Naked Desire〜姫君たちの野望

第一章 心の壁-4

「チッ」キャサリンは、忌々しげな表情で舌打ちした。
その表情には「話を逸らそうとしてんじゃないよ」という感情が浮かんでいた。
「夕べ、何か飲み食いしたか?」
キャサリンは夕べのことを私に尋ねた。
昨晩、私がオトコと一戦を交えていたことは、彼女もわかっていたはずだ。
夜分に上流階級の令嬢が、オトコを自室に引っ張り込むというのは、私たちの世界ではよくあることだ。もちろんキャサリンも。
だからお互いに、その件では知らぬ存ぜぬという態度をとっているのだが、そのことを尋ねない分、今朝のキャサリンは怖ろしく感じる。
「ワインを、グラス1杯……」
「その時、おかしな味はしたか?」
キャサリンの質問に、私は首を横に振った。
「気がつかなかっただけじゃないのか?」
「失礼ね。私はそこまでバカじゃない」
ムキになって、私は言い返す。
「マリナは、どこか抜けているところがあるからなあ。そのくせ、後先考えずに行動をすることはしょっちゅうだし」
冷ややかな口調で、キャサリンは私にいった。
「失礼ね。私なりに考えて行動しているわよ」
私も負けずに反駁するが、キャサリンは
「フン、どうだかね」
と履き捨て、口を真一文字に結んだ。
私たちの間に、気まずい雰囲気が流れる。
少し間をおいて、私は、俯いた姿勢で長いため息をついた。
私は無言のまま部屋を出て階段を下り、ダイニングへと向かう。キャサリンは、私の後ろから黙ってついていく。
私の屋敷は4階建てで、私の部屋は3階にある。
1階に下りて、廊下を左に曲がると、そのつきあたりがダイニングだ。
ダイニングからは、焼きたてのクロワッサン、できたてのスクランブルエッグの匂いが漂う。もうそろそろ、朝食の皿がテーブルの上に並べられているはずだ。
私がキャサリンに声をかけようとした瞬間、彼女はつかつかと私のそばに近づくと、ロングパンツのポケットに、細かく折りたたまれた紙か何かを突っ込んだ。
「えっ」と私が驚くよりも先に、彼女は私のそばから離れようとする。
「ちょっとキャシー、朝食は?」
「悪いな。本件も含めて、報告しなければならないことがあるので、後で食べるよ」
階段を下りると、キャサリンは「それじゃ」という意味をこめて、会釈をした。
私も右手を振り「それじゃ、また後で」というサインを送る。
ダイニングに入る前、私は何気なく視線を後ろに向けた。
私の目に飛び込んできたのは、眉間にしわを寄せ、細い眼をますます細くして私を睨みつけた、キャサリンの険しい表情だった。
(何をやっているんだマリナ。話はまだ終わっていないぞ)
彼女のただならぬ殺気を感じた私は、改めて彼女の姿を見た。
腰まで伸ばしたご自慢の金髪を、せわしなく何度も触っている。
彼女の動作を目撃した私は、周囲に誰もいないことを確認すると、右手で何度も自分の頭や身体に触れた。
数度のサイン交換の後、キャサリンはようやく平静な表情を私に向けると、踵を返してその場を立ち去った。
私はすぐにダイニングの控え室に入り、パンツの左ポケットに、紙が入っているのを確認した。
いまここで確かめるのはまずい。私室に戻ってからで見よう。
そう思った私は、何事もなかったかのように、ダイニングに入った。
「エルヴィラ・ジャンヌ・マリナ・カーリン殿下、おはようございます。朝食の準備ができています」
私付きの女官の一人が、恭しく頭を下げると、他の女官・侍従も一斉に
「おはようございます、エルヴィラ・ジャンヌ・マリナ・カーリン殿下」
と、頭を下げながら朝の挨拶をした。
「みんなおはよう。今日もよろしくお願いしますわ」
私は侍従と女官に返礼をしながら、心の中で
(彼らの中に、私に薬を盛った人間がいるなんて)
と想像するだけでもゾッとする。
皇族付きの職員は全員、それなりに身元はしっかりしているはずだと思っている皆さま、その認識は「甘い」と断言しておく。
帝国建国から300年以上経過した現在、屋敷勤めの職員の個人情報は、表向きは「国家により厳重に管理される」ことになっている。
だが、それを信用する国民は、どれくらいいるのだろうか。
個人情報を管理するのは国家だが、その国家を運営するのは人間だ。
邪な考えを持った人間が国家運営を担当すれば、どんな事態を招くか見当がつく。
裏の組織が適当な人間をスカウトし、その人間の経歴を適当にでっち上げ、彼らにとって都合の悪い人間の思考や行動を探ることは、その気になればいくらでもできるのだ。
だから「人を見れば泥棒と思え」という諺は、私のポリシーの一つになっている。
これが、私たちの国の現状だ。
私はひととおり周囲を見回すと、自分の席に向かった。
「お姉様、おはようございます」

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