ももたの自叙伝④
嫌な予感が当たってしまい
父が心臓発作で倒れました。泣泣
その夜、彼とその家族が帰ったあと
私はじめ両親、妹も疲労感満載となり今夜は寝ようと早めに部屋に入って眠りにつきました。
が、、、ハッ!と目が覚めた途端
"バターン"と大きな音がして、その瞬間
父だ!と感じ慌てて下に降りていくと廊下で母が『救急車呼んで!!』と言って心臓マッサージをしていました。
(母は看護師。ありがたや)
震えてしまって。。。
自分を押さえるのが大変でした。
何とか助かってほしい。
私のせいでこんな事になってしまった。
一生懸命謝りました。怖くて怖くて
自分が情けなくて嫌いでした。
(ちなみにこの時はスマホの無い時代なので家電。黒電話。
震えてるからなかなかダイヤル回せなかったー)
病院で目を覚ましてくれた父。
綺麗でとても気持ちの良いところにいて、三途の川を渡る前になんだかうるさいなぁと思ったら目が覚めたと話してくれました。
そこにはおばあちゃんや知り合いがいたそうです。
泣いて叫んで呼んでうるさくして本当に良かったと思いました。
戻ってくれて心からありがとう^ ^
親不孝な娘です。。
家に帰ると彼から
『何かあった?歯が抜けたから不吉な予感がして電話をした。』と留守電。
こわ〜。
やはりこの人は普通ではないと確信。
時は少し過ぎ。
翌春にはぷりぷりの可愛い女の子を無事に出産。こんなに可愛い子は見たことがないと親ばか全開の毎日。
当時中学生だった妹は、サルみたいだね。なんて軽口をたたいていらっしゃいました。
(なんて事を!次言ったら埋める)
娘は順調にかわゆいままスクスクと育ち手のかからないおとなしい子でした。
ただ、お月様を見るととても怖がって隠れたりしていたんです。
当時はただ怖いのね〜と気になりませんでした。
夫となった彼は仕事はなんとかまぁやっと続けながらも海が恋しくて恋しくて。(波乗りで生きていきたい人)
時間があれば海に行き私と娘のことは眼中なし。家庭がなければ仕事なんかしなくて良かったのにとあれほど懇願し手に入れた結婚さえ否定する様に。
はじめから歯車は噛み合わずでした。そんな事もわかっていたからこそ
自分が情けなくて。でもこの子の為にガマンがまん。。がまん我慢。
なーんてそんなにうまくは行きませぬ。
離婚が決まった時、義母から養育費や慰謝料を出せるほど息子は稼いでいませんから今後会わなくて良いので払いません。
と、笑えるほど面白い顔で言い切ったので、何であんたが言うのか。
夫は黙ってんのか。情けないのぉ〜と心の中で言い放ちニヤニヤ笑ってあげました。
離婚後、卒業し働き楽しく暮らして娘が小学校に上がる頃、お父さんがいないとかわいそうだからとお見合いの話がきました。
別にどうでも良いと思っていましたが当時は今の考え方とは丸っ切り違いました。
22歳の時ピンクのフレアスカートを丸井に買いに行った時、子どもがいるのにこんな格好はおかしいですよと店員さんに断られて買えない。また、ネイルをしていたら子どもがいるのに爪になんか塗ってるなんてどうかしてる。
ことごとく”子どもがいるのに”
を枕詞で言われていましたねー。
で、お見合いの話。
しました。なんか先方がすぐにでも。
また、両親も良いのでは。と言う事で。この時も私の大丈夫かいな探知機は発動していました。
そして私のダメなところ。
自分で好きがどうかの判断は気持ちの奥に隠し、両親が賛成しているから。
子どもも懐いているから。
と。。決めたのでした。
これがまた大変な嵐を巻き起こしますのよ。。トホホ
つづく
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