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[東北舞踏 三角標 舞踏公演 農民芸術概論1「草の種」の、丁寧な感想が述べられてて、嬉しくなった件]
東北舞踏 三角標 舞踏公演 農民芸術概論1「草の種」を見てくださった方より、丁寧な感想の記事を見つけて、嬉しくなった。今回、藝術祭には初参加ではあるが、いわて里山藝術祭には、今後の展開の可能性が感じられて、三角標としても積極的に、藤沢町で活動の幅を広げていきたいと感じた。
感想に一喜一憂しても仕方がない。舞踏を見て、どう感じるかは、人それぞれであり、そこに正解も不正解もない。それは、よくわかっている。よくわかっているが、それなりに承認欲求もあったりするので、褒められると嬉しいし、自分の踊りが気に入って貰えると嬉しい。
ただ、そこに留まってはいけない。三角標はそれぞれ自分の踊りをするわけなので、内在してるものも、身体への表象の仕方も違う。そして、たぶん、三角標の中で、私が1番なにやってるかわからん人間なことも承知している。だから、時に寂しくなるけれど、いつも孤独であることを選ばなくてはいけない。
評価のために踊るわけではない。誰かと比べて上手いとか下手でもない。でも、比べたくなるし、みんなにどう思われるかも、いまだに気になってる。それらを全部捨てて、舞台の上に立つ。
私は、醜いものを踊りたい。自分の身体に宿らせたいと常に思う。でもね、全然まだまだだ。人の苦しさや辛さを、踊ることで消化できるような、舞手にいつかなれたらと思う。