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163.性善説と性悪説は、対人に対する考え方というよりも、その状況で自分がどう在れるかどうか、だった。
先日、多角経営している敏腕CEOとサシ飲みをする機会がありました。
初対面同士だったからこその赤裸々な会話が身になったので記録します。
◆性善説と性悪説、あなたはどちらの考えでしょうか。
ご縁があって多事業展開されている50代敏腕CEOおじさまと飲む機会がありました。
初対面にも関わらず可愛がっていただき、飲み代どころかタクシー代まで出していただきました。
その日わたしは合コンの幹事帰り。ただ少しだけその合コンでモヤモヤする事があり、晩酌していました。
人の悩み事の9割は人間関係だと思うのですが、その日は特に対人関係について悩んでいました。
「聞いてくださいよ〜!」とダル絡みした私の話の結論は「人のことを信じていたけど、裏切られたり騙されたりした時にどう解釈したら良いですかねー!もやもやしますー!」という半分グチ、半分ヘルプ、でした。
どちらかというと、元々私は性悪説で生きていました。
というのも「人が良い」と「搾取される側」になるのだと、小さい頃から最近までの様々な出来事から学んでいました。特に金銭関係は感情に直結しているので記憶に残っています。思い出せるだけでも下記のような出来事が人生30年の中でもありました。
・友人だと思っていた人から物を壊され、仲間外れにされる
・飲み会当日になって参加者と連絡が取れず、結果コース料理2名分を踏み倒される
・人の良い母が知り合いのおじさんに貸したお金は返ってこない
・実家で雇っていたパートのおばさんにレジ金を盗まれる
実家は飲食店を経営していたので、【当日ドタキャン】は日常茶飯事でした。席のみご予約ならまだしも、10数名分のコース料理がドタキャンされるたびに両親が肩を落としながらも「まあ、落ち込んでてもしょうがない。」と一組一組その日のお客様に真摯に向き合っている姿を覚えています。
余談ですが、飲食店でのドタキャンは本当に痛いです。
原価となる商材が「料理」で、原材料である食材は「ナマモノ」つまりお客側の都合は延ばせても、食材の賞味期限は延ばせないからです。
10数名のコース料理がそのまま廃棄されるという事は飲食店側はコストだけかかって、そのコストを回収できずにシンプルに赤字です。
もちろん料理人の腕前、その当日の集客状況で他のお客様に使用する予定の食材をスライドさせて赤字にはならないようには出来るかもしれませんが、個人経営している実家のような店ではチェーン店とは違って当日にラッキーな大人数での来客数は見込めません。
もちろん当日に何かしらのトラブルで致し方なくキャンセルになることはあるかもしれません。人数が大幅に減少する事もあるでしょう。
なので飲食店側からしたらそういう「容赦ない事」も起こると念頭に入れておくべきなのだと思うと、両親は日々「え〜やめてくれよ〜」と思うような出来事と戦っていたのだなと頭が上がりません。
上京してカッコいい人生のメンターらに出会って影響を受けた結果、今では性善説で生きていますし、そういう自分で在りたいな、と思っています。
ただメンターらに出会った当初は「こんなに良い人過ぎて大丈夫かな?人に騙されたりして来なかったのかな?」と不思議で仕方ありませんでした。
ただこの考え方は私の思い違いで、そういう「容赦ないなあ」「やめてくれよお」とグチりたくなるような出来事を重ねてきた人だったからこその『だったらこの経験から何を学んでやろうか?』という失敗を経験値に変えようとする思考の結果でした。
◆人生の先輩からの助言は「人生は考え方次第。失敗は経験に変えろ。」
話を戻して、50代敏腕CEOおじさま(以下おじさま)から言われた事は以下でした。
「良いとか悪いとかではなく、君にとってその出来事はオールオッケーなんだよ。君は料理を踏み倒されて損した〜と思っているかもしれないけど、それで今夜ボクと出会えてる訳だし。当日キャンセルします、の連絡も寄越さないような低レベルなヤツとの縁がいい意味で切れたとも言えるし、飲食店側からしたら来てもないヤツのお金を払う君みたいなお客は大事にしたいな、と思われたかもしれない。良し悪しじゃなくて、考え方だよ。」
人生は考え方次第だから、とサラッと2人分のお酒を追加し「君は良い奴だなあ。ボクが踏み倒したヤツの分は払うから心配せずにまあ飲みなよ。」とサラサラっと私に1万円を握らせてくれたのはカッコよすぎでした。そしてその後お会計もタクシー代もサラサラサラッとでした。
おじさまは多角経営し、部下も抱え、責任ある人だとは話しながら薄々感じていました。初対面でもおじさまには感じるものがあって、お酒が進んでいる事もあり「色んな人がいると分かっているけど、人を信じる側で、性善説で生きるカッコいい人で在りたいんです。」とこぼした所、2倍近く人生を生きているおじさまから「性善説で生きたいなら余裕が必要だよ。」とも説かれました。
「正直ボクは会社の従業員や元嫁、子供、彼女も守れるお金や実績はある。ボクや君みたいな人のことを信じたい、と思って性善説で生きたいと思うなら、経済的な余裕、精神的な余裕は必要だよ。世の中には悪いヤツも一定数はいるからね。変なヤツに搾取されたり、騙されたりしても”まあでもボクお金あるしな。”とか”まあでもボク人に恵まれてるしな。”とか、思えるかどうかだよ。」
ちなみにおじさまがこの考え方に至ったのは約2億円の資金が足りずに事業撤退するか否か、瀬戸際に立たされた時の経験からだったそうです。
資金の帳尻が約2億円足りず、金融機関からも借りようにも時間がない!そんな時におじさまにもメンターがいて、泣き言を言う時もあったそうです。
その時のエピソードも濃い内容でしたが、野村克也氏の「繁栄は友を作り、逆境は友を試す。」を思い出すものでした。
◆性善説か性悪説かは自分がどう在れるのかを試されている。「本当はどう在りたいのか。」
話が盛り上がってしまい、お酒が入っていたのもあって、帰り道の脳みそはフル回転しつつもやっと冷静になれるタイミングでした。
そもそも性悪説で生きていた時は「自分自身に余裕がなくて奪われたら困るから性悪説だった」ことにも気付けました。
上京する時に両親から「人に騙されないようにね」と口酸っぱく言われ、両親の言葉を鵜呑みにしていた時は他人に心を許さず、自分に良いことをしてくれる人には裏がある、見返りをいつか求められる、と思っていた時もありました。
「人間そんなに損得勘定でしか動かないばかりじゃないよ。」とメンターに言われたこともありましたが、その時はこの言葉の意味が理解出来ず、人間はすべからく利害関係の上で生きていると思い込んでいました。
ただ今回のおじさまとの会話でも、メンターとの会話でも、共通しているのは「出来事への考え方や解釈次第で、結果は変わる。」という事。
そして私個人としては「逆境こそ人生に試されている。」という事。
性悪説にでもなれるし、性善説にもなれます。耳元でいつも天使と悪魔が囁いています。それは理想と現実の姿かもしれません。
理想を生きようとすると試されるような出来事が起こるな、と思います。
理想と現実のギャップに凹んだり、泣きたくなったりする時もあります。
そんな時に「私は本当はどう在りたいのか。」自問するチャンスだと捉えて、人生を振り返った時に「あの選択をして良かったな。」と思える人生でありたいですね。