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漫画家の書いた文章を読みたい


シンパシーを感じる漫画家のX上のポスト

「物語」が苦手な話

もう1年くらい前のポストなのですが、「私以外にもそういう人いた!」と思ったものを貼り付けておきます。

私はTRPGはやらないのでそのあたりのくだりはよくわからないのですが、「共感能力が高すぎて感情移入しすぎでしんどくなる」ために「物語を摂取するのにものすごい覚悟と体力が必要」というのは私も全く一緒です。

特につらいのが、実写のドラマや映画。演劇もダメです。

そのため、私はほとんどと言っていいほど流行りのドラマや映画を見ずに生きてきました。NHKの朝ドラ、大河ドラマも見ません。若いころは「私は単にドラマが趣味に合わないだけだ」と思っていたのですが、どうも人間関係の色々を実写で見るのが苦痛なのだと30歳くらいの頃に気づきました。

ネット上の知り合いも含めて、ドラマをほとんど見ない、見るのが苦痛という人を周囲で見たことがなかったのですが、私だけではないことを知ってちょっと安心した気持ちになりました。

過集中の話

もう一つ、共感したポストを貼り付けます。
(こちらは鍵アカウントなので、文章をコピペします)

漫画描いてるとカフェインをたとえぶち込んでなくても過集中モードに入ると寝れなくなるのが困る。あと他のこと手につかなくなる。漫画とは付かず離れず良い距離感でやっていきたい。じゃないと💀ぬ

こちらについても、私は漫画を書かないのでそこについてはよくわからないながらも、過集中になると神経が興奮して落ち着けなくなるのは私もそうです。

たぶん、私の適正としては在宅でデータ分析や理論を組み立てる系の文書を書く職業もあっているのでしょうが、もしうっかりそんな仕事をしていたら不眠症になっていたと思います。
現在勤めている会社でもごくまれにテレワークしたりするのですが、むしろ出社するよりテレワークのほうがしんどいです。テレワークだと集中しすぎてしまって時間の感覚はなくなるし、ふと気づくと目、肩、頭など上半身のあらゆる部分に鈍痛を感じていた、ということもざらにあります。

私の知り合いでは、ほとんどの方は出社より在宅仕事のほうが楽だと言います(ご家族に気を遣うとか、自宅に居場所がないなど別の理由でテレワークを嫌がる方はいますが)。過集中になるからテレワークはやりたくないという人ってけっこういると思うのですが…。

上記のポストはどちらも漫画家さんによるもの

1個目に紹介したポストは漫画家の鹿島初さんという方のアカウントです。
最近では「ライバーダイバーラバー」という漫画を連載していたのですが、残念ながら打ち切りになってしまったそうです。私はすごく好きだったのですが…。

2個目に紹介した方は鍵アカなので具体名は書きませんが、この方も漫画家です。この方の作品は少し前にドラマ化されて、地上波で放映されました。

私はXでいろんな漫画家さんのアカウントをフォローしています。私自身はクリエイティブからかけ離れた職業についているのですが、よくわからないことに漫画家さんのポストにはシンパシーを感じるものが多いような気がします。

漫画家の書いた文章をもっと読みたい

漫画家のポストは面白いのですが、Xのポストは短文しか投稿されません。
漫画家の書いたもっと長い文章を読みたい!ということで、いろいろ探してみたのをいくつか紹介してみます。

福岡太朗「創作する苦しみ、好き≠楽しい論」

「好き=楽しい」は間違えだと思う。
「好き=楽しい」だと、キツかったり楽しくない時に「好きじゃないんだ」という勘違いが起こり、やめてしまうしやる気がなくなる。
勿体無い!!

漫画を描く以外でも、趣味でも仕事でも何でも続けていたら楽しくないことや辛いことが必ず起こる。その時に「好きじゃなかったんだ」ってなるともったいないじゃないですか。

という感じで、漫画を描いて苦しんでいるのは好きだからやっているわけです。
楽しいをモチベにやってると、楽しくなくなるとやめちゃうから、楽しいをモチベにやらない方が良いという話です。

ここ、ほんまにそう思います。楽しくなくても好きなことはある。楽しくないからこそ、うまくいったときに好きになれる。記録に挑戦したり、難度の高い課題に取り組む系の趣味は、全体的にそうだと思うのです。

ただ、この方はそのあとで、

でも「絵を描くの楽しい〜!」って描いてる人には勝てないんだろうな。

とちょっと弱気になっているのですが…。なんとか負けないでほしいです。

なお、福岡太朗は「純情戦隊ヴァージニアス」や「初恋転生ニアデスゴッデス」などを連載していた方です。そして、最近「おんなのこのけんをてにいれた」という連載が始まりました。基本的にはラブコメ作品が多いのですが、いずれもやや歪んだ感じの「ラブ」が多くて、私が大好きな漫画家さんです。

ノッツ「「自分を変えることがある読書」2023/10/31 NIKKI」

例えばこういうところの文章だって、頭の中で書きたいことが明確に定まってなくても、まず書き始める。とりとめもなくその時々の考えなどを文字にして落とし込んでいく。話があっちこっちいったり言いたいことが定まっていなかったとしても「人間はあとあと辻褄を合わせるもの」と思い返すことで、とにかく書き進められることができる。

実際、書き進めていたものを読み返すとどんどん修正したい箇所がでてきて、そこから自分が書きたいもの・言いたいことはこれだったんだなということに気づき、いつの間にか文章が形になり出来上がっている。辻褄は実際に合わせれていたのだ。

この文章も、完全に同意です。私は当初は頭の中で完全にプロットをつくってからnoteの文章を書いていたのですが、最近は完全に見切り発車になりました。なんとなく考えながら、書いたり消したりしていくことで、それなりに辻褄がつくのは不思議です。

ノッツは、過去に「好き好きだいちゅきつよつよソード」を連載していて、現在は「杉雪カコと見たい明日」などを連載している方です。この方もラブコメ多めですが、とくに「好き好きだいちゅきつよつよソード」はかなりねっとりした重い「ラブ」を楽しむことができます。

名仁川るい「ミニマリストにはなれなくていいと思った。」

そういえばミニマリズムと似て非なるものでシンプリズムというものがあるらしい。

無駄に物を持たない部分では共通しているが、シンプリストは思い出の品も必要最小限以上の服も所有している。部屋にインテリアもあるという。要は「片付いた部屋でシックに暮らす人たち」をそう言うのだろうけれど、じゃあ私もどちらかと言えばシンプリスト寄りなワケですが、そもそも「~リスト」という枠に自分を当てはめる事自体、性に合わない行動だと気が付いた。

だからもう単純に「散らかしてもちゃんと片付けられる人」でいたい。

「買ったものを最後まで使いきれる人」でいたい。

私は物はあまり増やしたくないタイプなのですが、シンプリストか?と言われるとそうでもないように思います。そもそも、「シックに暮らす」というのがあまりピンとこず、できれば整理整頓したいくらいの気持ちしかありません(私が一人暮らしだからというのもあるのかもしれませんが)。
そして、「散らかしてもちゃんと片付けられる人」「買ったものを最後まで使いきれる人」というのは、私にとっても人生の大目標です。すぐに散らかってしまうほうなので…。

名仁川るいは、いわゆる成年漫画家さんです。私は成年漫画は全くと言っていいほど詳しくないのですが、なんとこの方は女性でありつつも男性向けの成年漫画を描いているそうです。
このあたりの顛末を書いた記事も、読みごたえがあります。

うつと「シオカラくんと私」

千綿くんのお渡し会で私は二部セットを買ったのでカレンダーにサイン入れとツーショチェキが撮れました。

カレンダーに入れる宛名を事前に紙に書いて渡します。推しに自分の名前を書いた紙を渡す状況がシュールで頭がくらくらしました。

こういうの、本名にして貰うのが恥ずかしいのでTwitterで使ってる名前(うつと)を書きました。漢字で【ビャンビャン麺さん】にすれば画数が130画あるので2、3分話す時間を稼げるんじゃないかとせこいことを考えましたが流石にやりませんでした。

こちらは「共感できる話」ではなく、「全く分からないけど読んでいて楽しい話」です。「王様戦隊キングオージャー」というニチアサ特撮ドラマに、そして出演していた千綿勇平にドはまりした記録です。
上記、ビャンビャン麺のくだりは、よくそんなこと思いつくなと感心しながら笑いました。愛があふれる名文だと思います。
この方のnoteはフォロワーが2名しかいないのですが、うち1名は私です。だから何なんだという話ですが。

うつとは、「田中現兎」という名前で過去に「嘘つきユリコの栄光」という作品があり、現在は「死後出版」を連載中です。「嘘つきユリコの栄光」は、承認欲求の強さが並外れた主人公の少女が、自分の嘘を武器に成りあがっていく?話ですが、この少女がすげーかっこいいです。「死後出版」は、著者が亡くなってから出版される本の専門出版社を題材とした物語。こちらは、登場人物が毎回異なった事情を持つのですが、どのエピソードも面白いです。

鹿島初「偽りの田舎の夏を作ろう」

しかし数年前に「丁寧な暮らし」ブームがあった頃、田舎の古民家に住む生活系のYoutuberをよく見ていた。不便ながらも手間暇をかけた穏やかな暮らし。「理想の田舎暮らしの更に上澄みの部分」である。

私はとても影響されやすいのでそれらを見て「田舎の上澄みを啜りたい」となったのだ。しかし田舎で過ごした経験が乏しすぎて全くわからない。

ということで「想像上の田舎の夏」を作り上げることにした。

おそらく本当に田舎に住んでる人からしたら「何を言ってるんだお前は」「田舎はそんなんじゃねえわ」であろう。しかし私はやる。概念のエモい部分だけを抽出した架空の夏を作ってみせる。目指せ最強のぼくのなつやすみ。

またしても鹿島初さんの文章です。この方、noteもやっていらっしゃいます(最近投稿されていないのですが)。

この文章は、前回私が投稿した「経験したことがないことに対して感じるノスタルジーについて」とも通じる内容だと思います。

そう、経験したことないのになぜか懐かしさを感じる、そういう感覚ってありますよね。私は大阪市内の産まれ育ちですが、両親の実家も大阪市内にあるので田舎も何もあったものではありません。しかし、なぜか田舎的なものに惹かれるのは同じです。
「田舎の上澄みを啜る」というのは良い表現だと思います。

全体的に思ったこと

上記挙げたものは、どれもすごく読みやすい文章だと思いました。漫画家は漫画を描くのが専門だと思うのですが、ストーリー構成という点において文章書くのもうまいものなのでしょうか?

と思ったら、まさにそれに関連したことを書いた記事を見つけました。

 小説は漫画の下位互換というわけではありませんが、ネームと違って、小説は小説だけで面白く読めますから、あんまりネームに苦しむようなら小説を書く勉強をしてみるというのもよいと思うのです。

 なんと言ってもネームと小説は絵が下手でも書けますから。

 そういうわけで、浜村も最近はネームと小説を同時に書いたりすることが増えました。せっかくなので、こういった小説も発表していけたらいいですね。縁がなくて漫画にできなかった原作もありますし、それらの小説を発表するのも、また新しい気づきがあるかもしれません。

なお、タイトル画像は、漫画家から後に小説家に転身したあさぎり夕の作品「ミンミン!」です。昔、りぼんで連載を読んでいたのを思い出します。当時はまさかこの方が、BL漫画とかBL小説も書くとは思いもよりませんでした。

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