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[Facebookより投稿と写真抜粋 2025/1/12(日) 三角標稽古]
大人になってから、再開したピアノ。「月光」(ベートーヴェン)の第一楽章を、この半年ぐらいずっと弾き続けている。指が短くて、弾くこと自体が、はじめは、とても大変であった。けれど、この曲は、不思議なくらい自分に合っているという奇妙な感覚に取り憑かれて、飽きることもなく弾いていた。
取り組み始めて2、3ヶ月経った頃、壁にぶち当たった。なんとか暗譜もできて、弾けるにも関わらず、なんか音やら何やら色々納得がいかない。ただ、どう練習していいかもわからなかったので、気に入らないままでも、とにかく、弾き続けた。それから、1ヶ月過ぎた頃に、全身の余計な力が抜け始めて、音と指、体との新しい関わり方が生まれ始めた。
ピアノは、ある程度弾きこなせるようになってからが面白いのだなと、今回つくづく思った。今までの私は、一所懸命弾きました、指遣いも覚えました、暗譜もしました、間違いなく発表会で弾くことができました、がゴールであって、その先にさらなる世界があると思ってもいなかったし、いけると思ってもいなかった。
舞踏の稽古だって、家のことだって、毎日、毎日、同じことばかりで、嫌になってたけれど、練習(反復)する意味ってやはりあるんだとピアノから教わった。
今も、ピアノを弾く。気に入らない点は多々あるが、指がどうとか、弾くときに考えなくなった。月光に至っては、軽く瞑想状態に突入しているようで、弾きながら、いろんなことが思い浮かぶ。最近、高校生の私が、友人と、まるで人のいない駅地下のような通路を行ったり来たり、歩いているところを見た。30年も前、私は、そのオシャレな通りを友人の誕生日プレゼントか何かを探しにぶらついていたのだ。そして、当時の私は、この時間が今しかないと何故か強く感じていて、30年後、月光を弾きながら、チューブのような時間の端と端が繋がったように感じた。あの時間は、ここに繋がるためにあったのか。
時間というのは、一方向だけに流れているのではなくて、未来から過去に向かっても伸びているようだ。けれども、人間は、今という時間にしか存在できないので、そのことを認識できるのは、それが過去になってからである。
今は、歳をとって、自分の蒔いた種がどこに繋がっていくのか見る作業が、密かな楽しみでもある。
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