トルコ③「イスタンブールは世界の縮図」帰国後、タバコ吸いたいって思った話

この下書きを書いてから、もう2年が経過していました。今読み返すと、当時どれだけ感情に翻弄されていたか伝わってきます笑 同時に、あれだけのショックを受けながらも、その経験の大半を忘れていたことに気付かされました。20歳の時の自分に、この旅の記録を詳細に残しておいてくれてありがとうと伝えたい。今の自分の背中を押してくれるような、何か前向きな風をもらってる感じがする!

当時は、当時の感情のままに、当時の経験を綴っていたので、かつ、2年前の私の文章力は酷かったので、読みづらくて、その時何が起こったのかをこの文章から読み取るのは大変な作業なのだけど、その時の純粋な加工されていない気持ちを記録するために&伝えるために、恥ずかしながらこのまま公開させて頂きます🙇‍♀️ 偏った言葉や考えがあるのですが、ご容赦いただけると幸いです。 
2024/10/6 22歳の私より

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12〜2月色々悩み&ほぼ毎日何かしら刺激あって(今すっごい元気!)前回からめっちゃ日にち空いちゃったけど続き!

ファザとの出来事があって、イスタンブール全体の見方が変わった。

ファザが健康を考えずタバコとかお酒をたくさん摂取したり、銃や麻薬ビジネスに参加していたりするのは、「今を生きてる」から。将来を考えたら辛いって言ってた。今を必死に生きてるんだなって思った。でも彼はそこにい続けるしかできないし、彼もそれをわかってる。彼の方が、彼と私たちの間にある「差」をわかってた。「差」を受け止めてこんなに(トルコ①②参照)親切な態度取れる強さはどこから来るんだろう。

でも、マジョリティーはそのような態度を取らない。ファザと会ったのが普通のレストランってこともあって、イスタンブールで働く人の生活はファザと同じような境遇なのではと思うと、以下に書く不快なイスタンブールでの出来事も、同情じゃないけど彼らの行動の原点が見えて、今までと違った風に見えた。


客引き

まず、客びき。

「海外旅行 注意点」とかで検索すると、客びきに注意とか結構出てくる。確かに、他の国でないわけじゃない。でも、イスタンブールは尋常じゃなかった。

道路の向こうから声かけてくる。普通の商店街みたいに道路の両側にお店がズラーっとあるから、両側から客びきの声を浴びせられる。しかもNoって言っても懲りないし、進む道ブロックしてくるの。「ここの店は他の店より安いよ」「これはとっても美味しい」「とても綺麗なテラス席あるよ」って。イスタンブールついた時から、誰もいない空港のMeeting pointとか雰囲気悪いバス停で降ろされたり(トルコ④参照)してメンタルやられてたから、普通の比較的整ってる商店街エリアでさえ一人で歩くことが怖かった。ただ一回中心街とそこから徒歩5〜10分のホテルを一人で往復しないといけない時があって、その時は怖すぎて猛ダッシュした。でも、それでも両側から客びきの声かけられるの。私にとって人気少ない夜間よりも昼間の方が怖かった。

道をブロックされて客びきされたある時、急いでるからって断って行こうとしたら、起こり始めて「何に急ぐっていうんだよ」とか「意味わからない」みたいな暴言吐かれたの。

あと、こんにちはとも声かけられるけど、ニイハオとかアニハセヨって声かけられたことも多々あった。挨拶したら何か買ってくれるのでは客びきだった。「ニイハオ、アニハセヨ、こんにちは」って全部言われたこともあった。全部違う言語ってわかってるのか怪しいし、アジア全部一緒って思われてそう。(スウェーデンでもアジアの違いわかってる人はあまりいないらしい。でもスウェーデン語以外で話しかけてくることはまずない。)

ちなみにバスの発券機のエリアも客びき状態。ここに関しては、チケット買うまでそこ動けないから私には地獄でした…「チケット買うの?」「買い方教える」などなど。答えたらお金取られる。無視しても無視しても声かけられ続け、気がついたらいなくなってるor暴言吐いていなくなるor私が他の観光客と話し続けるのいずれか。

ただ無視したらチケットの買い方わからないのも事実で、近くの観光客の人と一緒に奮闘してた笑

ツアーの中国人はたくさんいたけど、個人のアジア人はあまりいなくて、しかも友達と日本語話してたから格好の餌だったらしく何人も話しかけてきた。「日本人?」「日本語喋ってたよね?」って言われる。途中日本語やめて英語で話してたんだけど、英語も通じちゃうから困ってたわ笑なんでこんなに流暢なのってくらい日本語話せる人チケット売り場だけで3人くらい見て、確かにトルコが親日って言われてるのわからなくもなかった。でも、日本語話せても日本のこと知ってる人はほとんどいないと思う。少なくともイスタンブールの観光地では。イスタンブールが貧富の格差大きい+財源となる観光客多いからってのもあると思うけど、生活のためとはいえ日本語をビジネス目的で使ってる人が多いと感じた。(日本のことわかっての親日の人は、イズミルで出会った。トルコ④参照。)

ぼったくり

次にぼったくり。

イスタンブールの値段の付け方が理解できない。

バザールでは客によって値段変えるし(トルコ②参照)、テラス席や食べ終わるとお皿下げる接客とか付くとスウェーデンより高くなる。テラス席って言っても2〜4階の普通の席で、海が見える席をテラスって言ってる気がする。ホテルでの朝食のテラス席、海綺麗だったけど格差の暮らしも同時に見えた(トルコ②参照)



多国でのホスピタリティをただ真似しているだけ。その真似たホスピタリティを付加価値として値段釣り上げてると思った。立場上の人はまあまあ自然な笑顔だけど、普通のスタッフは笑顔じゃないし姿勢悪い。ただただ水を注ぐとか、お皿下げるとか、ハジの方に立ってお客さん見て呼ばれたらすぐ行けるようにしてる(実際はぼーっとして手を上げても気づかない)とか、ホスピタリティというより、ハンバーガーとかのオプションのトッピングって感じがした。

ホスピタリティの質と値段のギャップは、私が日本人だから大きく感じたのもあるかも。ただここで強調したいのは、イスタンブールでは、財源としてのホスピタリティへの執着が激しいと感じたってこと。

「食事どうでしたか?」「ホテルは心地よかったですか?」って笑顔で聞いてきて、「おいしかったです」「快適でした」っていうと、「Googleマップで良い評価つけてね」「ホテルズドットコムに評価してね」、「次はもっと長く止まってね」って言われる。やり方まで丁寧に教えてくる。

ホテルから空港まで、プライベートバンをホテルに手配してもらった(トルコ②参照)。最初感じの良いドライバーで荷物も笑顔で運んでくれた。でも最後、一変した。ドライバーがケータイを差し出してきたの。そこにはGoogleで翻訳されたメッセージがあって、「私にチップをくれますか?」って書いてあった。その文字を見た時の怖さは忘れない。私たちがNoって言うと、怒った感じで何か言われて、どこかに電話かけながら帰って行った。すごく怖かった。笑顔の裏をしっかり見た。

ホテルから空港まで、750リラ、約5500円で結構いい値段。しかも、二人だからタクシーサイズでいいのに特大の車用意された。(余談:ホテルなのにカード使えなくて、でも夜でATMしまっててトルコリラ引き出せなかったから手持ちの現金のスウェーデンクローナで支払った笑 ちなみにホテルのスタッフに、ホテルのスタッフにカードだとマージン取られるからキャッシュでって言われたの。貧しさのレベルが伝わってきた。)

客びきとぼったくり。

この日本語が適切だとは思わないけど、私が感じた違和感はこの日本語の意味と全く違うものではないからこの言葉使う。

正直、イスタンブール全体がこんな社会って思うと恐ろしかった。一本道入ると荒れた住宅、ちょっと歩くと麻薬や銃の世界、観光地のレストランやカフェで働いている人の中には麻薬や銃と繋がってる人、ビジネススマイルや客引きでいっぱいの観光地、でもちょっと離れるとビルのあるビジネス街、、、

恐ろしい一方で、一種の生きる手段なんだとも理解した。生きるのに必死なんだと。

あとそもそもの価値観の違いもあるかも。

例えば私の思う詐欺と彼らの思う詐欺の程度が違う。

普通に売ってるタバコにドイツ製って書いてあったからYさんは買ったんだけど、ファザが当たり前のように「ドイツ製じゃないよ。そう書けば売れるから書いてるんだよ」って言ってた。

あとYさんがトルコアイス買った時の話。トルコアイスの芸をしてきて(これは一般的なこと)、結構長かった。ずっと歌ってて、Yさんがアイスもらった後も歌が続いて、私はいらないって言ったのに、スタッフが「サービスサービス」って歌が止まらず私にもアイスを渡してきた。結局私の分のアイスまでお金取られた。今思えば彼の歌無視して帰っちゃえばよかったって思う。

詐欺じゃないけど、割り込みの話の余談。ハギアソフィアにはいるのに大行列で、1時間くらい並んだ。後ろの人が英語で話してて気づいたんだけど、割り込みがあって列が伸びてたの。割り込みしてくる人はちょっとでも列に隙間があるとそこに入ってくる。入り口の直前は戦場だった。後ろの人は強く割り込みするなって言ってたけど、彼らは笑いながら入ってきた。私はもう怖すぎて声出せなかったから近寄られる前に思いっきり睨みつけて、割り込みしようとしてるのわかってるぞアピールしてた。(ハギアソフィア、スカーフしないと入れないの知らないで入ってしまった、、、)

よくこんなことできるなって思う。でも、詐欺を詐欺って思ってないのかもって思う一方、彼らにとっては詐欺に入らない低いレベルの詐欺なのかもと思ったり。

イスタンブールで仕事するデンマーク人(多分)からのメッセージ「イスタンブールは世界の縮図」

一つのまちに、こんなにも格差が混在していること、とても辛かった。

鞄屋さんでその店主の息子さんと話してたんだけど、彼に「トルコにお金落としてってよ」って言われた。その人アメリカで観光業学んだらしい。日本にもお店持ってて、電話繋いでくれて日本語で日本のお店の人と話した。

(トルコと日本は政治的に友好だから、手続き的にトルコ人にとって日本はビジネス展開しやすいのかなって思った。親日かどうかは置いといて。)

その息子さんに、「顔色良くないよ、疲れてるんだよ」って言われた。その時は一刻も早くトルコから出たかったくらい頭がくしゃぐしゃだったから、酷い顔してたのかな。隣のお店からお茶持ってきてくれた。でも信用していいのか、お金取られるんじゃないか、怖くてノーって言ってた。でも、よっぽど私の顔が怯えてたのかな、何度も大丈夫って言って飲ませてきた。大丈夫だった笑

その後、ちゃんと日本でお店あるよっていうインスタも見せてくれたし、オーナーとも電話させてくれた。信用を作ってくれた。そのお茶はとっても美味しくて、飲みながら号泣した。

イスタンブールにいた時の頭の混在具合、複雑な気持ち、親切にされた時とそうでない時の気持ちのアップダウン、気づいたら涙出て止められない、などなど、言い表せられない。

イスタンブールの空港に着いた途端、トルコにいない気がした。安心感で違う国にいる気がした。まだトルコなのに。イスタンブール空港に一泊したんだけど、ちゃんと寝れた。

しっかり空港の入り口に検問あった。


でも言うて空港でも不思議な光景見た。たくさん荷物持った移民の人、移住する人を見送ってトルコに取り残される人々。取り残される側には子供もいた。

空港で、トルコ①で紹介した、イスタンブール空港で助けてくれた、イスタンブールで仕事する多分デンマーク人の女の人にトルコでの出来事についてメッセージ送った。

テロあった場所だから怖いのわかる、って言ってくれた

トルコ(イスタンブールだっけ)は世界の縮図、それをわかってくれてよかったって。

アフガニスタンのドキュメンタリー作ってるって

帰国後、タバコ吸いたいと思った話

スウェーデンへ帰国後、言うて帰り道からだけど、何も考えない、チルを理解した。今まで何かしら考えるのを止められなかったし、考えない時間が無駄だって思ってた。でも、一旦考えるのやめよ、とか一層自然に笑うことができるようになった。

と言うよりも、気づいてたらぼーっとしてた、笑わないとやってられなかった。

辛すぎた。違いがあるのが辛すぎた。タバコとかお酒をたくさんやる人の気持ちが理解できた。自分の家帰って一人の時、辛すぎてタバコ吸いたくなった。お酒飲んで忘れたいって思った。一方でタバコ吸いたいって思ってる自分をすごい怖いって思った。二つの気持ちの板挟みも辛かった。

ファザの前で泣いちゃったこと後悔して、涙をコントロールできるようになりたいって思って練習しようとした。でも泣こうと思ったら涙出なくて、そしたら突然止まらなくなった。自分は自分って思えるようになるまで2週間以上かかった。

(この段落何言いたいか整理できてないので全然パスしてもらっても!)

辛いって思っても、自分がファザとかの生活できるかって言われたらできないし、彼らのためにできることはたかが知れてるし、彼らのために何かすることが正解とも思わない。

こういう現実知って、何かするのは尊敬すべきことだけど、それは逃げじゃない場合だけ。

私にとって、辛い現実に関わってる方がある意味ラクだった。小学校の頃から難民問題興味あって、中高でボランティアしたり、大学でNPOでインターンしたり、自分では夢に向かって一生懸命なはずだったけど、今思うと逃げだったのかなとも思う。自分をしっかり持ってなかったし、覚悟なかった。

関わるんだったら、ちゃんと自分のできることを把握して覚悟すべきだった。

実際、国境なき医師団目指して初め理系行ってたけど、覚悟ないなって思ってやめた。心のどっかでは自分にはできないって思ってた。でも、その現実に身を置かない方が辛いから意思決定に時間がかかった。

辛い現実を言い訳にして自分のやりたいことだって思ってた気がする。

違い、差を受け入れて、自分の生きてる世界を自分で決める。トルコ行って、自分を作ってたものは自分じゃなかったなって気づいた。自分のやりたいこと、目指すもの、強さや弱さを見直して、周りにダイレクトには影響されない強い自分を持てた。そうなるまでの2週間ほぼ部屋にいて無気力だったけど。トルコから帰ってきて、落ち着くまで家にいていいよって言ってくれたホストファミリー(三泊くらいした)や話聞いてくれた友達には感謝しかないです。

(まあ今思うと、12月の父親との旅行や1月の新学期、2月の悩んでた時期通して振り返ると、12月頭は自分を持った第一歩だったなって思う。)

トルコきて、生きてるってことを思い出された感じがする。今を大切にする大切さを知った。

私のやりたいことは、未来を作る仕事。トルコ帰国直後は、今しか生きれない人たちいるのに、私がやりたいことは未来を見てる。それでいいのか?って思ってた。

でも今は、今生きてるってことを大切にしつつ、今しか見れない人たちを知りながら未来を作る仕事を目指すのは意味があるって思ってる。いまだに辛いけど笑

このトルコ①〜③で、不自然な笑顔の話を繰り返した。日本では、「笑顔は無料だからたくさん笑って幸せになろう」っていう。でもイスタンブールでは、「笑顔は無料だから無料の投資になる。笑えば良い接客って思われて高い値段でも文句言われない。」or「笑わないとやっていけない」って場面が多かった。日本では笑顔は幸せよぶアイテムだけど、イスタンブールでは投資や薬みたいなものだなって感じた。

でも、とっても心温まる出来事もたっくさんあった!

トルコ④へ!

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笑顔は無料

トルコはお金のため、無料の投資、笑えばいい接客になって単価上げても文句言われない=投資/笑わないとやってけない=麻薬

日本は幸せになるため

日本で働くことについても話した

日本人は、「楽しい人生」じゃなくて「楽な人生」 何かしなきゃって思って色々やっちゃうけど、それ確かにやってる方が気持ち楽だし就活もやった方が楽だけど、楽しくない

スウェーデンきて、楽しさを知った

ファざからもらった50リラ

いつか返す。

今は「違う」って思ってる。自分の生きる世界は自分で選ぶし自分で作る。

だけど彼らのことは絶対忘れない。「モチベーション」

自分がまず生きなきゃ。自分の世界でまず生きる。

スタディツアーとかスラムとか行くのってそういう視点を持っていくじゃん?でも私は、友達から入った。「違い」だけじゃなく「差」がある人を、初め「同じ目線」で見て友達になった。だからこそ、「違い」や「差」を、すっごい見た。違う世界をみた。違う世界で生活している人と友達になった

今生きてるってことを大切にしつつ、今しか見れない人たちを知りながら未来を作る仕事を目指すのは意味がある、辛いけど

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