【土橋治重考.1】室生犀星の「作庭」と、土橋治重の庭「桑港」①
俳句は「瞬間」をよむ詩であって、時間の「持続」をよむには適しない
上の文章を、佐藤伸宏先生は『詩の在りか -口語自由詩をめぐる問い』の中で、俳句の固有の文法の一つとして挙げながら室生犀星の詩について論じていた。
この本で論じられた、室生犀星の文語自由詩の試みの中で特に面白かったのは、その対象物の描き方だ。
渚には蒼き波の群れ
かもめのごとくひるがへる。
過ぎし日はうす青く
海のかなたに死にうかぶ。
伸宏先生は他にも3篇の詩を挙げながら、詩の中で「青」という表現が多く用いられていることに注目した。そこでは、「かもめのごとくひるがへる」波という無力感、疲労や憔悴といった下降的感情を、「青」という色彩で経由させ、波だけでなく「過ぎし日」や他の対象物にも投射させているといった、犀星の世界の生成方法を指摘した。
閉鎖的で閉ざされた主体と、開かれた自然物との感情の交渉、往還がそこにはあるが、だからこそそこに描かれているものは持続的なものではないことが分かる。それは俳句的な瞬間の把握であり、この作品が書かれた明治期の「散文(時間の持続性)」へと傾斜していた口語自由詩とは、一線を画していたのだ。
さて、上記の犀星の魅力を、土橋治重はおそらく直感できていたに違いなかった。いや、そもそも、「土橋治重とは何者だ」という声が聞こえてきそうだが、紙尺がないため一旦割愛させていただく。個人的に言えば、私の敬愛する詩人の1人である。
さて、土橋は自身のエッセイで、犀星の自宅を訪ねた時のことをこう綴っている。
犀星の『庭を造る人』という随筆集や、その他、随筆、小説のなかにでてくる美しい庭が、そこにあったのだ。
奥の寺との境には、椿が大輪の真っ赤な花をしっとりとつけていて、二十七、八歳の女性が出迎えているようだった。
(中略)
……よく見ると作庭法にかなったそれではなく、犀星の"感情による作庭"なのだ。そして、それは犀星の初期の詩集『抒情小曲集』の形の変わったあらわれのように、わたくしには思われた。
犀星は、自分の庭にさえも、感情を投射し、また自然から感情を訴えさせてくるような、そんな庭を作っていたのだ。「作庭法にかなったそれではない」とあるように、感情を基本とするため、「こわれやすい」庭であり、手入れがされなくなると途端に崩れてしまうような庭だったと、土橋は述べていた。
さて、土橋は昔から犀星の大ファンであることは自明だが、この「作庭」の意識なるものを受け継ぎ、作品にも落とし込もうとしていたのではないかと仮説を立てる。それも、思想を少し発展させながら。
次回はその部分を、土橋の「俳句というものは」という詩を取り上げながら見ていきたい。
②(3/5予定)に続く。