「おい、笑える」に敵うか(2024年『詩と思想』8月号 秋亜綺羅さんの話から)
私は今必死に、遅れた時間を取り戻している。大学を留年してしまった遅れは永遠に取り戻せないが、積ん読している本は読める。現在、やっと『詩と思想』8月号を読んだところだ。そこでの、秋亜綺羅さんの記事が面白かったので考えを記してみる。
師匠的な存在だった寺山修司さんから学んだことの一つとして、こう話していた。
なかなかハードである。この話の救いは、自分がそう「思う」ならいいという主観に委ねているところだろう。客観的に判断しようとすると、その女の子の言葉に「かなう」かと言われると、難しい。
又、命の重さがかかりすぎている例え話だと感じる。私なんかは、詩にシュールさを求めたり皮肉を込めたりする作風で(上の例をシュールだなぁとニタニタしたりするサイコパスはいるかもしれないが)、毎回ストレートに、心に痛烈にくるものを書くスタイルではない。
それよりも、詩人含め言葉を使う者たちは、ネットミームやらに勝てるかどうかを考えると分かりやすくなるのではないだろうか。
流行ったのももう半年前らしい、
「おい、笑える」を引用してみる。
字面だけで見ると、これはこれで面白いが、真骨頂はあの発話の仕方が分かる元動画だ(実際の元動画は転載できていないかもしれない)。男性の呑気な言い方、お婆ちゃんの声色の変化、間の取り方、イントネーション、フェードアウトの仕方…etc
それらが相まって今年爆発したネットミームになったのだろう。ちなみに、秋亜綺羅さんは本誌で即興の朗読に関しても触れていた。それにも通ずるところがある。
さて、自作の詩を見直して、この「おい、笑える」という六つの文字にかなう、インパクトのある言葉があるだろうか。
……あるかなぁ、どうだろ。これも難しい。
秋亜綺羅さんのインタビュー記事は、概ね共感するところが多かった。先程の、寺山修司さんから学んだことの『もう一つ』についても、詩のリアリティに関してであり、反戦の詩に繋がっている重要なものだ。
その話は、またのちに取り上げることにする。