その日こそ自由になるんだ~男らしいってわかるかい
◆背伸びしたシンガーだったあのころ
中学生のころは、毎日、ギターを弾いて歌っていた。
最初はケメとか、かぐや姫だったが、聴く世界が拡がるにつれ、流行りのフォークソングではない曲を歌うようになった。
南正人さんの「海と男と女のブルース」なんかを、おかっぱ頭の中学生が、したり顔で歌っていたんだ。スライド・バーなんかすべらせながら。棄てても棄てられても恨みっこなし、なんて。
そんな中の1曲に、ディランIIの「男らしいってわかるかい」があった。
ボブ・ディラン“I Shall Be Released”の和訳として、広く知られている歌だ。
俺は断じて俺の考え通りに生きる、のくだりを
“わたし”に変えたりして、強く思い入れ声を張り上げていた。
ーーピエロ・臆病者・怯え
といった負け犬的なワードに酔っていたころでもある。
◆中学生が求めた自由
今年、数年ぶりに大塚まさじさんのステージを観た。チャールズ清水さんとの共演というまたとない夜。うれしいことに「男らしいってわかるかい」も歌ってくれた。
ーーその時、その日こそ、自由になるんだ
心の中で一緒に歌いながら、14歳の私は
何を思ってこの歌を歌っていたんだろうとふと考えた。
もちろん14歳なりに、家や学校で窮屈に感じることは多く
飛び出していきたい気持ちはあった。
外の世界を知らないだけに、“自由”は果てしなく広く大きいもののようにも思えたし、その気になりさえすれば、手に入るものだと信じていた。
だけど、家に帰れば屋根もあり、ごはんもあったし、本気で解放とか自由を考えたことはなかったような気もする。
ライブの後、まさじさんと話す機会があったので
「中学生のころ自由とか何もわからず歌っていたような気もするんですよ」
とちょっと恥ずかしい気持ちをこめて言うと
「その時、その時の自由を歌えばいいんじゃないんですか」
まさじさんは、優しい目でそう返してくれた。
そうか。その年齢ごとに求める
その人なりの自由があっていいんだ。
◆決めつけているのは自分
どうあがいても初老に差し掛かった今、
リュック一つで旅に出るのには、少し勇気がいる。
でもあれは50歳のころだったか。ニューヨークからの帰りの飛行機は疲れもあって、決して心地よいものではなかった。
私はこれからも10何時間も満席のエコノミーに押し込められての長旅はできるだろうか。ふと弱気になったそのとき、通路を通り過ぎた腰の曲がりかけた小さな女性の背中が見えた。物見遊山の旅という風体ではなかったけれど、おそらく飛行機に年齢制限なんてないのである。もちろん旅にも。
年齢とともに近くは見えなくなり、膝は痛くなり、できないことは増えていくにちがいないけれど、だから自由じゃないとはいえない。
自由をあきらめちゃいけない。
決めつけているのは自分なんだ。
最近、あるステージで“I Shall Be Released”を聴いて
あぁ、最期に聴きたいのはこの歌だと思った。
贅沢を言えば
メイヴィス・ステイプルズの歌う“The Weight”もお願いしたい。