触われないスピッツと知らないVTuber
私は言葉が好きで、文章や短歌を見聞きして「この表現は素敵だ」と思うことが好きです。
今朝不意に思い出した2曲のこの部分、特にそれぞれの上2行に異様に惹かれることに気付きました。
「美しい表現!だから好き!」というより、どうしようもなく切ない感情が感じ取れて好きです。
なぜ切ない感情が感じられるのか。どちらも「〜ない」という否定があるからかもしれません。
肯定ロビンソン
この歌詞を変えすぎずに肯定の形にしたらどうなるか。
『二人だけが暮らせる国 君の手をずっと握っていたい』
これだとただの浮かれた恋の歌にも聞こえます。
『この国には二人だけ この手を繋いだままずっと二人で』
私の頭で絞り出せる程度で言葉を変えても、詩的さは元の歌詞に到底及ばない。
・否定を含んだ文章を、否定を含まない形で完璧に書き換えることはできない(⇒ 誰も触われない 二人だけの国 君の手を離さぬように=二人だけが暮らせる国 君の手をずっと握っていたい ではない)
・「切ない」という感情は、少なからず曲調や全体の歌詞からの先入観がある
・本来の歌詞が一番いい
この3つを踏まえたうえで、なぜ自分はこの歌詞にどうしようもない切なさを感じるのかという観点では『誰も触われない』が大きなポイントでした。
肯定ヘテロスタシス
『ここでばか騒ぎしていたい 同じ言葉で話してよ』
『いつまでもばか騒ぎしていたい 君を全部理解したい』
これもあくまで例ではあるけど、元の歌詞のもつ苦しみや憂い(を私は感じ取りました)は肯定の文では完全に生み出せない。
この曲やChroNoiRについての考察やストーリーはわかりません。重ねてになりますが、自分が感じた切なさはどこにあるのかという点においては、やはり『置いて行かないで』『知らない』『話さないで』がポイントです。
論文やレポートではないので結論はありません。ポイントという曖昧な言葉で強引にまとめています。ただ、自分は言葉に触れるのがなんとなく好きで、こういうことをたまに考えるというのをここに表したかっただけです。
触れないではなく『触われない』、馬鹿騒ぎではなく『ばか騒ぎ』なのもいいなと思います。学術的な観点からの考察はないしできません。ただ私はこういうのを「いいな」と思います。
TSUNAMIのサビだって、『よそ見してくれていたら素直にお喋りできるのに』『めぐり逢えた瞬間から 魔法にかけられたまま』だったら売れてなかったかもしれない。だけど、「〜ない」という歌詞を使わなくて売れた曲はごまんとある。結論や正解は導けなくてもこういうことを考えるのが好きです。
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