【第十四回】チャップリンが生きた道~モダン・タイムス編②~
前回の記事ではモダン・タイムスのテーマである社会問題に触れたが、本作は単純な社会風刺映画ではないことも伝えておきたい。
チャップリンと言えば、どれだけ思想が強い作品であっても根本的に「人を笑わせること」を重視しているコメディアンだと忘れてはならない。
チャップリンがモダン・タイムスを通して観客に伝えたいことは「笑顔の大切さ」だったと思われる。
そう思う理由として、最後のシーンで挫折ばかり繰り返し険しくなる顔の少女(ポーレット・ゴダード)に対して「笑顔で」という言葉を掛けている。
チャップリンには珍しく、ストレートに励ます言葉を掛けているのが印象的だ。
そして、モダン・タイムスのラストシーンで流れている音楽「スマイル」にも注目していただきたい。
モダン・タイムスで使用されたスマイルはインストゥルメンタルだったため歌詞はなかった。
モダン・タイムス公開から18年後の1954年にジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズにより歌詞とタイトルが付け加えられ、ナット・キング・コールが歌ったことにより有名となった。
ジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズは映画のテーマに基づき歌詞とタイトルを付け加えている。
モダン・タイムスのラストは見る人の解釈によっては、あまりハッピーエンドには見えないかもしれない。
どちらも家がなく、少女(ポーレット・ゴダード)に関しては父親は亡くなり施設から抜け出し官憲から追われている身だ。そんな苦境の中、チャップリンと少女は不透明な未来に向けて歩き出すという終わり方をしている。
粋なラストシーンが有名な「街の灯」のように観客に判断を委ねるエンディングとは異なり、モダン・タイムスの場合は「このままで2人は生きていけるのだろうか?」という疑問が残ってしまうのだ。
しかし、このような不安を払拭してくれるのが名曲「スマイル」と言える。「どんなときも笑顔でいれば、きっと幸せがやってくる」という意味が含まれた歌詞からすると、チャップリンと少女は幸せに暮らせていけると確信できる。
さらに、モダン・タイムスがハッピーエンドであることを裏付ける「2人の影」についても触れていく。
ラストシーンの影をよく見ていただきたい。
こちらのシーンは「Dawn.(夜明け)」という字幕からスタートする。
何もかも上手くいかず泣いて落ち込む少女は「いくら努力しても無駄だわ」と言い、チャップリンは「へこたれないで元気を出すんだ。運は開ける!」と励ます。元気を取り戻した2人は立ち上がり前へ歩き出す。
このときの影は「前方」にある。
しかし、チャップリンが少女に対し「笑顔で」と声を掛けると画面が切り替わり、後ろ姿の2人が映し出された影の位置は「後方」になっている。
夜明けのシーンのはずなのに、いつの間にか影の位置が変わったことで2人は夕日に向かって歩き出していることになる。
つまり、夕日に向かって歩いていることから「長い道のりでも未来は希望に満ち溢れている」という意味を示している。
ただし、このシーンの影についてはチャップリンが意図的に撮影したかどうかは定かではない。ネットで調べたところシンプルに間違いだったという意見もある。
自分としても最初は「ただの間違いではないか」と思った。「同じシーンを何度も撮り直して朝から夕方になってしまったのでは?」と。
しかし、何度も見返したところ
あまりにもきれいに影が変わっている
あえて影が強調されるような構図になっている
ラストという重要なシーンで完璧主義者なチャップリンが間違えるのか?
という考えや疑問が思い浮かび、最終的に「チャップリンの意図的な演出」という結論に至った。
どちらにしても見事なラストシーンには違いないため、ミスによる演出だったとしても奇跡的な間違いである。
実は、モダン・タイムスでは別のラストシーンも用意されていた。
チャップリンが神経衰弱になり入院して回復するまでの間に、少女は修道女となり永遠の別れになるという結末である。
このように悲劇的な結末が用意されていたが放棄され、最終的に楽しげなラストシーンが採用された。
もし、悲劇的な結末が採用されていたら現代社会の問題解決に至らず、2人は逆境に負けたことになる。それでは観ている人に希望を与えることは難しい上に、名曲の「スマイル」は生まれていなかったかもしれない。
そのように考えると、夕日に向かう2人のラストシーンを採用したのは大正解だったと思う。
ーつづく