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#44 それを野球と呼んでいた。
自分の家の前には甲子園と後楽園があった。
前の道を挟んで、向かい側はキャベツ畑で
家の近くの道にはマンホールがあった。
マンホールを中心に家を左側に使った場合は、後楽園
右側に使った場合は、甲子園と呼んだ。
そして、プレーするのは隣に住んでいる兄弟の計3人
1チーム1人、ピッチャー、バッター、キャッチャー兼審判。
当然バッターがランナーに出るとバッターがいなくなるので
すべて透明ランナー、ピッチャーの頭超えたらホームラン、道の
両サイド打てばファール。
1対1の勝負を楽しんでいた。
オーダーも1番から9番までアニメの主人公から実在の選手まで
出すことができた。
打つのはすべて自分。なりきっていた。
その当時小学生は、試験の答案用紙の裏に野球選手の1番から9番までの
ベストオーダーを組むことに夢中になっていた。
畑のキャベツにボールが当たるとかなわないので、農家のおじさんに、近くに公園があるのだからそっちでやれとよく怒られたが、
3人で遊ぶには公園は広すぎた。
1人しかいない時は、塀にボールを当ててそれをひたすら取っては投げ、取っては投げしていた。
そして必ず実況中継を自分でやりながら。
大投手の気分に酔っていた。
そんなわけはなくても、全力で投げればどこかでスカウトが観てくれていると本気で信じて投げているおめでたさ。
3人で遊ぶときには、キャベツ畑にボールが入ると、見つからずなくなる可能性があったため、あまり畑に入らないようには気を付けたが、ボールに困ることはなかった。
近くに公園ではないが、広場があってよくそこで野球をやっていた人たちのボールが庭に転がり込んできた。
自分がピッチャーのとき、とにかく内角のグリップエンドを標的に力いっぱい投げ込んだ。そしてどこで緩い球でタイミングを外してピッチャーの頭を越さないかを考えていた。
ピッチャーの頭をこせば、また取りに行くのもピッチャーの自分だから。