明治の都会人による田舎暮らしの実態
先日、民放連が「青少年に見てもらいたい番組」なるもののリストを公表したそうです。
私はここ10年ほど、(プロ野球中継を除いて)ほとんどテレビを見ない生活となってしまったために、挙げられている番組の中にはよくわからないものも多いです。
ただ、「ガイアの夜明け」については、
と紹介されていますが、レオパレス問題の回なんかを思い出すと、どちらかというと経済版文春砲というイメージが強いです。まあ、青少年に見てもらって、この世の中はいろいろ簡単ではないと知ってもらうという効果はあるかもしれませんが。
それはそうと、「青少年に見てもらいたい番組」に挙げられているもののなかで気になるもう一つの番組が「人生の楽園」です。
いわゆる、年を取ってからの田舎暮らしを礼賛した番組です。「田舎暮らしへのあこがれ」は、いまやブームを越えてある種のジャンルとして定着した感があります。この「田舎暮らしへのあこがれ」について、書いてみようと思います。
「田舎暮らしへのあこがれ」は昔からあったのか?
そもそも、私が子供のころには「田舎への移住に対するあこがれ」という流行はあまりなかったように思います。ムツゴロウの動物王国が人気となり、別荘ブーム、スキーブーム、ハイキングブームなどはあったのですが、これはあくまでも自然(田舎)をレジャーの対象としてとらえただけであり、年を取ってから田舎に転居することがそれほどロマンチックにとらえられる対象ではなかったと認識しています。
これは、働き盛りの親世代に農村出身者がまだ多かったため、田舎への移住が「あこがれ」というよりは「現実」としての対象だったからでしょう。
とかえらそーなことを思っていたのですが、地元の古本市で見つけた徳富健次郎「みみずのたはこと」を読んで、完全に考え方を覆すに至りました。(私は岩波文庫版を読みましたが、青空文庫で無料で読めます)
大正元年に初版が発行されてから、関東大震災直後の大正12年までに108版を重ねるロングセラーとなった作品です。その際の宣伝文句を引用します。(読みづらい漢字や旧仮名字体は、適宜ひらがなや新字体に変えています)
現代のわれわれにとってはちょっと読みづらいですが、まさに田舎暮らし礼賛の書です。下記で、詳しくこの「みみずのたはこと」について触れたいと思います。
明治の田舎暮らし本「みみずのたはこと」
著者の徳富健次郎は、徳富蘆花の名義で発表した浪漫主義的な小説「不如帰」「おもひ出の記」などで、すでに文壇ではよく知られた存在でした。
彼は明治40年、40歳で当時の千歳村粕谷集落(今の世田谷区)に一軒家を購入して転居しました。この、粕谷暮らしに関する随筆をまとめたものが「みみずのたはこと」です。
冒頭の「故人に」にはこう書かれています。
都会から田舎に移り、母なる自然に溶け込み、浄化された生活を送っているさまが目に浮かぶようです。
彼と愛子夫人との田舎暮らしに、途中でもう一人住人が加わりました。兄の徳富蘇峰のもとから養女としてもらい受けた鶴子です。
これもまた、自然派に典型的な文章だと思います。子供は都会の中で窮屈に育てるよりも、田舎でのびのびと育つほうがいい。勉強はあまりできなくてもいい。ただ、自然の中で自由にさせておけば、むしろ丈夫に育つ。という価値観です。
まるで高度経済成長期に(そしてそれ以降にも)よく見られた考え方だと思います。明治時代にもこのような考え方があったのだということは驚きでした。
内容も、田舎で住むための家を購入する顛末から、田舎で出会った印象的な村人たち、村人との何気ない会話、病で亡くなったり貧困により行方知れずとなった人々の記憶、自然など、多岐にわたります。
個人的には「麦の穂稲穂」という章が最も面白いと思います。田舎における1年12か月の様子をそれぞれの月ごとに記したものです。一例として、三月の節の冒頭を引用します。
初春、まだ寒の戻りがありつつも、農作業が始まって気ぜわしい様子が、蘆花特有のテンポの良い文章で描写されています。楽しくて楽しくて仕方ない!という文章ではないにもかかわらず、なんとなくこういう暮らしが人間として自然なものだと思わせられてしまうのは、蘆花の文章力のたまものだと思います。
明治人があこがれた田舎暮らしの実態
現代の話に戻ります。田舎暮らしが一つのジャンルとなったにもかかわらず、「田舎暮らしはそんなに甘くない」というような批判も多く、しばしば論争のネタになったりもします。
まだまだいくらでもでてくるのですが、きりがないのでこのあたりにしておきます。この種の話は、「田舎暮らしの実態を何も知ろうとしない都会人の無知に対する非難」「田舎暮らしに成功した人にたいする妬み」が織り交ざったものになっているのですが、当事者からの信頼できる声というのは意外と少ないように思います。(ある女性YouTuberが北海道の山間部に移住したものの、セクハラやストーカー被害で撤退したというような、センセーショナルかつ真相がよくわからない話などはありますが…)
それでは、先述の「みみずのたはこと」の実態はどうだったのか?が気になります。なんと、ネットを検索すると、養女として徳富健次郎とともに暮らした鶴子の回想インタビューを発見しました。
こんなものまで無料で読めるとは、すごい時代になったものです。
1999年から2003年にかけて、当時90歳代半ばであった矢野鶴子さん(旧姓 徳富鶴子さん)に対して行われたインタビュー記事です。
この中で、鶴子さんはこうおっしゃっています。
「みみずのたはこと」では、健次郎は自らを「美的百姓」と名乗り、百姓としても中途半端ものであることを自嘲的に認めていました。しかしその田舎暮らしは想像以上に表面的なものでした。健次郎はたんに「百姓的なもの」の雰囲気を好んだだけであったと同時に、都会的なものが優れているという価値観を捨ててはおらず、結局は単なるロマンチストだったのでしょう。また、健次郎はすでに作家として地位を築きぜいたくな暮らしに慣れていたために、田舎の本当に質素な暮らしには耐えられなかったということでもあったようです。
鶴子は、健次郎のことを「ひじょうに「芝居ッ気」のつよい人」と評します。そのうえで、彼の生活については、
と、ばっさり批判しています。
「百姓ごっこ」「子育てごっこ」の末に
鶴子は、彼女と養父健次郎との生活すらも「子育てごっこ」と表現しています。そのうえで、彼との生活についてはこう回想しています。
そして後年、健次郎は兄の蘇峰と仲たがいをしてしまい、突然鶴子を蘇峰のもとに返してしまいます。鶴子を養女に迎えてから5年8か月後のことでした。これは鶴子にとっては深い心の傷となりました。
インタビューでは、鶴子は「みみずのたはこと」について、こう断言します。
私自身、現代においてもこれほどはっきりと「美しい田舎暮らし」の虚像を暴いたものは見たことがありません。(だれが言ったのかわからないような真偽不明のものはたくさんありますが…)
あこがれの田舎暮らしと、その実態の乖離というのは、機械化、都市化が進んだ高度経済成長期以降の話に限った話ではなく、すでに明治期にはそういったことが発生する土台はできあがっていたのでした。
現代における田舎暮らしは、交通の発達や通信網の整備により昔よりはまだ難易度が低いのだと思います。しかし、健次郎のような芝居っ気とロマンチシズムだけを武器にして(時には子供連れで)田舎暮らしに飛び込む方に対しては、個人的には危うさを感じてしまうのも事実ですが…。