12月
いつからか好きなことを簡単に好きと言えなくなった。
「好きなことがある・やりたいことがある」という人で本当に頑張ってる人なんて全然いなかったし
「好きだから」という人で本当に楽しんでいる人なんて全然いなかった。
そしてなによりも
「好きなことを好きと言い続ける」「好きであり続ける」には
努力や才能以外にも必要なものがたくさんあるとしっていったから。
冬、今年も一年が終わりを迎えるそうです。
季節は過ぎ去り、木々の葉はおちて、次の春の準備をしているらしいです。
今年のはじめにたてた目標はほとんど何も達成できず、半端に食い散らかした自分自身はどこにも行けずに時間を無為に過ごしています。
手を抜いているつもりもありませんし、多分おそらくこの先もこのように自分をすり減らして過ごしていくのでしょう。
そうこうしているうちに時間は刻一刻と進んでいきます。
田舎で過ごす一年というものは不思議なもので自分が毎年何かに打ち込んで、何かで挫折して、と繰り返していようが、何も変わらず、何も起こらず、作物の収穫と冬を越す。自然の摂理にしたがって人の時間というものは存在せずにそれだけでときがみるみる過ぎていきます。
何も変わらない、何も起こらないと文句をこねるような馬鹿な自分でも、日に日に老けていく母の様子には気づきます。
闇雲に何かに打ち込んでいるつもりでも、自分の在りたいイメージも、すきなものもないのなら何をやっても泥沼に足を取られるように黒く、暗く染まっていきます。
目の前のことに打ち込んで、、、違います。目の前のことすら打ち込めていません。与えられる何かに摩耗して、与えられた何かから少しでも何かを得ようとすることすら放棄して、そのくせなにかから許してもらおうと思っている。
そんな日々が続いているように感じます。
不思議なことで、自分の目的もやりたいことからもそれて、許しを請うように。
損得勘定と過ごす創作の日々は、期待も時間もなく、何をしていてもむなしく、何も積み重ねずに焦りだけがつのっていきます。
そんな生活を一年、ここ十数年生きています。
泥沼に足を取られ、前に進んでいるのかただ同じところで足踏みしているのか、どちらなのかもわからない生活。
優しいのか厳しいのか田舎での1年はなにもかわらず、何も起こらず、正解も間違いもぼくに与えることなく過ぎていきます。
そしてまた1年が過ぎていきます。
全てをかなぐり捨てて目の前のこと、その瞬間にだけ打ち込むことができたらそんなことなど思うことないのでしょう。
年の瀬にはいつも自分の不甲斐なさと自分が偽物である事実を打ち付けられます。
不甲斐ない自分を支えてくれる友人も励ましてくれる先人も
時間というものは平等で、何もない道で転ぶ自分のことなど目もくれずに、みんな先へ先へともがきながらも進んでいきます。
許しを求めてもなにも変わらず、生活と時間を切り売りしすべてが悪い方向へ進んでいく。
なにをやって何をためしてみても、自分もだれも笑ってはくれません。
自分に設けられたタイムリミットだけが迫ってきます。
いつからか好きなことを簡単に好きと言えなくなった。
「好きなことがある・やりたいことがある」という人で本当に頑張ってる人なんて全然いなかったし
「好きだから」という人で本当に楽しんでいる人なんて全然いなかった。
そしてなによりも
「好きなことを好きと言い続ける」「好きであり続ける」には
努力や才能以外にも必要なものがたくさんあるとしっていったから。
誰よりもきれいなものを求めて手を動かしては作り直してを繰り返したことも。
一人夜中に自分のつくっているものの妄想に取りつかれた日も
自分以外の作品を見て悔しくて悶えた日も、自分の作品をみて身体が震えた経験も。
初めて訪れた場所で不意に泣いた経験も
無駄になることなく今の自分を支え、これからの自分を支えてくれる
全ての経験は全部これからもずっと自分の中に残るのにどうしてこんなに苦しいのでしょう。
今までの全部が嘘だと迷うことなど言うことができたら幾何か楽に前に進めるのでしょう。
色んなものを知って色んなことを得てそれが不幸だとは思いませんしむしろ幸福だと思います。
存在してしまった感情も経験もここにあります。
乱暴に書き綴ってみても
目的も目標も見失ってるうちはこの感情に整理をつけることはできそうにないですね。
今年も何も変わらないまま1年は終わりを迎えます。