良い作曲家の三原則 ← 漫才と共通点ありすぎ笑
こんにちは、元リクルートでNY在住のメッセージ強め音楽家・宮嶋みぎわです。今日は私の本業「作曲」がテーマ。
自分が感動できない作品は迷わず全ボツにする
頭脳を使って音楽を構築している。(こころだけではだめ)
音楽は時間推移の芸術であると分かっている
これは、他ジャンルの作品作りでも共通点がたくさんあるのですが、今回なんと、漫才との共通点がめちゃくちゃ多いことに気づいてしまいました!笑
シェフ・美容師・漫才師が、作曲家とどう似ているか、お笑い芸人の粗品さんが音楽家でもあると聞いた時に私が大納得した理由などなど、以下に登場します。早速見ていきましょう!
1. 自分が感動できない作品は迷わず全ボツにする
「良い作曲家」の三原則、1つ目は「自分が感動できない作品は全ボツ」、についてです。「真のプロは結果にこだわる」、ということです。
曲作りを始めたばかりのころは、この真逆をやってしまうもの。
「自分がどれだけ苦労したか」に心のフォーカスが当たりすぎていて「良いメロディじゃないものでも、苦労したからボツに出来ない」ということがよくありました。「このメロディを思いつくのに3ヶ月かかったし」とか「仕事が大変な時に、それでも頑張って編み出したメロディだし」とか、そういうやつですね。
でも、コンサートに来ている人たちにとっては、そんなの知ったコッチャないです。レストランに例えたらよく分かります。
「これは俺が一番つらい時に、苦労して時間を作り出して取った出汁だ。3週間掛かった。ありがたいだろう。」と言われて不味いスープを出されたら、お客さんキレて帰りますよ。
時間のかかっている不味いスープではなく、今作ったばかりでも良いから、美味しいスープ=自分が感動できる楽曲を提供できる「良い作曲家」でありたいものです。
もし何ヶ月苦労しても、感動的なメロディが作り出せていないのだったら、リハーサルの当日の朝まで、メロディを書き換える覚悟で曲に全身全霊で向かってください。良い作曲家は、そういう地味で頑固な努力を積み重ねているものですから。
2. 頭脳を使って音楽を作っている。
音楽には、メッセージを伝える機能があります。言語とそっくりです。
「良い作曲家」は、それを良く知っていて、伝える技術を勉強しまくって使いこなしています。こころだけでなく「頭脳」を使って音楽を作っています。
というこの流れは、音楽でも言語でも一緒ですから。
「どんな音をどうやって組み合わせると、どんな風に心が動くのかしら」という「具体的なやり方」をいっぱい覚えていなければ、良い音楽は作れないんです。
以下のようなことに似ていますね。
下積み時代に食材の下ごしらえを徹底的に覚えることで食材の活かし方を叩き込み→後に美味しい料理を自分で作るようになるシェフ
下積み時代にシャンプーをたくさんすることで人の頭の形は全員違うことを知り、カットの技術を毎日練習して→後に似合う髪型でカットできるようになる美容師
下積み時代に面白い先輩の漫才をたくさん聞いて、練習してそのテクニックを自分でも身につけ→後に会場を爆笑させる漫才師になるお笑い芸人
おいしい食事、かっこいい髪型、お腹を抱えて笑ってしまう漫才 … それらを「美味しい」「かっこいい」「おもしろい」と感じているだけでは、ただのファン。
どんな材料・調理法のお陰で美味しいのか、どんなカット技術のお陰で似合うのか、どんな笑わせ方を取り入れたから爆笑だったのか、まで頭脳を使って解析して、口で言えるようになったら解説者。
解説した技術を自分で再現できて、そこに自分のテイストも加えて新しい楽曲を作れるようになったら、はじめて、真のプロ…「良い作曲家」です。
頭脳を使って作り、こころで感じながら聴いてみて、ダメだった作品は全ボツにしていってはじめて、素晴らしい曲ができます。音楽的に初心者である時ほど、頭脳だけで作ったり、こころだけで作ったり、どちらかだけに偏りがちになりますが、両輪が大事な総合芸術が、作曲というものなのです。
私は、お笑い芸人の粗品さん(霜降り明星)が音楽家でもあると聞いた時に大納得しました。あそこまで凄い漫才が作れる方は、音楽と漫才が全く同じ構造(テクニックやボキャブラリーを学んだ上で頭で作り、こころで感じて採用やボツを決める)になっているということを、ご存知でしょうから。
ちなみに、漫才と音楽は、3つ目の項目「時間推移の芸術」という点でも一緒なんですよ。早速次を見てみましょう。
3. 音楽は時間推移の芸術であると分かっている
「良い作曲家」は、音楽が時間の推移を利用した芸術であることを承知していて、それをきちんと利用して曲を作ります。
これ、漫才とそっくりなのです。M1グランプリ が終わったばかりなので、M1に例えましょうね。
M1決勝の漫才は4分、とのこと。同じ4分で音楽を作ると、こういう構造になります。
そうなんです、漫才と音楽は、構造がほとんど一緒なのです。発するものが、音なのか、言葉や動きなのか、違いはそれだけです。
4分の音楽だと、4分の間、音楽家と受け手はこころの交流ができます。この4分をどう使うかは、一部の例外を除き、音楽家に100%任されています。
どんなツカミで注目を集め
中盤をどんな風に過ごし、どんな後半を過ごし
4分終わった後に、最終的にどんな気持ちになってほしいのか
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これを決めるために、過去の事例をたくさん学びますし、自分たちの良さ・出来ないこと&出来ることなどを徹底的に研究、勉強して、作戦を立てていきます。書けば書くほど、漫才と音楽が一緒すぎて、笑えてきました笑。
作曲の初心者は、この「所要時間」のことを忘れて、楽譜に入れる音にばかり注目します。
言葉選びだけを頑張って、良い原稿が出来たら漫才完成!と思ってしまう、駆け出し漫才師みたいです。原稿の上で面白いオチになっていても、テンポや言い方が面白くなかったら、全然おもしろくないのに!
楽譜にどんな音を書くかも勿論大事。でも「良い作曲家」は、その音を使って「受け手とどんな4分間を過ごすか」を想像し、楽しみながら曲を作ります。実際に演奏するときには、受け手がどう4分を味わっているか、その反応を4分の間ずっと嬉しそうに受け止めつづけ、満足して帰宅する … そういう人なのです。
作曲家本人が語る「良い作曲家の三原則」いかがでしたか?
この記事は「何でも三箇条チャレンジ」の一つでして、この後も○○○の三原則シリーズを連投していきますので、お楽しみに!スキ♡やコメント・フォロー、励みになりますので是非お願いいたします (^^)。
最後に、作曲活動の2分類(商業と芸術)について、おまけで書いておきますね。
自分がやっていることがどちらに当たるのか、で悩んでいる若手作曲家が多いので、これをおまけで書きたくなりました。作曲を生業にされているみなさま、大変なお仕事ですが、頑張りましょうね!