国語コミュニケーション 二単位
情報機器の操作 二単位
当然ながら、既卒の場合、在籍時に該当する単位を取得済の方は再度受講する必要はない。しかし、日本の学位を持っていない私は、この全ての単位を取得しなければいけない。教員免許を取得すると決めたのでやるしかないとはいえ、本音を言えば、なぜこれらを学ばなければいけないのか理解できない。
①外国語コミュニケーション
なぜ国語に関するものではないのか、というのが率直な疑問。
他大学の入学相談会で担当者に「なぜ」を質問したところ、「基礎英語みたいなものです、簡単だから大丈夫です」との回答があったが、別に難易度を心配していたわけではない。言語コミュニケーション能力を測る、または向上させる科目であるなら理解できるが、中身はごく普通の一般英語の講座。(あくまで「外国語」なので、大学によっては英語以外の言語を選択可能)
そして、英語科専修コースに在籍しているのに基礎英語?
② 情報機器の操作
シラバスを読むと、Windowsの基本的なソフトウェア(ワードなど)の応用的な操作、UNIXの基本的なコマンド操作と書かれていた。しかし、実際にはエクセルなどを使って指定の図表を作ることが課題であった。
一般企業で数年働いていれば、基本的なソフトウェアの使い方は嫌でも覚えるし、応用的な操作(が何を指すかは分かりませんが)は必要になったら簡単に調べられる。
ちなみに、UNIXの操作なんて覚えても絶対使わない。(プログラミングをしていたこともある私。新人研修で勉強しましたが、結果的にそういった分野に携わることが少なかったため、あっという間に忘れました。だって使わないから!知らなくて損することもないから!)
③体育
日本の教育を受けてきた身としては感覚的に理解できるような気もします。必修にする必要性は分からないが、学校の中に当然のように体育祭やら球技大会やらが組み込まれていることから考えれば、教員に体育が必要だと言えなくもないような。
④日本国憲法
一番の衝撃だったのはコレかも。確かに憲法について理解することの重要性は否定しませんが、まずは字面のインパクト。社会や文化に関する必修科目はありそうな気がしていたが、まさか憲法という単位があるとは思わなかった。正直なところ、なんとなく気持ち悪い。
最後に
四の五の言わずにやるしかない。
そう言い聞かせている人が私以外にもいるんじゃないだろうか、という期待をこめつつ記事にしてみた。
大学1年生から順当に履修するのと、既卒の社会人が編入して履修するのとでは素地が違う。現在の教職課程は、大学生が取得することを前提としているように感じる。それは様々な教職課程に関する書籍を読んでいても、「君たち」とか「若者が」という表現がわんさが出てくる。様々なバックグラウンドを持つ人材が教育に携わりやすいよう、教職課程を見直す時期に来ていると思う。
上記の科目の必要性、重要性についてご存じの方がいらっしゃれば、お話を伺いたいところです。必要だと感じれば、その分熱意を持って取り組めますので。
ちなみに海外の場合、教員資格を取得するためには、教育学部に行く or 大学で何らかの学位を取得後に教員養成プログラム(1年程度)に行くという制度になっていることも多いです。この場合、後者を利用して、社会人から教員になる人はわんさかいます。教員には修士取得が要件である場合もあります。
とあるアフリカの国では、大学卒業後に数年、地域の学校で教員をすることが慣例ということもあるようです。これは教育が十分に受けられない子供達がいるという国の状況を反映した仕組みでしょうが、とても興味深いです。