家族のようなチーム・東京ヴェルディと私【後半戦】
#スポーツ観戦記
今回は、このテーマで長い間あたためていた記事を文字に起こした、後半戦。前半戦はこちらをぜひお読みください。
ヴォリュームに興奮し、さらに大きく強く
ゴール裏にこれだけ憧れを抱いていた私だ。何度も言うが、私がヴェルディで最初に感じた魅力は「応援」だと思っている。ゴール裏は応援を最も近く、強く感じることができる空間だ。
サポーターの応援の勢いがすごいのは、チームがJ2にいた頃に比べて、来場者数が3倍(もっとか?)に跳ね上がっているからというのも、もちろんあるとは思う。
でもなんだろう、単に声の大きさだけではなくて、応援するサポーターたちの姿がとても前向きなのだ。まさしく「選手の背中を押す声援」そのものだ(と、選手ではないがそう思っている)。うまく言葉に表せないのがもどかしい。その場の空気ごと、ぐわんっとボリュームが上がるのだ。
一緒に応援している私も、勇気をもらってしまう。実は自分自身もその空気を作っている一要素だと考えると、なんだかむずむずしてしまう。
もしかしたら、周りのサポーターの方々も同じように、応援の強さに魅了され元気づけられているからこそ、一段とその迫力が増していくのかもしれない。応援の相乗効果と言えば良いのだろうか。
チャントのリズムやメロディーも大好き。ここでは具体的には挙げないが、ぜひYouTubeで「東京ヴェルディ チャント」で検索してほしい。もちろん、スタジアムで直接感じてもらうのが一番だけど。
エンターテインメントの域を超えて
私がサッカーの試合そのものを差し置いて応援に勤しんでいた一方、恋人はといえば、試合観戦に集中したいからか、もしくはちょっと恥ずかしいからか、最初のうちはチャントをあまり大きな声で歌うことがなかった。それが、気づいたら私と一緒に声を張り上げるようになっていたので、それもとても嬉しい。
そして、恋人がヴェルディの応援の楽しさに気づくようになったのと同時に、私はヴェルディの試合の魅力にも気づいていった。
シーズン開幕当初は、チームは試合の立ち上がりが悪いことが課題の一つで、前半にゴールを奪われることもあった。
しかし、ヴェルディの試合は特に、後半のアディショナルタイムラスト0秒まで、見逃すことはできない。最後の最後、残り5分も切ったタイミングでゴールを決め、追いつくことだってある(このような試合が何度もあるので、ヴェルディの応援界隈では「ヴェルディ劇場」と呼ばれている。ちなみにこれは逆のパターン、つまり試合終了間近で点差が追い付かれてしまう場合もあるので、要注意だ)。
「最後まで諦めるな」とはさまざまな世界で登場する言葉だが、ヴェルディはそれを体現しているチームだと、応援していて感じる。ハラハラもするけれど、わくわくが止まらない。去年まで、ヴェルディのヴの字も知らなかった恋人に「これだからヴェルディは応援したくなるんだよ~」と言わしめたほどだ。
シーズンが進むにつれ、ヴェルディは守備が強くなってきた印象がある。サッカー経験者なら書くまでもないことかもしれないが、これまでサッカー含めスポーツは「攻めるが勝ち」だとばかりに思っていた私にとって、守りも大切なんだなぁ…と学ぶようにもなった。少しサッカー(それ以前にチームスポーツ)がわかってきた気がして、少し成長したなと、勝手に自分が誇らしくなる。
もちろん確実な攻めの要素も必要で、逆にゴリゴリに攻めてくるようなチームは、今のヴェルディには手強いのかなとも思っている。
ヴェルディが(正確には城福監督のものでのヴェルディが)プレーにおいて大切にしているのは、守備だけでなく「全員でサッカーをすること」だと感じている。
そりゃそうでしょ、何を当たり前な、と思うかもしれないが、これが案外難しい。誰か一人が飛び出るのでもなく、一人ひとりが攻め守っていて「みんなでサッカーをしているんだ」ということに、試合を観戦するたびに気づくのだ。これには賛否両論あるのだろうけど、全員が一丸となって一生懸命走る姿を見ると、胸がいっそう熱くなる。
私にとって、ヴェルディはかつては「エンタメ」だったのかもしれない。試合観戦を重ねるうちに、みんなでわいわいスポーツ観戦!という意味でのエンタメ要素はあるけれど、その領域をはるかに超えているなぁと感じている。
ルールは今もよくわからないけれど
ここまで、偉そうにヴェルディについて述べてきたが、今シーズンは全試合見ている(現地に赴くことができない試合は、DAZNで観戦)ものの、サッカーのルールはいまだによくわからない。オフサイドはやっと理解してきたほどだ。でも、イエローカードとファウルの違いは「??」状態。今ぶつかられて倒れた選手、痛そうなのに、相手の選手はイエローカード取られないんだ…なんてのんきに思っている。
だけど、そんな私でも十分楽しむことができるのだと、試合を見続けた今になってやっとわかった。
それに普段、Xを通じてヴェルディのサポーターの方々の投稿を見ていると、それぞれがそれぞれの方法で、ヴェルディの応援を楽しんでいることがよくわかる。
サッカー経験者として試合をしっかり分析する人、
ゴール裏ど真ん中、最前列でチャントを叫び飛び続ける人、
マスコットキャラクター「リヴェルン」※とのグリーティングを心待ちにする人、
リヴェルンのイラストを描く人、
特定の選手を追いかけ、その選手の移籍後は複数チームの兼任サポーターになる人、
髪の毛やネイルをヴェルディカラーに染めて参戦する人、
選手の雄姿を収めようとカメラを構える人。
※「リヴェルン」については、この記事では収まらない気がするので、一旦名前と写真紹介に留めておく…
中には、チャントを「オタマトーン」という楽器(?)で演奏する人や、マスコットキャラクターの刺繍を楽しむ人もいる。ユニフォームを自分仕様にアレンジできる人だっている。
彼らが皆、ヴェルディの選手や試合を全力で応援していることは言うまでもない。何が言いたいかというと、「サポーター」の姿は、私が想像していたよりも多様であるということだ。
サッカーを理解し、常に大きな声で応援し続けるのが真のサポーターである!と考える人もいるだろう。私は、スタジアムに通うようになった当初は「あいつはサポーターとしての意識が弱い」と声に出さずとも指摘されるのではないか、という危惧が少なからずあった。でも、ゴール裏に入ってみたら、その場の空気からはそのようなものを感じなかったのだ。
それは、あなたがヴェルディ以外のチームのゴール裏を知らないからだ、うちのチームのゴール裏も同様だよ、と言われるかもしれない。そうだとしても、ヴェルディのゴール裏を作り上げているサポーターは本当に「熱く、あたたかい」のだと自信を持って言いたい。
伝統あるチームだからこそ
1993年の開幕当初、Jリーグを牽引してきた、強豪ヴェルディ(当時のチーム名は「ヴェルディ川崎」)。
その後J2に陥落してから、16年間昇格できず、もがいてきた。想像するだけでも、言葉には表せない悔しさ、もどかしさがあったはずだ。その苦労の時代があるからこそ、ときに選手たちよりもサポーターのほうが危機意識が高いのでは?と思うほどだ。調子の良い試合が続いているときには、もちろん熱くもなるが、同時に冷静に次の試合を見ている。
それだけではない。長年の低迷期の中で、サポーターがどんどん離れていったという事実も、過去の試合の写真や開幕当初からのサポーターの方の話を拝見せずとも、想像はつく。スタジアムの観客数は、今となっては20,000人に達しているが、3,000人も満たなかった時代があるのだ。
苦汁を嘗めてきたサポーターは、私のような新参者に対しても、本当にあたたかい。今年、ヴェルディがJ1に昇格し注目されたことで、その存在を知り興味を持った人は数知れない。そんなサポーターを古参・新参と分けずに、同じ「ヴェルディを応援する者」として歓迎し大切にしたい、とXで投稿している人もいて(それも複数人)、私はそういったコメントを目にするたび、つくづくありがたいなぁ…とじんわりしてしまう。
Jリーグ開幕当初からのチーム「オリジナル10」の一チームとして、30年以上(ほぼ同い年!)酸いも甘いも嚙み分けてきたからこそ、その重みを長年のサポーターはもちろん感じているし、ここ数年の間に応援するようになった人も、彼らの応援する姿を通してまた、実感する。選手たちも同様だろう。それはあるときにはプレッシャーにも感じるかもしれないが、裏を返せば「プライド」として、そして今の選手たちのやり方で新しく活かしていこうと奔走しているのかな、と思う。くさいけど「伝統と革新」ってやつか。くそぅ、改めてかっこいいな。
今も、そしてこれからも
かくして良きサポーターの先輩たちに囲まれヴェルディの試合を続けて見ていて、感じることがある。それは「東京ヴェルディは、選手も監督もサポーターもマスコットキャラクターも全部含めて、ファミリーである」ということ。
また暑苦しいことを…と自分でも突っ込みたくなるし、実はこの表現を初めて耳にしたときは、(ふーん、青春って感じね)程度にしか捉えていなかった。今となっては、その意味がよくわかる。
このチームは、あまりにも人間的というか、人生のようなのだ。
(厳しい言い方をすると、例の「ヴェルディ劇場」なんてしないで良いよ!ひやひやさせないでくれ!安定した人生を送ってくれよ!とも思うが笑)
J1という舞台に戻ってきて、試合を重ねるごとに選手たちは皆、目に見えるほどの成長をしている。私は、ヴェルディの選手たちを長年見守ってきたわけではないし、今年プロデビューしたばかりの選手もいる。それでも、この1年の間だけでも彼らの勢いが伝わってくるのだ。だから、試合を見るたび興奮も強くなっていく。
彼らのすごいところは、成長に裏打ちされた「軌道修正力」だと思う。敗戦後はもちろん、勝っても満足のいく内容ではなかった試合後は、城福監督が𠮟咤激励で選手たちを刺激する。そうすると、その次の試合ではさらに彼らはパワーアップして現れるのだ。彼らには「もっともっと強くなる!」という、まっすぐで純粋で、素直な気持ちが伝わってくるのだ。
だからこそサポーターたちは目が離せない。ずっと支えていきたくなる。
彼らは同時に、まだ成長の途上にいることもよくわかる。選手の平均年齢がチーム全体として若いこともあるが、J1の首位グループに君臨する他チームと比べると、まだまだもがいている段階なのだなぁと思う場面も。
誰しも日々の中でうまくいかないこと、行き詰ってしまうことがあるだろう。面倒くさいと思うことだって、多々ある。
それでも、前を向いて全力で走り続けないといけないんだ。いや、走り続けていきたい!彼らを見ると、そう思わされるから不思議だ。
特に苦しみながらも前進し続ける選手と、彼らを熱く指揮する監督。
私たちサポーターも、応援という形で彼らを育て、支えている。と思いきや「ヴェルディが」私たちを育て支えてくれているとも感じる。
互いに刺激を与え合っている、なんて素敵な関係性だろう。
そうか、これこそが「ファミリー」の意味なのか。
だいぶ前から、ヴェルディを好きになれるきっかけはたくさんあったのに、今の今になるまで気づかなかったことが、本当に悔しい。
だけど、子どもの頃からヴェルディに対する「何か」は確かに存在していて、気づかないところでくすぶっていた。それが「今の私」という状態になったときに「今のヴェルディ」に出会ったことで、がちっと組み合わさった気がするのだ。これって、本当に幸せなことだと思う。当たり前だけど、過去にも未来にも味わえないことだからだ。
なんだかものすごく自分勝手で、言い訳のようなことに聞こえるかもしれないが、私が今ヴェルディのサポーターになれたのは、そういう理由だと思うようにしている。
サポーターの定義は幅広く、人それぞれ解釈は異なるだろう。仮に「毎試合きちんと観戦をし、ユニフォームや何かしらのグッズを持っていて、チームと一緒に泣いたり笑ったりする人」とすれば、今までのヴェルディをサポーターとして支えることはできなかったけれど、そんな「今まで」を持ったこれからのヴェルディを、私なりのサポーターの形で、支えていきたい。
年を取るにつれ、自分や周りの環境も変わっていくし、ヴェルディもどんどん変化を続けるだろう。
これから先のヴェルディを見守り続け、私が母親くらいの年になったときに、若者に「ヴェルディ、いいぞぉ~」と言えるようになれたら嬉しい。
サッカーの応援って、私でもちゃんと楽しめるんだ。楽しいんだ!
これを知ることができただけで、今年の私は大収穫。
たぶん子どもの頃の私も、本当はサッカーに興味を持ちたかったんじゃないだろうか。そんな当時の自分に「大丈夫、今すっごく楽しんでいるよ」と言ってあげることにしよう。
【おまけ】
お気づきだろうか…目次を前半戦・後半戦とよく眺めていただけると、制作者冥利につきます。