どうしてもわかりやすいタイトルにしたくないというこだわり
「今日こそは書こう」と決意をしては何も書かない日々が続き、前回の更新からかれこれ5か月以上経ってしまった。
相変わらずのマイペースっぷりである。
今でこそ自身の豪快なマイペースっぷりを認識して、少しずつそれと上手に付き合い始めているものの、この性格に気がついたのはほんの数か月前だ。
ちょっと前までは、自身はこの世のことの大半を知っている、というような錯覚に陥っており、自己万能感に溢れていた。
しかし実際には、25年も生きているのにも関わらず、自分自身のことすらも正しく認識できていない。
思い返せば本当に恥ずかしい。
就職活動の際に、「自己分析」とやらを散々馬鹿にしていたツケが、ここに来て回ってきているのかもしれない。
まあそれは今更どうしようもない。
ひとまず今回は、4月から最近までを整理することとしよう。
「文系の大学院生は暇だよ」
これを言い始めたのはいったい誰だ。
この5か月間、そんなに暇じゃなかったぞ。
確かに、平均すれば週5日フルタイムで働くよりは暇だったことは間違いないが、課題が集中した時には、働いていた当時よりも睡眠時間が短かった。
それなりの忙しさにもかかわらず、基本的に給料はもらえない。
それどころか、お金は出ていくばかりである。
文系のほとんどが大学院に進学せず、大学院に進学する一定数が後悔する理由は、ここに詰まっているような気がする。
ただ、個人的には特に後悔していない。
それどころか、このまま一生モラトリアムを謳歌したいとまで考えてしまう。
もちろん、お金がないのは辛いけど、幸か不幸かそこまでお金に執着できないらしい。
このような性格は、手元にある小銭を数えるほど苦しい生活を送りながら、四方を本に囲まれた生活を送っていた父親譲りのものなのかもしれない。
回りくどい言い方をしているが、要は会社員を辞めて大学院生になったのは、今のところ正しい選択っぽいのである。
何よりも単純に楽しい。
誰のためになっているのかよくわからない仕事をして、無為に頭を下げることで収入を得ていた当時と比較すれば雲泥の差である。
周りも総じて良い人ばかりだ。
基本的にみんな優しく、他人を思いやることができる。
あまりこういうことを言う人間ではなかったのだが、今回ばかりは本当に人に恵まれているように思う。
彼らとはこれからも仲良くしていきたい。
そんなこんなでそれなりに忙しく、かなり充実した日々を過ごした5か月間だった。
基本的に自宅と大学を往復するばかりだったため、先月末の友人との旅行が唯一の遠出だった。
性格上、所属先が変わるとそれまで仲が良かった友人とはほとんど連絡を取らなくなってしまうのだが、その彼は数少ない例外だ。
最近芸術に関心が強い彼の希望で、瀬戸内に向かい、瀬戸内国際芸術祭をめぐった。
恥ずかしながら、久しぶりの旅行が楽しみで、出発前夜はよく眠れなかった。
旅行先で見た芸術作品や街並みに心を動かされ、帰宅してから数日間はフワフワしていた。
特に、豊島東部の唐櫃地区で見た棚田が一番印象に残っている。
また彼とはどこか遠くへ、もしくは近所へ出かけ、答えの無いような話から、とりとめのない話まで、色々と語りたい。
この5か月間、ほかにもいろいろと楽しい出来事があった。
本当はすべてを丁寧に振り返りたいのだが、うまくまとまらない。
数日前には「こんなことを書こう」と思っていたことが、今は全く思い出せない。
改めて、日々の出来事を文章に起こすことが重要であると痛感させられた。
どれだけ忙しくても、暇な時間は必ずあるはずだ。
だからといって、あまり高望みはしない。
無理をしてまで強い人間でいようと自身を苦しめ続けていた頃の自分と、最近やっとおさらばぽんぽんできたばかりなのに、ここで逆戻りしてたまるか。
だからせめて、何か思いついたら、メモ程度で構わないから残すようにできれば良いかもしれない。
ちなみに、これは完全に余談だが、定期的にこの動画を見て、自身の精神衛生を確認するようにしている。
これを見て感情の動きが激しくなった時には、普段よりもしっかり寝るほか、積極的にストレスを解消することを心掛けている。
「おさらばぽんぽん」という言葉もこれで覚えた。
色々と思い出せない中で、これだけは載せようと思っていた歌がある。
いわゆる中村一義の世代ではなく、初めて聴いたのは、自動作成のプレイリストから流れてきた去年のことだ。
聴き始めた頃が、日々前向きになれない日々だったこともあり、この曲を聴くとその当時を思い出して暗い気持ちになってしまうことから、最近まで聴くことができなかった。
それでも、すごく印象的なフレーズとメロディーが頭から離れず、時々口ずさんではいた。
最近になって、彼の別の曲をラジオで聴いたことを機に、改めてこの曲を聴いた。
すると、それまでフラッシュバックしていた思い出は登場してくるのだが、なんとなく記憶は薄れたことも相まって、それほどつらい気持ちにはならなかった。
それどころか、そんなつらい日々があったからこそ、今見えているものもあるのだと考えるようになっていた。
時の流れは偉大なものである。
そして最近、ことあるごとにつぶやくようになった。
僕は死ぬように生きていたくはない。