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「わかる」の基本は「区別」
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「ん?何か変な感じがするな。」
こんな、ささやかな「違い」を感じとった時、
私たちは自分の体に注意を向け、見回し、時には鏡を取り出して、そしてハッと…。
ほっぺでちゅうちゅう血を吸う蚊がいた!
なんてことが、「わかる」のでしょう。
私たちは、視覚や聴覚、体性感覚(触覚などのこと)といった知覚に支えられて、
私たちは「(いつもとの)違いが分かる」ことができています。
つまり知覚の大事なはたらきは「何かを区別する」ことであり、
「わかる」の基本は「区別」といえるでしょう。
「どうしたら区別できるかな?」
シンプルに、そのことを大事にすると、
トモ(ロービジョン)たちのサポートがしやすくなったように思います。
視覚でいえば、形や色や明るさなどの、ささやか違いに気づくことが難しいと考えることができます。
聴覚であれば、様々な(大小、高低などの)音やその明瞭さなどの、ささやかな違い(変化)ですかね。
トモと飲食店に入れば、メニューの文字(形)や写真(形や色)の区別が難しいですから、読み上げることが日常になりました。
知り合いに会った時、「あ、○○さんだ(顔のパーツなど)」というのも、はじめはサポートのつもりでしたが、今ではただの独り言の癖です(トモ、聞いてないときありますし笑)。
物を探しているときも、そこまで手引きをしなければとか、取ってあげなければとか、そんな「しなければ」ではなく、
「赤いカゴの中に入ってたよー。」とか
「○○さんがもってるよー。(と言われたら、自分で呼んで探してる)」なんて
簡単な(時には片手間な?笑)一言で済む時もたくさんありますね。
もちろん、視覚障害といっても一人ひとり見え方は違いますから、
サポートの軸として一つ「区別」という視点をもつ、ということが私にとって大事になっています。
「人はみんな同じ」なんて何だか綺麗な(?)言葉でなく、
「人はみんな違う」という頭をもって
相手がどんな人なのか、私自身も「区別できる」ことで、サポートに慣れ、それが日常になるのでは、ないかなあ。
(私自身も知りたいですし)自分の違いについて、気を使うことなく周囲に伝えられるコミュニティをつくっていきたいな、と思いました。
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ここで終わろうと思いましたが、追記で(笑)
障害種別にその特徴(例えば白杖、盲導犬、ルーペを使いますなど)や配慮例がまとめてある資料など、見かけることがありますが、
それらは、○○障害は、これが「できる/できない」「わかる/わからない」(ex.「見える/見えない」)ということを決めつけるためのものでもないですよね。
あるいは、「これはわかるか、わからないか」と答えを求められることは、問いかける側が思っている以上に、キツいものです。
「○○障害は、こういう区別が難しい場合がある」「それは、その人その人で違う」という視点で、
答えを求めるのでなく、その人が区別ができるようになるための工夫を考え、環境を変えていく姿勢をもちたいですね。