ジョン王 1月21日東京前楽ソワレ のはずが、東京ラスト公演に。
(見出しの写真は『ジョン王』パンフレットより、ジョン王のドローイング。あと、シェイクスピアの時代っぽいと感じて、休演中に買ったピアス)
観劇をこよなく愛するお友達曰く、前楽は完成度が高くて、その公演の最高潮の芝居を観ることができる。その言葉、本当にそうだなあと感じた。
今日の席は下手側C列。
明らかに、みっちゃんと何度となく目が合うお席だった☺︎✨旬くんの歌唱シーンは、特に下手側の観客に向けて、伝えるように歌っていた。今日の歌が3回目だけどいちばん響いてきたなあ。
「朝日は もうのぼるよ
少しずつだけどね
奴らは楽な方を取るのさ
おれは
おれの考え通りに生きるんだ
そのとき その日こそ
自由になるんだ 」
この歌詞は、希望を感じさせる。
正義のためとか、理はこちらにあるからとか
なんとでも後付けできるような理由で
戦争にしたがる人たちがうじゃうじゃわいてきて、仕組みも整えられようとしてきていて
本当に恐怖と不安しかないけど、
その流れに、ただただ流されることはしないで、権力者たちが、「狂った妥協」を何度となく繰り返そうが、私利私慾でその場かぎりの平和を唱えようが、いろんな道理を捻じ曲げて、本来のコースを歪ませようが、
人が剣を捨て、鎧を脱ぎ、ただひとりの生活者として生きていくことを大切にしていけば、
そういうことを大切にしてくれる為政者を選びさえすれば、日はまた昇るのだろう。
鋼太郎さんは、それを諦めていないのだと、この歌を旬くんに歌わせていることから感じた。
シェイクスピアの言葉と翻訳の巧みさに痺れたのは、細かいとこだけど、
「虐殺という絵筆で深紅に染められた」
「私の命、私の喜び、私の全世界」
「純金に金メッキをほどこし、百合の花に絵の具を塗り、菫に香水を振りかけ、氷に鉋をかけて滑りやすくし、虹の七色に一色を加え、天の目たる太陽に蝋燭の灯りを添えて飾るようなもの」
「流血の上に築いた土台は不確かだ」
「最悪の知らせを聞くのを恐れていると、聞かないうちに最悪の事態が頭に落ちてくる」
「人間、悪事を行う道具が目に入ると、悪事をしたくなるものだ」
みっちゃんのこと、これまではジャンバルジャンの御方、と思っていたけれど、これからは、「みっちゃん」として、刻印された。
冒頭と瀕死のところと、同じ歌だけど、それぞれ情感溢れていて聴き惚れる。
これから東京楽。
「人は集いながら やさしく生きる
ああ 人生は
一片の木の葉のように 」
大好きなよこちんさんの代役が
みっちゃんでよかった。
どんな権力者も、平時でも戦時でも
死んでしまったら、ただの土くれ。
人の人生は、戦争やパンデミックや(ジョン王も熱病に罹ったし)病気や人心の離れることや、、いろんなことに翻弄されるものだけれど
それでも
私たちは、この時代を、今を生きてゆく。
追記
これを書き終えて、Twitterに投稿した瞬間、TLで東京公演千秋楽の中止のお知らせを目にした。
あのみっちゃんの歌声が、ラストになってしまった。
喪失感、衝撃。
「また明日ね」と昨夜手を振って別れた旬友さん。
「では、後ほど。」と呟いてくれていた
キャスト。
地方公演があるとはいえ、あの演出だし、東京千秋楽、コクーンラストが飛んだ穴は大きすぎる。
お友達とお茶をして、回復❤️🩹しつつあるけど、やはり舞台での喪失感は、同じ舞台を観るまでは、埋まりそうにない。
でも、もうあのキャストでは、観られない。
ううう。
それでも、日常も人生も続いてゆくのね。
一片の木の葉のように、風で簡単に吹き飛ばされてしまう、かよわき人の営み、演劇。
なんとかならぬものかー。