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布薩の日の、功徳

仏教には布薩ふさつという特別イベントが、月に2回訪れます。

布薩は、仏教が仏教であり続けるために忘れてはならないイベントであり、釈尊ご在世中から続いているものです。

布薩の儀式。ナムドゥルリン寺(南インド)にて。
撮影:気吹乃宮

もともと古代インドでは(一説には『ヴェーダ』時代よりも前から)満月の日と新月の日を神聖視していて、この日に肉を断ったり沈黙の行をするなどして祭祀を執り行なった慣習があったようです。

インドには仏教が誕生する遥か以前から様々な宗教教団があり、出家者(遊行者;いわゆる世捨て人)も抱えていましたが、布薩の日に彼らは断食したり誓戒をしていました。

後発の団体である仏教はこうした慣習をそっくり真似て、教団内に取り入れたのでした。仏教の律や戒が成立する以前から実施されていたことが『スッタニパータ』を読んでもわかります。

しかも仏教の最初期から布薩の主体は、在家信者のほうでした。
五戒・八斎戒を誓戒して修する「ウポーサタ」は、出家者もほぼ同じものを実践していたようです。

在家者が1日限りの断食や誓約をして過ごす八斎戒は、今でもチベット仏教圏や台湾などでは健在です。

日本でも八斎戒が各地で実施されれば、もう少し仏教が正しく受容されるのではと個人的に考えています。今の日本では「お寺でプチ断食」「お寺で一日一食ファスティング」などと謳うイベントがあるようですが、寺で断食を行なうのなら布薩の日に一般人がきちんと受戒して、伝統的に執り行なうのが仏教寺の独自性ユニークネスだし、強みだと思うのです。

それはともかく、新月と満月の日に誓戒や断食や発露懺悔を行なう神聖な儀式は、在家と出家が一緒に行なっていたという指摘(※)に、私たちはもっと注目すべきでしょう。

時代が下って、波羅提木叉はらだいもくしゃ(プラーティモークシャ)という出家僧のためのルールブックが僧団に導入されると、仏教の布薩は徐々に、出家僧優位へとシフトしていきます。

今のチベット仏教では、布薩は比丘僧が単なる戒律の確認のために「顔合わせ」する場になっていますが、密教ではいまだに、満月と新月は特別な日として位置づけています。

一方、私たち現代人が満月と新月を知る機会は、一昔前に比べて格段に増えています。
手帳やカレンダーにも月の満ち欠けが印刷されることがありますし、スマホでも簡単に確認できます。これはとてもいい傾向だと、思います。

特別な儀式や祈りは、特に必要ありません。
古代インドから続く神聖な日ですので、この日には欲を少しでも慎み、罪を懺悔することで、調和と利益をもたらすでしょう。

※:沖本克己「布薩について」:印度學佛教學研究23巻 (1974-1975) 2号

布薩の儀式で、寺院に集まる比丘僧。撮影:気吹乃宮



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