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[Facebookより投稿と写真抜粋 2025/2/9(日) 三角標稽古]

誰かのように踊ってみたい、あんな風になりたいと願ったりもしたが、結局のところ、自分とその人とは違うんだと、わかりきった答えに落ち着く。人の数だけ舞踏はある。じゃあ、私の舞踏スタイルってなんなんだろう、そこに正解はあるのかどうかすら、よくわかってないまま踊り続けている。

ただ今まで続けてきて気づいたこともあって、とにかく急がず慌てず、丁寧に踊ろうということ。たとえ面白い踊りができなくとも。それから、即興をしてみたい思いもあったけれど、やはり私は、振りや構成、テキストが今は欲しい。もちろん振りと言ってもダンスのそれとは違うが。

思い返せば、私は、何かに成ることで踊っていることが多いようだ。虚構の世界だから、なんでもいいとは言っても、この成り込みにも私なりの順序や手順が必要な時があり、例えば、雷になるのには、黒い雲が必要、みたいなルールはやはりある。でも、それすらも、踊り続けていけば、いつかは、いきなり空間から雷がドドーンという踊りもできるのかもしれない。ただ、今それをしようとすると身体に嘘つくことになるから、やらないけれど。

私は、三角標で、一番地味な踊り手だという自覚している。動作もどこまでゆっくりできるか追求してたりする。なんで、ゆっくりかというと、うまく言えないんだけれど、体の中身が溢れてくる感じがあるからだ。それは、早い速度帯の中にはない。むしろ早い速度になった時には、体も意識も身体に閉じ込められて、必死に踊らなくてはいけなくなって苦しい。とはいえ、これも、経験を積んだら、早い速度でも、身体ダダ漏れ状態になれるかもしれないが。

さて、定期公演に向けた私のソロの作品については、大まかには方向性は決まっているものの、まだまだ詰めが甘いため、いろいろ即興的に踊り込んでは、良い選択肢を探していく作業にとても時間がとられている。

このfacebook投稿にある「思考のない自由さ」…。最近ね、思考はあってもいいんだと思っている。ただその思考をどこに置くかが重要で、意識を置かない踊りをどうやったらできるのか、模索中。成り込みにしても、私が成るのではなくて、成り込みをしたいんだ(何言ってるか、わかんないね。)つまり、体が、表現をなぞらないようにしたい。押し寄せる虚構の世界に飲み込まれてしまいたい。

なんだか、とりとめもない話になってしまって、ごめん。

最後に、すみれ組のメンバーが、韓国の舞踏家Gioさんと合同稽古をして、いい刺激をもらったようなので、私は、それがなんだか、とてもとても嬉しいんだよね。そのことで、私は、私の踊りを探していいって言ってもらえてるようで。

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