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HUGEのすゝめ⑤ 「喋れない日本人」の誤解;みんなの英語は、本当に英語??

前回の記事「HUGEのすゝめ④」で記述したように、クラスメートはたくさんの意見をものすごいスピードで発信する。けれども、私はそれが必ずしも良いとされるわけではないと思う。
そして、彼らの「英語」も然り。

日本及び世界ではよく「日本人は英語が喋れない」と批判され、今日では欧米の教育方針に習って「間違ってもいいからしゃべる。スピーキングが大切」という方向転換がなされている。
しかし、その批判に異議申し立てたいし、日本語話者にとってはスピーキングより文法重視で良いのではと思う。


彼らが話しているのは何語?!

あるドイツ人のクラスメートがディスカッションで意見を言っているとき、アメリカ人のクラスメートが「その単語はどう言う意味?それはドイツ語じゃない?」と指摘していました。
私もその単語の意味はわからなかったけど、単語がわからないことなんてザラなのでいつも通り文脈から予測してスルーしてた。けれど、その日、欧米人は英語でなんて言うかわからない時に自分たちの言語を混ぜて話しているのだと知ってから、自分の英語力が必ずしも低いわけではないのだと少し自信になったと同時に、そりゃ彼らはすらすら話せるわけだと思った。

さらに、あるクラスメートの英語をよく聞いてみると、時々「シュ」という音が入る。英語にはないはず、、、「シュ」という音を混ぜた英語を話すのは、オランダ人のクラスメート。さては、オランダ語と混ぜて話しているな、、、

そして、よく授業中発言するスウェーデン人のクラスメートについては、正直私は何を言っているのかさっぱりわかっていなかった。彼と同じグループワークのグループになった時、whatappのチャット、つまり、ライティングでさえ、わからなかった。チャットの時は、彼だけでなく、他のよくしゃべる他の人のテキストさえ、解読が難しかった。
彼らは母語の文法のまま英語に変換しているようで、彼らの英語の文法はめちゃくちゃでした、、私がスウェーデン語を勉強して理解できるのもあるのですが、特にそのスウェーデン人の英語はまんまスウェーデン語の文法で、スウェーデン語わからないと読めなくないか?!と思ったほど。

(お袈裟に言うと、)彼らは、文法も、発音も、単語も、めちゃくちゃなのに、どうやってお互い通じ合っているの?!?!

日本語話者が英語できないのは当たり前

彼らは自分の言語と英語は比較的似ているし、違う欧米の言語とも比較的似ているから、きっと混ぜて話していてもなんとなくわかっちゃうのかな。
流暢に英語を話すように聞こえる彼らにとっても、英語は第二言語。比較的多くの人はcomfortableに英語を喋るけど、それでも完全にストレスフリーというわけじゃない。
完璧な英語は誰も知らないし、誰も完璧に英語を話していない

彼らからよく言われるのは、「日本語と英語は全く違う。なのにこんなに喋れてすごいよ」ということ。
日本だと、英語のレベルの世界ランキングがとても低いから、それを批判されることが多いけれど、それはそうではないか?と思う。
結局グローバル化が進んで英語が必要となり、英語教育が注目されるようになったのは20世紀後半のごく最近のこと。そこからよーいどんで英語教育が開発されたら、欧米の英語力が勝るのは当然でしょう、、、!
日本語と英語はかけ離れているから、日本語話者にあう英語教育を開発するのに、欧米よりも長い時間がかかる。
だから、日本の英語教育が遅れている、と言うわけではないと思う。

むしろ、日本語話者にあった英語教育を考えるのに必要な時間だとも思う。完璧な英語がない中で、英語教育の時間を増やしたり、スピーキングの時間を増やすのは、「英語を流暢に話す欧米の教育スタイルだから」といった単純な理由であるならば、賛成ではない。
母語教育は大切だと思うし、日本の文化を疎かにするまで英語に時間を割くのには反対。
それに、日本語の古典や日本語の言語学とかを学んだら日本語の理解が深まって、英語へのアプローチの仕方がわかり、英語を学びやすくなるかもしれない。

they should be encouraged to develop original theories and concepts that are embedded in their specific socio-economic contexts, and try to make those theories recognizable and visible by actively participating in international theoretical discussions and debates.
非英語圏の学者は、自らの社会経済的文脈に根ざした独自の理論を発展させ、それを国際的な議論で認識されるよう努力すべきである。

Hassink, R., Gong, H., & Marques, P. (2019). Moving beyond Anglo-American economic geography. International Journal of Urban Sciences, 23(2), 149-169.

間違っても話そうとする姿勢?間違ってると思って話してないよ


確かに、コミュニケーションが目的だから間違っても話そうとする姿勢は大切だと思う。
でも、彼らは、「間違っていると思って英語を話している」のではなくて、「彼らの言語をもとにそのまま英語へ翻訳して、結果文法的には間違っている」、というだけだと思う。
彼らの言語は英語に似ているから、そのまま英語へ置き換えても通じちゃう。
自分の言語を話すつもりで、”彼らなりの”英語を喋ることができてしまう。

だから、「間違っても話そうとする姿勢」を大切にするのではなく、相手に伝わる文法を掴むことが大切だと思う。
日本語の場合、英語と全く言語が違うので、英語が物事をどのようにみているかを知ることが鍵となると思うし、そう考えると、英語の文法の勉強が日本語話者にとって英語を上達させる1番の近道だとも思う。

スピーキングも大切だけど、英語と似てる言語を話す欧米の人たちとはスタートラインが違う。スタートラインが違うと言うのは、先を行ってる・遅れてる、のではなく、そもそもの場所が違うと言うこと。

私たちが彼らを「流暢に英語を喋っている」って思うように、彼らも日本人の英語を「綺麗な英語」と思うんじゃないかな。

言語が全く違うのだから、日本語話者は、正しい英語喋ろうとするのはいいのではないかな?

最後に、英語ネイティブの人たちは、自分がネイティブであることについて、どう思うのだろう。

私は帰国生でも英語の塾に通ったことがあるわけでもないし、だからといって、英語の先生でもなくて、英語教育の詳細はさっぱりわからないです。
いち留学者としての意見が、なにかの参考になったら幸いです。

英語の辞書・日本語の教材があるって幸せ

英語を喋れないと国際社会についていけない、というのもまた事実。

そんな中、少なくとも、日本語で英語を学べてよかったと思う。
最初は、誰かが英語を日本語に一言一句翻訳してくれていたはず。
しかも、英語の教材でわからないことが出てきたときに、日本語で検索すると大抵のことは出てくる。
それも、初め英語圏で生まれた概念を、誰かが和訳してくれたのよね。

そして、それを辞書にして、さらにはデジタル化をして、、
辞書やchat pdp, 日本語の文献、さらにはパソコンを作った人、などなど、、本当にありがとう

世界には、英語ができないと、そもそも勉強の教材がない国の人がいる。
英語を学ぶにも、自分の言語では教材がないから、英語を1から英語で学ぶ必要がある人たちもいる。

英語が喋れないと、その国に英語が喋れる人がいないと、国際社会で発言力がない、というのはすごく不平等だと思う。
とはいっても、他に手段は思い浮かばないけれど。
それでも、世の中には、認識されていない声があることを、忘れてはいけないと思った。

Language is not only a means to communicate and to convey ideas and research results. More importantly, language also represents a way of thinking, a socially embedded, mental framework to do research (Rodríguez-Pose, 2004).
言語は、単にコミュニケーションの手段やアイデア、研究結果を伝えるものではない。重要なのは、言語が思考の方法、つまり研究を行うための社会的に埋め込まれた精神的枠組みであるということ。

Hassink, R., Gong, H., & Marques, P. (2019). Moving beyond Anglo-American economic geography. International Journal of Urban Sciences, 23(2), 149-169.

以上のような、英語圏・非英語圏の不平等さは、アカデミアの世界でも議論されていて、以下がその一部。ChatGDPに頼った日本語訳と原文です。

英語支配による二重の周縁化

英語の支配は、次の2つの形で周縁化を引き起こしている:

  • 地理的領域と研究テーマの周縁化
     英語中心主義により、一部の地域やテーマが地理学の議論から排除される。

  • 研究者間の格差
     英語という象徴的な権力が、一部の研究者を優位に立たせる一方で、非英語話者を不利な立場に追い込んでいる。

さらに、英語圏の文献や理論が議論の中心となり、非英語圏の視点が排除される傾向がある。


学術界における英語支配の現状

  • 英語圏の文献・教科書の偏り
     「国際的」とされる英語論文の多くは、英米圏の大学の研究者によって執筆・編集されている。また、教科書も依然として英語圏の学者によるものが主流であり、非英語文献への参照が少ない

  • 国際会議での英語の優位性
     国際会議では英米圏の研究者が基調講演や重要なレクチャーを担当することが多く、議題設定に影響を与えている。


脱英語中心主義への提言

  • 非英語文献の再評価や活用を奨励するべきである。

  • 非英語圏の学者は、自らの社会経済的文脈に根ざした独自の理論を発展させ、それを国際的な議論で認識されるよう努力すべきである。

  • 学術界全体で、英語支配の構造が意図的・無意図的に形成されていることを認識し、改善する必要がある。


Language is not only a means to communicate and to convey ideas and research results. More importantly, language also represents a way of thinking, a socially embedded, mental framework to do research (Rodríguez-Pose, 2004).

That might have two kinds of consequences for non-English human geographers who write in English. First, it might have consequences for the research topics they choose. In order to be accepted by Anglo-American editors and referees, they might choose research topics that dominate in the Anglo-American discourse at the expense of locally situated research topics (Paasi, 2005). Secondly, in writing about locally situated phenomena in English, something might get lost in translation or the unwritten might not be conveyed (Short, Boniche, Kim, & Li, 2001).

the domination of one language leads to two marginalization processes, namely the marginalization of geographical areas and research topics, due to linguistically caused ethnocentricity, and the marginalization of colleagues, because language is a symbolic power which empowers some and disempowers others.

concepts emerging mostly in Anglo- Saxon publications dominate theoretical and empirical debates.

Hassink, R., Gong, H., & Marques, P. (2019). Moving beyond Anglo-American economic geography. International Journal of Urban Sciences, 23(2), 149-169.

でも、このおかげで、非英語話者は、英語を学ぶことで視野が広がる
日本語と英語なんて、主語のあるなしで違うから、見方が違う
言語学の本よんできづいたこと、思い出した

we encourage reviewing literature in non-English languages

the dominance of Anglo-American economic geography discourses globally should be properly seen as an outcome of the academic behaviour and practices of both English native-speakers and scholars and institutions in non-English speaking regions, regardless with or without intension.

they should be encouraged to develop original theories and concepts that are embedded in their specific socio-economic contexts, and try to make those theories recognizable and visible by actively participating in international theoretical discussions and debates.

Hassink, R., Gong, H., & Marques, P. (2019). Moving beyond Anglo-American economic geography. International Journal of Urban Sciences, 23(2), 149-169.

The polyvocal character of economic geography includes a variety of language areas, a phenomenon so far unknown to a large part of Anglo-American economic geographers. Particularly in the literature about theories, perspectives and paradigms, the non-English speaking world is largely ignored as a basis for debate. Even worse, leading scholars in the field increasingly use the term Anglo-American economic geography to refer to the whole field, although they describe trends and theories in both general and authoritative terms.

One of the key indicators is the increasing use of English in human and economic geography, as well as in most other academic disciplines.

First, concerning so-called international (i.e. English-written) journals it has been criticized that the authors and editors in chief are predominantly based at universities in the UK and North America, and therefore over-represent this language area (Bański & Ferenc, 2013)….
Secondly, Barnes (2002, p. 490) emphasized the influence of English-speaking text- books on non-Anglophone parts of the world…Although the current generation of textbooks pays more attention to work and traditions in other parts of the worlds than previous generations…, they are still mainly written by scholars based in North America and the UK and do not refer to non-English literature….
Thirdly, the mobility of Anglo-American economic geography also happens through international conferences. … Moreover, agenda-setting keynotes and prestigious lectures are often held by scholars based at universities in North America and the UK.

Hassink, R., Gong, H., & Marques, P. (2019). Moving beyond Anglo-American economic geography. International Journal of Urban Sciences, 23(2), 149-169.


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