出産体験記がネットの海に残ってた
以下、20年近く前に書いた、渾身の日記。
人生で間違いなく一番の瞬間だった。
それを残そうとして書いたもの。
それは真夜中の出来事だった。
一連の喜・哀楽の幕開けは。
お昼に沐浴講習のマタニティスクールがあって
かなり久しぶりに長い時間歩いたせいか
オットが何らかのスイッチを押したからなのか
チビコの方から「出たい!」という非常に分かりやすい合図が
送られてきた。
入院用の荷物(紙袋2つ+ボストンバッグ)は用意してあった
とはいえ、シミュレーションしてたのとは違うお産の始まりで
すこし慌てた。
でもタクシーを待つ間に眉を描いてる私を見て
オットは「あ。でもそういうゆとりは、まだあるんだ。」と
つぶやいていた。
夜中でもあったし、よくあるドラマのように
分娩室の前でコチコチ、という時計の音が響き渡る中
腕を組んだオットとソファに座り込んでる母、というわけには
いかず、非情にも
「産まれたらこちらからご連絡いたしますので
いったんお帰りください」
と看護婦さんに言われ、
「祈ってるから」という母の言葉
「ガンバッテ」というオットの言葉を背中に受けて
私は陣痛室へ、二人は家へ。
その頃には、前のめりにならないと耐えられないほどの
痛みになっていた。
実は、私はバースプランなるものを病院に提出しており
・キらないでほしい
・カンガルーケアをさせてほしい
・赤ちゃんには砂糖水やミルクなどは一切与えないでほしい
・赤ちゃんが産まれたら24時間以内に7回以上授乳したい
などなどの要望を出していた。
病院側は私の意向を最大限に尊重してくださった。
しかし・・・甘かった・・・
一番目のそれは、つまり、陣痛の最高に強いときに
それを我慢しなくてはいけないことを指すのであった。
こんなこと言うんじゃなかった~
赤ちゃん出たがってるし、もう、どうでもいいから
一刻も早く出してくれぇ~
と、何度思ったことダロウ・・・
おなかにきつく巻きつけられた分娩監視装置を何度も
ひきちぎりそうになったし
点滴をしたいから横になってくれ、と言われたにもかかわらず
ベッドの上で猫のポーズをしていた。比較的ラクになれたから。
ラベンダーアングスティフォリア?のオイルをバスタオルにたらし
リラックス効果をねらったが、だらだらこぼしてしまい
逆に看護婦さんに洗面器を持ってきてもらうハメになった。
進み方が早かったらしく、朝を待たずに、次の部屋に移った。
フー・ウン、という呼吸があって
フーで吐いてリラックスして、ウン、で軽くいきんでいい、
ということなのだが、フーでもウンでも全身に力が自然に入る。
例えて言うなら、おなかの中の石が意志を持って出ていこうとする、
ってかんじ。でも、出しちゃだめ、我慢して、と言われるのだ。
辛すぎる。。。
フー・ウン、なんてもう言ってられなくなって
ハー・アン(なんか、ヘンな声になっちゃった?)←心の声
ヒぃぃぃ(絶叫系?)
フゥフゥ(あー、しんど。)
ヘェヘェ(もういいよ、もう出ようよ?)
ホォーオ(・・・どんな叫び声じゃ。)
って、不満たらたらの声をあげて
は行を上から順に制覇していった。
鬼教官か鬼コーチにしか見えなかった看護婦さんが
「はい、じゃ、少しいきんでみようかぁ?」って言ってくださった時には
後光がさしてみえた。
ふんぬ~
ってかんじで、これまでに出したことがないような力を出し切って
何度目かのいきみで、ぬるりん、と、出てきた。チビコが。
ところが。
プグ・・・(まだ口の中に羊水が入ってるぽい)
ォギャー!!ォギャー!!!
「元気な男の子ですよー」
この子が、あたしのおなかに入ってたんだ。
あ、へその緒だ。なんかグレーのホースみたい。
あれ、その下にも、なんかある・・・
元気な男の子、男の子、え・・・エーーーッ!?オトコ???
チビコってお医者さんに言われてたのに、チビスケだったんだー。
頭の中で、カキーン、って逆転ホームランみたいな音がした。
お願いしていた通り、すぐにチビスケは寝ている私の体の上に
くっつけてもらえた。
あったかい。もぞもぞと手足を動かしている。
そのまま一時間くらい、ずっと語りかけてた。
わたしたちのところにきてくれてありがとう。
チビスケくんだったんだね。いまごろみんなびっくりしてるよ。
かわいいね。
愛してるよ。これから、ずっとよろしくね。
・
・
・
時計の針が6時30分を指した時、看護婦さんが
赤ちゃんに吸わせてくれた。
ナミダが出た。
産まれてまだ一時間くらいしかたってないのに
すごく力強い。この子は、こんなに小さいのに
生きていく術を知ってる。
オットも母もオット父もオットマミーも
妹たちも来てくれた。
和やかに一同が会して興奮さめやらぬ私の話を聞いてくれた。
そこには、まずは無事でよかった、という空気がすごく色濃く流れてた。
地元の友達も駆けつけて来てくれた。
1月の寒い朝、3282グラムで
チビスケくん、誕生。。。
生後0日目から同じ部屋で過ごした。
3時間おきどころか、毎時間夜中も泣いちゃうし
明るい授乳室から電気を消した病室に帰った途端に泣いちゃうから
その後も夜の睡眠時間はなかった。
部屋を出たり入ったりしているうちに朝になり
チビスケがお風呂に行っている間の1時間ほどだけは眠れた。
母乳だけでがんばりたいと思っていたし
チビスケもそれに応えてくれて、3日目の夜までは
ほとんど眠らずに授乳室に通ったり、ベッドで与えたり
のっけたまんま与えたりした。
だけど、14日の夜、なんだか熱そうだし
吸い付く力が弱弱しくなっていたので、看護婦さんのアドバイスを
受け入れることにして糖水を与えた。すると、初めて
まとめて2~3時間眠ってくれた。
翌15日、いつものように授乳室にいると、先生から話があるから、と
別室によばれた。
「ビリルビンの値が高いのでNICUに入院してもらって
様子を見たい」とのことだった。
くらっとした。
この病院を選んだのは万一の時、新生児の集中治療室があるから、
だったけど、まさか万が一のことが起こるなんて・・・
せっかく元気に健康に産まれてきたのに
私がこのちいちゃい体に無理をさせちゃったからこうなってしまったんだ、と
自分を責めた。
哺乳ビンに慣れちゃうとラクだから、そっちばかりを欲しがるように
なっちゃうと思って、一切何もあげなかったのがいけなかったんだ、と。
これまでずっと横にいたチビスケがすぐ隣にいなくなってしまうことが
悲しくて哀しくて、泣いた。
ほんの何日か前まで顔も知らなかったのに。こんなにもいとおしいのに。
これから会える時間は、面会&授乳時間の30分×11回だけ。
私以外は抱っこすることもできず、ガラス越しの面会。
私も入室する時は、専用のガウンを着て、消毒をして・・・
せっかくの限られた30分なのに、チビスケは、いつもいつも
その時間にかぎって、眠っていた。
ニッ、と笑ったみたいな顔で、でも口はしっかりと閉じたまんま。
私が与えようと思って、必死で足の裏をこちょこちょしたりして
起こそうとしても、
「王子サマー。せっかく会えたのに、眠ってるなんてヒドイわ。
ねぇねぇ、起きてよー」と話しかけても、眠り王子のまんま。
そのくせ、哺乳ビンに持ち替えて、ちょいちょい、と口を刺激すると
ぱかっと開いて、ぎょっくんぎょっくんミルクを飲みやがる。
もぉーーーー。
後から考えると、その30分でなんとかしよう、と
私の肩に力が入りすぎてたから、それをチビスケは察知して
口を開かなかったのかな、と。
チビスケが心配で、自分のしてきたことがよかったのか悪かったのか
分からなくなって、自分を責めて、飲んでくれないことや
しっかり出ないことにあせって、いろいろな要因がからまって
胃炎を起こした。
薬を飲んでも一向に効かず、筋肉注射をしてもらい、あたためることで
すこし和らいだ。
チビスケとの30分の逢瀬に集中しすぎたからか、面会の帰り道、
足元がふらつきめまいがして、くにゃり、と膝から崩れ落ちた。
チビスケと一緒に予定通りの日に退院できるかどうか
その日まで分からなかったが、チビスケが光線療法を
がんばってくれたおかげで、無事に17日に退院できた。
退院おめでとうの文字とテーブルに飾られたお花が
わたしたちを迎えてくれた。
雪の降る寒い日だったけど、よかったね、というあったかなキモチで
家に帰ることができた。
理由がないと泣かないおりこうさんなチビスケ。
二重でまつげが長い、とみんなに誉められるチビスケ。
食欲旺盛でくらいつくときのガッツがすごいチビスケ。
レースの服もピンクの服も着こなすチビスケ。
これからも、いっしょにあるいていこうね。