競技者としての葛藤と分岐点について
シニアの武術太極拳選手達にとって、大学、専門学校卒業というのは競技人生における大きな分岐点となります。“何かに必死に打ち込むこと”自体が美徳とされる学生という非常にスポーツに集中しやすい状況から、社会人になり、自他共に世間一般ではプロでもない限りスポーツは“趣味”であるという認識に変わっていく為です。
よく考えたらというか、よく考えなくても当たり前のことなんですが、競技を自身の生活の軸に据えている私達競技者にはなかなか気づきにくい問題です。
残酷な言い方をすれば、全日本でメダルを獲っても、日本代表になっても、世間からすればそのこと自体にあまり価値はありません。特に仕事の場においてはそれらの功績は全て単なる「思い出」です。
私はまだ学生ですが、このことについては強化指定選手になってからもずっと考えていました。
世間から仕事としては評価されないこの活動に、社会人になってからも続ける意味はあるのか。
一時期は大学を2年休学することで学生期間を伸ばし、計6年の学生生活の間で競技を終えようと考えていました。
一応断っておきますが、私は武術太極拳という競技は好きですし、その競技をやっている自分も好きです。
ただ、金にならないことをいつまでも続けるというのには努力が要ります。そして周りの人の助けも。私は父や母、祖父や祖母らの支援なしに大阪に来ることはできませんでしたし、競技を現在まで続けることもできません。
そんな周りの人々に甘えて、「俺は競技頑張ってるからいいか」というのはあんまりです。その思いは結果を残すことができ始めてからも変わりません。
新聞奨学生で得た、「金」に対する考え方
前回の投稿で新聞奨学生時代の話をしましたが、4年前の夏、私は全日本に出場する為に「スポーツの試合に出るから休ませてくれ」と販売店の上司に頭を下げていました。
当時の私は周りの冷たい反応にがっかりしていましたが、今考えると、私達は決められた週1の休みを除いて毎日新聞配りをすることで給料と学費の援助を受けるという契約をしていましたから、大会というのは仕事を休む言い訳にしかなりません。
「何をするにも金は必要で、その金は勝手に湧き出てくるわけではない」
当たり前ですが、競技者は周りの人の支援があることでこれを意識の外に置きがちです。
私は新聞奨学生を通して、このことを肝に銘じました。
競技を不自由なく続けていく為には、自分の気持ちだけではどうにもならない部分がある。それはどうしても金なんだと。私達はこの問題について、しっかりと向き合っていかなければなりません。
競技を続けるのは言ってしまえば自分のエゴですし(他人から言われてやるもんじゃないので自分のエゴであるべきなんですが)、これは避けられない問題ですね。
余談ですが、休んだ分の給料はしっかり翌月分に引かれましたし、全日本が終わった翌日にはいつも通り2時過ぎに起きて朝刊配っていました。
いや〜金を稼ぐって大変ですね。
コロナ禍で見えた展望について
去年から引き続きコロナ禍で競技活動を制限されている私達ですが、今後の競技人生について悩んでいた私にとっては、自身について考える良い機会となりました。
2020年に予定されていた東京W杯が2022年に延期となり、2021年以降の先行きも不透明な中、休学の限度2年を使って学生のうちに競技人生を終わらせるべきなのか。就職浪人をして競技の時間を確保するのか。
いまいち決めきれない中、同居している恋人に就職のことを聞かれ、ちゃんと答えられない自分が嫌になりました。これが大きなきっかけだったと思います。
それから本格的に競技を続けながらも就職できないかと考え出し、「デュアルキャリア」という考え方があることを知りました。
デュアルキャリアというのは、アスリートのセカンドキャリアから派生した言葉で、就職か引退かでキャリアを決めず、どちらもうまく両立させていこうという考え方のことです。
私は、自分にとってはこのデュアルキャリアを実現させることが、競技人生を伸ばす為の最善であると考え、早速これを軸に就活を開始しました。
そして、アスリートの就活を支援してくれるサービス、マイナビのアスリートキャリアサポート事業(アスナビ)に登録しました。
これが正解かどうかはこれからの就活次第ですし、今後うまく両立していけるかはまだまだ未知ですが、ひとまず自分の競技人生における指針ができたと思っています。
コロナ禍がなければ、ここまで真剣に自分の今後を考える機会もなかったかもしれません。コロナには全く感謝していませんが、考えるきっかけをくれた周りの人に感謝しています。
長くなりましたが、というわけで私は就活を始めます。
これからまた忙しくなっていきそうですね
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