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スウェーデンは福祉国家なのか...?①;医者に会えない合理性と「自然には抗わない」死生観

スウェーデンは福祉国家っていうイメージに意見したい、、!!


イントロ

11月の怒涛な授業を乗り越え、12/3締切のテストを終え、また新しい授業始まるとはいえクリスマスシーズンを楽しむぞというところで、思いっきり体調を壊しました、、

喉の痛みから始まり、寝れないくらいの頭痛と、何度も転んで膝にいくつもあざができるほどの目眩が、1週間以上続きました。あとから鼻水と息苦しさも💦
熱は微熱程度で高熱ではなかったので、暫く様子を見てたのですが、あまりにも頭が痛くて、授業のセミナーを乗り切れるかの危機にあったので、かかりつけの病院(住んでる場所によって割り当てられる)に行きました。

しかし、思ったものの違った、、、パーソナルナンバーをもらいかかりつけ医が割り当てられ、嬉しくて期待してた自分を殴ってやりたい、、(「2024🇸🇪 ツッコミどころ満載の日々③社会福祉とスーパー編 その1」へ)

医者に会えない病院


かかりつけ医に会う前の段階でナースに会ったのですが、彼はただただ話聞くだけ。話聞いてほんとに淡々とメモ取る。しかも、めっちゃ患者に話させる。
「その症状はどのように変化しましたか?」「目眩をどのように表現しますか?」
読解の記述問題みたいな難題、、

ずっとクラクラして霧の中にいるような感じなのに、何回も転ぶほどなのに、この目眩&頭痛を何度も色んな表現で伝えても、temporaryなものって捉えられ、こっちも説明するのを諦めました。

パーソナルナンバーをゲットしたのでやっと病院に行きやすくなるって思ったのですが、大抵の場合、かかりつけ医師に会う前のナースによる問診のみで、何も診察たか検査とかしないようです。じゃあ彼らはそこで何してるのよ、、?問診という名の、医者に会えるかなスクリーニング、、

How can I help youって言われて、何が自分に起こってるのか知りたい&学校に提出するドキュメント欲しいって言ったら、私が言ったことをただ書き写しただけのドキュメントのプリントして持ってきた。

結局何も解決しなかった。「熱がひいたってことは治ってきてるいい兆し。咳がひどくなったらor熱がぶり返したらきてね」、以上!
熱があったらちゃんと診てくれたの?でも熱ない病気もあるのに、、重症化するのを待てってこと、、?
因みに、微熱があった時病院行かなかったのは、土日休みで行けなかったから。

スウェーデンで医者に診てもらうためには、1)熱があること 2)1週間以上症状が続いていること、この2つの条件を満たしていることが大抵の場合の最低条件。
怪我している場合も手術に数ヶ月待たされたり、医者に会えたとしても「わかんないや」と違う医者を紹介されて、その違う医者に会うための予約が1か月先なんてこともざららしい。

しかもパーソナルナンバーゲットしたとはいえ、まだ銀行開設できてなくてbank idというものを持ってないから、医療サイト?にログインできず、予約できなかった、、、だから朝一番に寒暗い中行ったのにこの仕打ち、、、なんで病院で銀行関係のものが必要なんだ、、早起きも返せ、、

病院行けない”合理性”と休める文化

ほんとこの国で病気になったら終わりだとつくづく思う。
重症じゃないなら診ないっていうのも合理的でわからなくはないけど、薬くらいくれてもいいんじゃないだろうか、、日本から市販の薬持ってっきたけど全然効かないし、ちゃんとした薬欲しい、

でも風邪ひいて休める文化があるのはいいことだと思う。薬で症状抑えて無理やり仕事行くより、自然治療でしっかり休む方が、治療っていう意味では理にかなってる(?)と思うし、税金で薬代賄われてるから経済的にも優しい。

そして、風邪ひいたからって他の人を責めたりもしない。2月は子供が風邪ひいてみんな大人は交代で仕事休むから、2月Febrariを文字ってVabbruari(子供の看病休暇)っていうらしい。モラル的にも、合理的。過ごしやすい。

こう考えると、かかりつけ病院の対応が合理的で非の打ち所がないように思えてる、、このイライラをどこに向ければいいのやら、、、

この後、そういえば薬局にいけば薬をもらえることを教えてもらいました。薬剤師の権限も欧米と日本と違うらしい。薬をゲットできたのは良かったけど、目が回るめまいがするって言ったら、I don’t think soって言われて、またまたイライラ度アップ。(ちなみに、薬のタブレットの配列がバラバラすぎて謎でした。)

イライラするけどその通り、、だから余計に悔しい、、笑

薬を飲みたくないスウェーデン人

ただ、テストがある時に風邪ひくと辛い&不安🤧追試or追加課題は絶対嫌だから、薬でなんとかやりきりました。日本の皆勤賞好きだったの思い出した。きっとこっちには無いんだろうな。

スウェーデン人は、医者になかなか会えないシステムが要因なのもあるけど、そもそも薬をあまり飲みたくないらしい。
薬に頼らないことで、抗体をつくって、丈夫な体にするんだとか。
コロナのときも、生活の制限はいっさいなかったみたい。

賛否両論あるけれど、この考え方に、自然と密接なスウェーデンの文化や「自然には抗わない」というスウェーデン人の根底にある価値観が垣間見れました。
スウェーデン人の自然への考え方は、死生観によく現れていると思う。

森の墓地:自然には抗わない

スウェーデン人の死生観と自然への向き合い方は、ストックホルムの森の墓地"Skogskyrkogården"に訪れた時に、考えさせられました。”森の墓地“は、周囲4km以上のとても広い墓地。10万人以上が眠る世界遺産の共同墓地。

2024年11月2日は、All Saint’s Day、 諸聖人の日。お盆に似ている日。この森の墓地が、特に特別な意味を持つ日。年に一度だけ、チャペルと火葬場も含め5つの建物全てが開きます。墓石に蝋燭が灯って、多くの人が大切な人のもとへ訪れる。
2024年11月2日の朝、ストックホルムへの列車の中でこのことを知り、そもそも昨日までAll Saint’s Day自体を知りませんでした。二日後に行く予定だったけど急遽予定を変更して、森の墓地へ向かいました。

森の中に蝋燭がポツポツと揺らめいていて、幻想的だった。ハロウィンの飾り付けがされたお墓があったり、ところどころにベンチもあったり、子供が丘の上ででんぐり返ししたりしてはしゃいでいたり、お墓の周りで駆け回っていたり。
蝋燭の火のせいか、不思議な温かさだった。

一周するのに2時間くらいかかるほど広いし、森の中の道が多かった。地図使いながら歩いてたのですが、ぼーっとして何度も何度も曲がり道を通り過ぎるほど、吸い込まれそうな空間でした。

森の中の移動の道も最低限に作られて、建物も人工的な「デザイン」が排除されて、環境との調和に重きが置かれた建築・空間。
植生も含めて、この空間が維持されるように考えてられてるみたいです。

人を含めて自然だし、自然はかえるもの。
この森の墓地自体だけじゃなくて、ここに訪れる人々が合わさったこの空間をみて、すごく死生観を考えさせられました。
自然を生活の中で大切にするスウェーデン人の死生観は、文化や社会システムにちらほら現れてるのかな。

以下のサイトを読んで、“自然の尊厳さ“という言葉が私が感じた気持ちを表す言葉にピッタリだと思いました。

また、以下の動画を見て、長生きして亡くなった時、生きたことを「おめでとう」とお祝いする文化にはっとさせられました。
だから、森の墓地が「暖かかった」のだと。だから、子供達がはしゃいでいたり、お墓の前で人々が楽しそうに団欒していたのだと。

「森に眠る」「旅立ち」「生きたことがおめでとう」
色々考えさせられた、自分でも何を考えているのかわからないけど、ただただ何かを考えさせられた。
そして、うまく言葉にできないけど、心が浄化されたような落ち着いた気持ちに心が満たされました。
All Saint's Dayの森の墓地に来れて、本当に良かった。


こんだけ医療事情についてイライラし、でもそのおかげで色々考えられたけど、この後、とんでもないオチが待っていました、、、
続きは次の記事へ!




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