<SUGA | Agust D TOUR 'D-DAY' in JAPAN>'D-DAY'までの道のり
こんにちは!
「仕事も趣味も子育ても全力で楽しむ!」がモットーのみはなと申します。
このブログは、物書きの息抜きブログのため、仕事モードの執筆方法とは全く形が異なることを最初にお知らせしておきます。
だたの書き殴り、もしくはエッセイみたいなものだと思ってお読みいただけると嬉しいです。
すべてはここから始まっていた
2022年9月27日。
私の誕生日の翌日にゆんぎが来日してくれたのは、今でも最高の誕生日プレゼントだと思っている。
少し前、ゆんぎが来日するかもしれないとメディアが騒いで、結果、それは誤報で総スカンを喰らったばかりだったが、どうやら今度は公式が言うんだから本当の情報だ。
──ゆんぎが日本に来る!!
異国の推しが日本に来てくれるというだけで、毎日胸がドキドキして、どこか落ち着かなくて、そわそわしていたのを今でも覚えている。
私にとっては、全てが初めての経験だ。
「来日の目的としてNBA観戦がインスタに上がっていたけれど、それだけじゃないだろうな。」
「日本で曲作りでもするのかな?」
「誰と会うんだろう?」
なんてあれこれ想像を広げながら、会場までたった30分、しかも電車でたった1本の距離に逢いたい人がいるにも関わらず、逢えない現実をひどく突きつけられ、私は悔しくてめちゃくちゃ泣いた。
(余談だが我が家は🏀一家なので、ゆんぎが観戦に来るとは露知らず、申し込んでいた同日のNBA観戦チケットは、全て落選してダブルの悲しみだった……)
来日中は「いまどこで、何をやっているんだろう?」と、まるで片想いをこじらせた10代の少女のような気分で彼の行動が気がかりだった。
しかし、今となっては私の近隣界隈からは全くの目撃情報が入ってこなかったので、ある意味それが本当に救われた。
ゆんぎが日本での仕事を終え、韓国に帰ってしまってからは自分でも驚くほどの喪失感がすごかった。
決して今生のお別れではないのに、私の気分はまさにそれほどのもので、この感情をどう消化していいのか分からない日々が続いた。
もう日本にはいないゆんぎに想いを馳せることしかできなくて、「逢いたい」と何度もつぶやきながら目頭が熱くなって、今にもこぼれそうな涙を拭おうと、ふと見上げた秋の夜空には、細くても力強い綺麗な三日月が輝いていた。
この三日月を見てから、私の中では勝手に「月=저 달=ゆんぎ」のイメージになった。
バンタンで月といったらジミンちゃんのイメージだけど、私は夜空の月を見ると、途端にこの日を、ゆんぎのことを思い出す。
カタチのない自分の感情になかなか折り合いがつかない日が続きながらも、日に日に丸みを帯びて、ゆんぎが帰ってから初めて迎える満月の夜。
彼の面影に縋るよう、満月を見上げて私は願った。
『ゆんぎに逢いたい。逢わせてください──」と。
当落はなぜか落ち着いている自分がいた
AgustDのワルツが発表されて、日本でも開催することが分かって、私はその日にすぐにホテルをおさえた。こういうとき、フリーランスは融通が効くから万々歳だ。
少し前まで定職に就いていた頃は、公式からの告知があるたびに「その日は仕事だ……」とか「11時は絶対に抜けられない……」とかいろいろ頭を抱えていたけれど、今はそのストレスから解放されたのは大きい。
関東圏に住んでいるのに、横浜やみなとみらいには全く土地勘がなくて、とりあえずアクセス重視で駅直結のホテルを2泊おさえた。
時間が経ってから他のホテルもいろいろと見てみたが、見事に6/2〜6/4はどこも満室になっていたから、こういうときの初動は大事なのだと学んだ。
チケット申込初日「5万人待機している」「申込みまで1時間以上待った」などの情報をTwitterで見て、先着じゃないなら焦る必要はない、と申込み期間の中日くらいにやっと申し込んだ。
いつもの私なら、願掛けやゲン担ぎで一粒万倍日の日や大安の日を選んだり、神社に当選祈願に行ったり、お守りを買ったりするけれど、今回は敢えて全部やらなかった。
なんとなく、神頼みはひとまず置いておいて、自分の運で勝負したいと思った。
そして、先行申込みの発表前日。
この日のことをジャーナリングノートにも書いていたが、私はものすごく落ち着いていた。
もともと本を読むことが好きだった私だが、自分でも創作がしたくなり、物書きの真似事を始めたのが小5の頃。小6からはアナログの手帳に日記を書くことを短大くらいまで続けていた。
今はデジタル化が進んでアナログで日記は書いていないけれど、やはり何かしらペンをとって自ら文字を書きつづることは続けている。その延長線で、自分の感情の赴くままにその時の感情を書き溜める「ジャーナリングノート」というものがあると知って、かれこれ1年ほど続けている。
「ジャーナリングノート」と横文字にすればたいそうなノートなのかと感じるかもしれないが、ただ家にある大学ノートでも自由帳でも、とにかくノートならなんでもいいのだ。
気になること、感じたことなど、頭の中で考えていることを文字に起こすだけでもだいぶ思考がスッキリするし、何よりストレス発散にもなるので、推しへの愛をTwitterの140字では語りきれない人にはものすごくおすすめする(笑)
話がだいぶ逸れてしまったが、当落前日のジャーナリングノートは嵐の前の静けさのように穏やかで、そしてなんとなく、だけど。
なんとなく、私はゆんぎと逢える気がしていて、どこからともなく不思議な気持ちになっていた。
だから、この日のジャーナリングノートの文末は、
「私たち、絶対に逢わなきゃだめなんだよ!!」って堂々と書いてあった。
そして、当落当日。
まず11:22に1通だけメールが届いていた。
メールを開けた時の感情は、本当に「無」に近くて、「当選」の文字を見た時には、跳んではしゃぐように喜ぶのではなく、「よしっ!」ってガッツポーズを取るような、そんな荒ぶることのない落ち着いた感情だった。
ちなみに残り2通の「先般」メールは11:44にまとめて届いた。
こんなことになるとは思ってもいなかった
今となってはゆんぎがもたらしてくれた出逢いに感謝しているが、当落当時の私のリア友やTwitterで仲良くしてくれるフォロワニムは、どういうわけかゆんぎペンがいなかった。
「みんな、当落はどんな感じなんだろう?」といつもと同じように軽い気落ちでTwitterを覗いて目を見開く。
「当たりました~!!」ってつぶやく人はたいていアイコンがゆんぎではなく、そして周りから無差別に叩かれる事態で不穏極まりない。
そして、ここからはTwitterの闇というか、SNSの地獄の日々が始まった。
イルコンの当落日から、日々使い慣れているTwitterがまるで別世界のように居心地の悪い空間へと一気に変貌してしまった。
いつもゆんぎの愛を叫んでいる大手さん、
すごく綺麗な言葉を紡ぐバンタンやゆんぎのことを書き綴っているブロガーさん、
インスタで毎日ゆんぎを愛でる投稿をしている人……
いつも楽しく拝見していて、個人的にイルコンを一緒に共感したかったと思う方々がことごとく行けないと知った。
「もう〇年も逢えてない……」
「いつになったら私は逢えるの!?」
「こんなにゆんぎが好きなのに……」
「なんで私は行けないの!?」などなど。
毎日、悲鳴や嘆きにも似た悲しいつぶやきを見ては胸が苦しくて、なんとも言えない気持ちに押し潰された。
とどめには、「〇〇ペンが行くのに、なんでゆんぎガチ勢が行けないの!?」などの言葉も見て、私は本当に息苦しくなった。とにかく、みんながピリピリしていてTLは負のオーラしかない。
以前アミ会をしていた時に、ふと、とあるアミ友に
「今はこうやって和気あいあいと皆で集まって楽しんでるけど、実際イルコンやるってなって当落になったら確実に荒れるし、もう今までみたいにきっと仲良くできなくなるよ」
って言われたことがあって、その言葉を思い出して、「ああ、あの時の言葉はこういうことだったのか」って腑に落ちたくないけれどそう思った。
行ける人は喜ばしいことなのに、周りに気を使って「私行きます!」って堂々と言えない空気と、行けない人の悲しみに打ちひしがれた暗い空気の双方に挟まれて、私もしばらくは当たり障りのないつぶやきしかできない日が続いた。
実際、私が当選したことを話したのは、いつも遊んでくれるアミ友のごく数人と身内だけだったし、いつも遊んでくれる親友には、旦那よりも一番に当選報告をした(笑)
ゆんぎと逢えることを知った彼女は自分のことのように喜んでくれて、私は本当にこの子と仲良くなれてよかったなぁって泣きそうになった。(すぐ泣く情緒不安定)
私が彼女の好きなところは、なんといっても心が綺麗で優しいところだ。
「すみません」
「ありがとうございます」
「ごちそうさまでした!美味しかったです!」
当たり前のようなことだけど、ちゃんと口に出して相手の目を見ながら伝えることってなかなかできないと思う。
いつも一緒にいるだけで私まで優しい気持ちになれるし、彼女には見習いたいところがたくさんあって、一緒にいて自分を高めてくれる素敵な友だちだ。
誰よりも言葉を大切にし、一つひとつ丁寧な言葉選びをする彼女の「言霊」に私はこれまで何度も励まされたし、助けられてきた。
イルコンに参戦することは、ごくわずかにしか伝えず、当日までは言わないでいい。
全て終わったら「や~、実は行ってきたんだよね!」って事後報告でいい。
そうすれば全て丸く収まるし、荒れることもないし、そうしようって自分に必死に言い聞かせた。
でもある日ふと、「当選を隠しているのって、そもそもゆんぎ本人にとってはかなり失礼なんじゃないか?」と思うようになって揺らぐ日が始まる。
毎日ゆんぎゆんぎ言っているのが日常な私が、イルコンに関して何も発言しないのは、あきらかに不自然だし、多分フォロワニムも「そこんとこどうなの!?」って気になってたと思う。(実際、何人かにこっそり聞かれた(笑))
正真正銘ゆんぎペンを名乗っているなら、別に言っても罰は当たらないんじゃないか?と思い始め、なにより、마지막 (The Last)で
『내 fan들아 떳떳이 고개들길 누가 나만큼 해
俺のファン達 堂々と顔を上げてくれ 俺ほどの奴なんていないんだから』
って歌っているAgustD最強すぎて、やはりゆんぎペンとしてのプライドを持とう!!って心に決めた私は、ヘグムのMV解禁と同時に当落を解禁した。
実際、心優しいフォロワ二ムはみんな祝ってくれてすごく嬉しくて、ここでも祝福の嵐にまた泣きそうになる。(またしても情緒不安定)
けれど、やっぱり全てが綺麗に丸く収まらないのがTwitter。
挨拶以来、全然関れなかったとある方に見事に空リプで毒吐かれたのを見てしまった。そう、なんか見た。(笑)
確か、その時私と繋がっていた唯一のゆんぎペンだった気がする。
勘違いではなく、明らかに私に向けて発した言葉だって分かったと同時に、こんなに汚い言葉を使う子がゆんぎを好きなのか……っていう現実を突きつけられて、私は悩んだ末、その子とお別れすることにした。
私の配慮が足らなかったのかもしれないけれど、無理してつながっている必要もないと思ったから。今まで、私と繋がってくれてありがとうございました。
ほかにも、先行や二次で落選してめちゃめちゃ言っていた人たちが、チケットを手に入れた途端手のひら返しが始まって、浮かれながらイルコンの話ばかりしているTLはカオスだと思った。
人間らしいといえばそうなのかもしれないけれど……。
この時のTLは憎悪と怨念みたいのが常に渦巻いていて、争いごとが大嫌いなINFP(仲介者)で天秤座の私、この時ばかりはいくらネット上でも、今後付き合っていける人を本気で考えさせられた。
綺麗ごとばっか言ってると思われるかもしれないが、常に純粋な気持ちを忘れずに生きていたいと思うので、私の人生はいつも生きづらさを感じている(笑)
でも、これもまた人生。Life Goes on!!
コミュニティは「凪」
いつまでも荒ぶりが収まらないTwitterに、とある方が逃げ場を作ってくれたのは本当に救われた。
多分、私にはここの居場所がなかったら、こんなにたくさんのゆんぎペンの方と繋がれなかったし、イルコンに向けた気の持ち用も全然違ったと思う。
コミュニティは、台風が去って晴れ間がでたように本当に平和だった。
(実際、本当に台風が来たし、去ったし、最終日は晴天だったしね)
会場の行き方や、周辺地域の情報、持ち物や服装の情報交換をしたり、当日までコミュニティのみんなと一緒に準備を楽しめたのもいい思い出だ。
長年別アカウントでずっとTwitterをやっているけれど、コミュニティの存在すら知らなかったし、なんなら未だにリストの使い方もいまいち良く分かってないし使いこなせていないアナログ人間だが。
きっと同じようにモヤモヤしていた人や、当選したけどなかなか言い出せなかった人がいっぱいいたと思う。
でも、ここでは堂々と話せたし、荒らす人もいなくてひたすら凪!!(笑)
本当に静寂な空間だったし、楽しいことは一緒に共感して、注意することは一緒に心掛けて、イルコンを盛り上げるためにそれぞれが努力を惜しまなくて、イルコンに向けた一体感がものすごく心地良かった。
コミュニティを立ち上げてくれた方には、本当に感謝しかない。
そして、いよいよここからが
私がゆんぎと逢う「D-DAY」へと繋がっていく。
2022年9月27日
月に願ったあの日──。
私はこの日を一生忘れない。