隣の芝生は青いし、辛いけど、仕方ない
こんにちは。私です。
最近、くよくよくよくよして、色々な事象を空亡(神様不在Year)のせいにしています。
そんな私がよく思うのは、「前はもっとハツラツとしていた」「ポジティブだった」「自分に自信があった」と思うわけです。
パートナーは言うわけです「みさき(私)は理想の自分と、本当の自分のギャップで悩んでいる」と。そして言うわけです「自分が思っているほど、できる人間じゃない」って。
傷つくでしょう?あんたに言われたくない!ってその時は思うのです。でもね、冷静になればそうなのです。しかも認めたくない、見たくない、本当の自分であることもなんとなくわかっているのです。
隣の芝生は青いとかいうけれど、私の隣の芝生は、過去の美化された自分の記憶なのです。美化されているので、その時点で何倍も盛られた記憶なのだと思う。
思い返してみれば、過去の達成は、美しい思い出は、いつも挫折とか心がぽっきり折れたことと隣合わせだったと思う。
私はイタリアで素晴らしい1年間を学生時代に過ごしました。
だから、留学前と後ではめっきり考え方も変わった。就職活動なんて余裕だった。日本に帰ってきて、半年後には4社の内定があった。
イタリアでの経験が大きかったに違いないな。いろいろな人に出会って、いろいろな仕事をしたし、いろいろな場所へ旅行へ行った。価値観が見違えるように磨かれた。
なーんて、美しいことが先行するけど、よく考えれば、価値観は磨かれたかもしれないけど、考え方は本当にめっきり変わったのか?と問いただしてみると、当時も今も同じ私だと思う。
常に前進していたかと言えば、そうでもなくって、イタリアに行って2ヶ月で心がポキって折れた。2ヶ月もいるのに、イタリア語より英語を使う方が多かったし、現地で友達もなかなかできなかった。何しに来たんだろうなーって思ってたし、めっちゃ泣いた。つまんないなーって。
ポイントは何しに来たんだろうなーってところ。
最初から何も考えてなかったんじゃないかってこと。
私の特徴は、ピンと来た時の行動力はめちゃくちゃあるけど、継続力がないこと。これは、この間彼にも言われた。間違いないと思った。
とても怠惰な人間で、実はそれを自分は知っていて、見て見ぬフリをしている。けど、自分が口から出す自分の姿は、もっとかっこいい。結局は本当の自分を、理想の自分と勘違いをする。そして、どうしてどうしてと苦しむ。
いつだってそう、明確なゴールなんてもってなんかいないんだ。
なのに、いつも苦しむわけ。
どうしてこんなにつまらないの?どうして思い通りに行かないの?
そんなの当たり前なのよ。最初からなにもイメージなんて持っていないじゃん、私。
過去を振り返った時、美しい記憶をのけると、やっぱりそういう自分がいるわけで、それを外的要因のせいにするのです。言い訳じみているんだよね。
でも、いっつも突然なにか楽しいことに出会って、辛かったことも忘れてしまって、いいことだけが記憶の中心にのこって、成功だった!て思うわけ。
反省もへったくりもないのよ。
これだけ書いても、今、私は理想の自分の姿と、素敵な人たちを比べては、辛い辛いと言っている。
美女と自分を比べる。
仕事ができる人と自分を比べる。
明るい人と自分を比べる。
昔の自分だったら、この人たちに負けないのに。って思う。
でもそうじゃないから悲しむ。自分の価値がないと思う。
自分を慕う人の思いにすら疑いをいだく。「なぜこんな私を慕うの?」って。
自分らしさで戦えばいい。
むしろ戦う必要なんてない。
みたいなことを彼はいう。
自分らしさってなんだろうな。
本当の自分ってなんだろうな。
考えようとしないから、わからないのは当然なんだよ。
でもね、考えようって思っても、重たい腰が上がらなくて前に進めないことってあるんだよね。自分は弱くてだめだって責めたくなるよね。そうすると価値を見出せなくなるんだよね。
でも、そうやって、私30年生きてきたから、きっとまた上手に抜け道を見つけて楽しく生きていけるよ。
誰かがそれじゃ逃げているだけだとか、
怠けているだけだとか、言うかもしれないかもしれないけど、それでも何か見つけて、思考が前に進んだとしたら、成長なんだって思うことにしよう。
何が言いたいか謎だし、これじゃただの日記なのだけど、
きっと同じような人がいたときに、大丈夫だよ、自分だけじゃないよ、一緒に乗り越えようってなればいいな。
おしまい