カミツキ

 愛とは何だろう。
 僕には愛がわからない。
 ヨミ花のことが好きかと訊かれたら、迷うことなく好きだと答える。しかし愛してるかと問われたら、僕には答が見つけられない。
「ねぇ、ロンロン。ほんとなの? ほんとにまたプレゼントくれるの?」
 振り返ったヨミ花に問われ、僕は答える。
「もちろん。いつもの場所で待ってて」
 ありがとう、とほほ笑む彼女は、この世のものとは思えないほど美しい。
「あとでね。愛してるよ、ロンロン」
 ヨミ花に手を振り返しながら、同じ言葉を返せない自分に問いかける。
 愛とは何だろう。
 僕はヨミ花を愛してるのだろうか。

 滝川ロン。どうということのない平凡な僕の名前。まさに名は体を表すというやつだ。
 神坂ヨミ花。今どき漢字が使われている古風な彼女の名前。浮世離れした彼女にはなんだかとても似合っている。
 幼馴染の僕たちは、十四年しか生きていないけれど、そのほとんどを一緒に過ごしてきた。そしてそれはこの先も同じ、という思いは、つい先日あっさり裏切られた。
 母が、カミツキになったのだ。
 sin遺伝子が発現した母は、父と祖母を食い殺したあと、警官によって駆除された。
 二〇二〇年代に最初の発症例が確認されたカミツキは、後に遺伝子病であることが確認された。それが発現すると、人は人でなくなってしまう。まさに化け物のごとく、周囲の人間を襲い始める。噛み殺すのではなく、食い殺すのだ。父と祖母の遺骸は、酷い有様だったらしい。
 海外ではゾンビや悪魔と呼ばれるそれは、発現してしまえば最後、治療法はないし、予防する策もない。
 そしてカミツキは、遺伝すると考えられている。母がカミツキになってしまったということは、いつか僕もそうなる可能性があるということだ。
 僕はいつまで、ヨミ花の隣にいられるだろう。最近は、そのことばかり考えている。

「君が、滝川くん?」
「そうです。源さんですか?」
「ああ、よろしくね」
 源ルオ。二十代後半の、ギリシャ彫刻のような顔立ちの男。
 彼もまた、カミツキの遺伝子を保有している可能性がある人物だ。数年前、弟が発現したらしい。
 主にメンタルケアを目的とした互助会。それを通して、僕は彼と接触した。参加している者たちの理由は様々だ。
「それで、ええと、君の幼馴染って子は?」
 澄ました顔で、ルオは訊いてくる。
 ルオはクズだった。女を食い物にしているクズ。勿論この場合の食い物は、比喩だが。互助会を利用して若い女性に近付き、弄んではゴミのように捨てる。それが源ルオの日常だった。
 そして今、ルオはヨミ花を狙っている。
 死んだ方がマシなこの男。どうせいつか女に刺されるなら、役に立ってもらったほうがいい。それが、僕が互助会に参加した理由。
 すべてはヨミ花のためだ。
 僕は世間話をしながらルオを路地へと誘い込み、さりげなく背後を取る。そっと首筋に当てたナイフからは、何の手応えも伝わってこない。微かに洩れたうめき声は、夕闇に消えていく。
 倒れたルオを見下ろし、僕は。

 カミツキを漢字を交えて表記するなら、神憑き、あるいは噛み付きになる。
 sin遺伝子のsinは、神という字と通じる。そこから掛け言葉での、神憑き、噛み付きに至ったのだろうと思う。
 けれど実際に発現した人間は、どう見ても神には見えない。紛うこと無き化け物だし、ゾンビや悪魔憑きのほうが実態に近い。
 しかし僕は、そこに微かな希望を感じる。
 カミツキと名付けた人は、見たんじゃないだろうか。神のような神々しさを。この世のものとは思えないほど美しいカミツキを。

「プレゼントありがとう、ロンロン。すっごくおいしいよ」
 こちらを見るヨミ花の口もとは、真っ赤に汚れている。ぐっちゃぐっちゃと音を立てながら、ヨミ花はルオを食べている。
 sin遺伝子が発現した者は、正気を失い化け物のようになり、二度と元の人間には戻れない。そのはずだ。そのはずだったのだ。
 けれど、目の前に例外があった。
 発現してなお人格を失わないカミツキは、一体どっちなんだろう? 人か? 化け物か?
 ヨミ花がそうなって、僕は何かを見失った。あるいは僕こそが、正気を失ってしまったのかもしれない。
 しかしそんなことどうでもよくなる程、ヨミ花は美しかった。この世の物とは思えない、人と化け物の狭間に位置する神々しさ。
「ロンロンも食べる?」
 差し出される肘から先に、僕は首を振る。
「いや、遠慮しとくよ。……今はまだ」
 僕はヨミ花を愛しているのだろうか。
ずっとヨミ花の傍にいたい。彼女を見ていたい。その為のエサだ。こうしてヨミ花のためにエサを用意している間、僕はヨミ花に食べられずにすむ。
 僕が愛しているのは、何より自分自身ではないのだろうか。
「愛してるよ、ロンロン」
 血に塗れた笑顔のヨミ花に、少しだけ涙が零れた。

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