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ももたの自叙伝⑥
小学生になった娘は何やら変わった事を話す様になりました。
ドライブ中は『ママ、車の上にいる白いお着物の人だあれ?』とか
『あ、狐さんたち結婚式してるね』
などなど (゚o゚;;
うそでしょ、、、こわい、、
ある日、
私『今日は誰と遊んだのぉー』
娘『えっとね、◯ちゃんのお部屋の上の押し入れから出て来た子』
わわわわー!
マジですか。それってアレですよね。
ほぅーなるほど、、、
高学年になっても普通にそのようなお話をされていたのでした (・・;)
あまりにこわい時はもう言わないでー!と話を遮ったりしていました。
そんな平和に暮らしていたところにまたまた"あの話し"が舞い込んできました。
会社の会長さんが同じ社で働く人を勧めてきたのです。
本人とそのお母さんから是非取り持ってもらいたいみたいな話が来たと。
前の出来事を知っていた会長さんは
しばらく様子を伺っていた様でしたが落ち着いたみたいだしまだ20代なんだしねと。
この先の人生長いよ、悪いことは全部落としたと思えるのでは。
何だかんだでお見合いみたいな感じで今回は会長さんもついてる。
ただ私はちゃんと恋愛とかしたいのに。
あちらのお父さんが体調を崩していて全くもってあちらのご都合だと思いましたがここでも急かされました。結婚。
子どもがいて愛だのなんだのと言っている場合ではなかろうとまわりには叱られました。
え〜?そうかな。。そうなの?。。
違うよー。。
学習できない私です。
またまた生活が始まりました。
はじめは平和に暮らせていました。
が、ある時、思いました。
あれ、カレの実家を知らないな。
私の実家で集まってるけど一体何処にいるのか。
カレに聞くと不機嫌になりそんなに見たいなら見せるけど。
え?そんなに悪いことを言った??
行きました。
家ではありませんでした。
農家の耕運機とか置いてあるプレハブの上?に住んでいました。
そこを見たことが原因かどうかは不明ですが、飲み屋の女性と結婚の約束をしてウン百万渡して逃げられ借金があるだのなんだの。アレコレ出るわ出るわ。ショックで何も聴こえない見えない状態になりました。
なんで私に近づいてきたんだよ、、
それから毎日話しをし、とにかく仕事をして返済していく。この日々を壊したくないなどと(とっくに壊れてるんですけど)
その時わたしはこの2人の子どもについて考えました。
学校や保育園で父親がいない寂しさをそれを感じざる負えない現実を目の当たりにしていたこともあり(土曜日にはパパと遊ぼうというPTAの企画がありパパとお弁当をもって学校に行くのです。娘はだんだん行かなくなりました泣)その生活を続けることにしました。
しばらくは真面目にというか普通に生活できていました。
3人目が産まれ、4人目が産まれた頃
ガラの悪いブ男がやって来て土足で家に入って来ました。
どうやらまた借金をしていたようでした。カレの給与は全部返済に充ててもらう様にして私の給与で暮らしていたのでこの時のショックたるや(ーー;)
ブ男は大きな声で怒鳴り散らし、
わたしと娘を売り飛ばす事もできるんだと繰り返しました。
警察に電話して来てもらいましたが、
返済しないのが悪いだろうと直ぐに帰ってしまい助けて貰えないんだ、仕事しろよ!税金返せ!!!と小さいこえで言っておきました。
ブ男は、私の実家を教えろだのオマエは沈めるだの騒ぎ立て。
カレは一言も発せず震えているのを目の当たりにし死ねばいいと心の底から思った次第です。
連れていくなら私ではなくコイツでしょ、と言うと『だねー』とヘラヘラと笑い明日もくると言って帰りました。
子ども達は恐怖で体が震え声も立てず泣いていました。ごめんね。ごめんね。あたりまえだど、あなた達にこんな思いばかりさせて本当にごめんなさい。
謝っても謝っても許される事ではありません。
当然、離婚の話となりましたが応じません。家もわたしの家なので出て行く様にしましたが出ていかず。
会長さんに全てお話しして間に入ってもらいました。
嘘をついているな。隠してるな。
って五感でわかりますよね。
今日は自分が保育園に送ると珍しいことを言い(保育園がバルコニーから見える)見ていると送った後、会社とは反対方向に向かっていくので、
ありゃーやってくれたね。パチンコか!(後に分かりましたが依存性でした)
パチンコ屋に行くとありました。
ウチのチャリ🚲
チャリ前で半日待ち伏せしました。
探偵みたーい^ ^
で、出て来ました。
青ざめ引き攣った笑顔をしとるわ、
『カバン見せて。』
見ると50万ぐらい入っていて。
返済もせず家庭にも入れず、ただただ自分のためだけ、自分が遊ぶことを大事に生きている5でも7でもないろくでなしです。
自分のせいで、ブ男に乗り込まれ恐怖と闘っている家族を何とも思わんのか。
いつも震えているだけのカス。
軽蔑しかありませんでした。
3人めの産後もかなり早くから復帰して体調の優れない中頑張ってきた自分は何者なのか。
4人めの時もそう。
もう頑張れないよ、、、
他人に子ども達や自分の人生を壊され続けるのはなぜ。なぜなの?
私の心や考え方を根本から直す必要があるなと思い始めた頃でした。
で、離婚成立。
今回も養育費、慰謝料はもらえませんでした。
調停に行きましたが1回目の調停で、『女が悪ければ男が叩くのは当然のこと』と言われ、愕然としましたね。
今では考えられないでしょう。
殴られて交番に逃げた時にも『家庭内の事は関与できない』って言われたし。
女性は大変な時代でした。その昔はもっと虐げられていた訳で。おそろしい。
子どもに会っても良い事のみ。
他には何の条件もなく無事に離れることができました。
子どもと会ったのはその後2回ほど。
そのあとは、入学、卒業、お誕生日のお知らせを子どもが自らしても応答せず。
ひとでなし。
続いて生命保険①②③につづきます。
どうぞお読みください。