全日本の無い2年間を通して思ったこと
いつも当記事を読んでくださる皆様。暑中見舞い申し上げます。
私も暑さが堪える歳になってきた気がします…
毎年毎年、私にとって夏の始まりは常に全日本とともにありました。
日に日に増えていく汗と緊張感、過酷になっていく練習メニュー、全套(通し練習メニュー)前のヒリつく感覚、汗だくのTシャツが肌にくっつく不快感、寝る前にその日の自分の全套を見返す時間…
武術選手にとっては文字通り心身共に削られる期間ではありますが、コロナでその感覚が薄れた今、私はあの時間を愛おしく思います。あの時間は、超生きてる感じがする。
私だけが感じることではありませんが、こうして考えると、やはり自分は「大会ありきの選手」だと思います。
競技者のタイプについて
競技者には、選手自身の競技の向き合い方に関して、いくつかのタイプがあると思っています。
①純粋に「競技そのもの」が好きな選手
単純に、競技そのものに自身の続ける価値を見出している選手です。大会の結果などは二の次で、単にその競技が好きで、練習も好き。上手くなっていくことに最上の喜びを感じるタイプ。
私見ですが、大成する選手にはこのタイプが多いと思っています。
②大会、試合で「勝つこと」が好きな選手
競技そのものというより、「競技者である自分」や「公式の大会で勝つこと」が好きで、そこに競技を続ける目的がある選手。①との大きな違いは、試合などにおいて、普段との切り替えが激しいということ。
このタイプの選手は大成するかどうかは人によりますが、執念や強い思いを持った選手が多いので、私は好きです。
③自分以外の人のために競技をやる選手
家族など、周囲の応援に応えたい、周りをガッカリさせたくない、尊敬する人に認められたい、等々。ジュニア選手に多い印象です。私はこのタイプの選手の気持ちはあまり理解できないのでその心情を詳しく解説することはできませんが、競技を続ける理由としては多いのかなとも思っています。
私はいうまでもなく②のタイプです。大会の緊張感、高揚感は他に替え難いものがありますし、勝った後の全能感、達成感を味わいたくて競技者を続けている部分が大きいと自分では思っています。
大会が無い=競技をやる理由が無い?
純粋に競技が好きだからという理由だけで競技者をしているわけではない私にとって、大会が無いということは、競技をやる意味がないということと同義です。
もちろんアスリートにとって勝つことがすべてではないと思っていますし、純粋に競技を楽しまなければ先は無いというのも承知しています。
ただ、私は「勝つこと」よりも、「勝つために全てを懸けて挑むこと」こそが競技者という人種にとって最大の意義であり、贅沢な権利であると考えています。
私が最近読んだ、短距離走の選手を描いたスポーツ漫画、「ひゃくえむ」で、大好きなセリフがあります。
私がこの言葉をみて思うのは、こういった狂気じみた熱こそがアスリートをアスリートたらしめているのであり、自分も早く、もう一度この狂気の熱にあたりたいということです。
色々語ってしまいましたが、私がこの2年間で思ったことはただ一つ。
「大会に出たい。大会をやって欲しい」
これだけです。
武術太極拳に取り組んでいる選手の皆様。来年を楽しみに、今はトレーニングに、日々の練習に励みましょう。
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