大崎上島と大久野島とちょっと竹原
タイトル画像は、大崎上島の神峰山でみつけたもの。こういう看板はだれが設置するのだろうか…。
1日目:大崎上島で多島海を見る
広島県の南岸沖合に延びる芸予諸島は、戦後本州との架橋が整備されたことにより多くが陸続きになりました。主な島が本州と架橋された年を並べると
倉橋島…1961年
向島…1968年
江田島…1973年
因島…1983年
生口島…1991年
大三島、伯方島、大島…1999年
上蒲刈島、下蒲刈島…2000年
豊島、大崎下島、岡村島…2008年
となるのですが、その中で取り残された形なのが大崎上島です。昭和中期くらいまでは石炭輸送や造船により栄えたのですが、現在はアクセスの不便さもあり衰退しつつあります。
竹原港からフェリーで30分ほどで白水(しろみず)港に到着。そして港すぐそばにある大崎上島町観光案内所でスクーターをレンタルしました。
とりあえず、一番の目的であった神峰山へ。ふもとから片道1時間の登山ですが、山頂はどっちみても超いい景色。瀬戸内海はこういう景色みられるのがいいですよ。登山に多少は慣れていないときついかも…。
下山して再びスクーターで散策していると「弓張岩」なるものを発見。かつてはもっと弓に似ていたそうですが、芸予地震で崩壊して今のような形になったそうです。海の色が真っ青で超きれい。
スクーターを返却してから、バスに乗って観光案内所で教えてもらった「上組トンネル」へ。昭和4年開通の手彫りトンネル。「上組トンネルのおはなし」というパンフレットには、軽乗用車で通ったという話が載っていましたが、とても信じられない道幅です。あんまり訪れる人いなさそうですし、アクセスも超不便ですが、一見の価値がある場所だと思います。
2日目:大久野島で軍遺構とウサギに触れる
大久野島は大崎上島と異なり、観光に特化した島です。かつては日本軍による毒ガス製造工場が作られていたために、そこかしこに軍施設跡が残っています。一方で、かつて放されたウサギが野生化して繁殖した結果、大量のウサギが見られる島としても有名です。島内には「毒ガス資料館」という施設もあるのですが、おそらく訪れる人の90%以上は軍遺構ではなくウサギ目当てなのでしょう。
実際に見てみると、聞きしに勝るウサギの数です。(ウサギが食べられる範囲において)エサやりも自由にできるために極めて人に慣れていて、確かにこれは楽しい!コロナ禍で観光客が減った影響でウサギの数が半分以下にまで減ったそうなのですが、それでも島内ウサギだらけ。ウサギを独占したいなら、ねらい目は日帰りの観光客が帰った後の午後5時以降です。ウサギはクマと同じ薄明薄暮性なので、朝方と夕方はより活発に活動するそうです。
日本軍の遺構の中では、かつての毒ガス貯蔵庫跡や発電所跡は巨大で迫力がありました。いまは水仙などが咲いていてのどかな雰囲気ですが、こんな隔離された場所で危険な毒ガス製造の仕事に携わるのは、地獄のような生活だったと想像されます。
オタクっぽい話をしますが、第二次大戦時は腐食性ガスに耐えるフッ素樹脂コートが発明されていませんでした。そのため、陶器性のタンク、配管、バルブが使われていたそうで、伊那製陶(今のINAX)とか日本特殊陶業などが製作していました。
しかし、陶器って焼くときに縮むんですよね…。気密性が必要な毒ガス設備に対して、どうやって寸法精度を確保できたのかがよくわかりません。もしかして多少の漏洩は気にしなかったのでしょうか。
もっと言うと、毒ガスが漏洩した時のための検知器類も当時は発明されていなかったのではないかと思います。そのため、当時は毒ガスがいつの間にか漏れ出ていても誰も気づかず、いきなり体調不良を訴えるなんてこともあったと想像されます。恐ろしい世界です。
あと、個人的には「休暇村 大久野島」は超おすすめです。バイキングのご飯はおいしいし、時間を気にせずウサギを見に行けるし、そんなに高くないし。ロビーには外国人観光客が個人的に作ってホテルに寄贈したと思われる、ウサギ写真集が置いてありました。
3日目:竹原でたまゆらの痕跡を追う
竹原といえば、なんといっても町並み保存地区です。昭和40年代から積極的に町並み保存を進めた結果、江戸から明治にかけての建物が多く残されました。ゆっくり歩いてまわって半日くらい。いくつかの建物は内部の見学もできて、よいところです。
そして、もうひとつ竹原と言えば「たまゆら」です。2010年代前半から中盤にかけての作品で、竹原が主な舞台となっています。
こういう作品の多くは大河ドラマとか朝ドラと一緒で、放映終了後に一気にブームが去ることが多いのですが、竹原ではたまゆらはまだまだ生きていました。町中のそこかしこにたまゆらの痕跡が見られます。これだけ長い間人気を保つというのもすごいことだと思いますよ。