【障害はどこにあるのか?】

僕が「視覚障害者です」と言ってるのは、
半分合っていて、半分違うような気がしています。
 
 
一応、国から「視覚障害」ということで
障害者手帳を発行されているので
公的な観点では間違ってはないでしょう。
 
しかし、よく考えてみてほしいのです。
裸眼で、視力0.1以下の人と
左目の視野はほぼなし、
右目は中心視野がない。
文字情報はわからない僕。
 
何が違うんでしょうか?
 
どちらも、見えにくいという点では同じです。
 
ちなみに細川家では裸眼だと
僕のほうが結構わかります笑
#准ちゃん0.01
#渚0.02
 
となると、極端に視力が低い人と
僕の違いはなにか?
 
それは
「眼鏡やコンタクトをつければ
視力を補完できるかどうか」
ということになります。
#補完
#欠けているものを補う
 
さらに一般化して言うなら
「テクノロジーや環境調整、身近な人の助けを借りれば、実生活で負荷が小さい状態か否か」
ということになります。
  
 
ここで最初の問に戻ってきますが
「障害」ってどこにあるんだと思いますか?
 
僕は、我が家の中では
正直「視覚障害者」ではありません。
なぜなら、僕は家庭という環境に
適応しているし、准ちゃんや渚が
手助けしてくれるからです。
 
 
しかし、外に出たら事情は違います。
知らないことやわからないことだらけ。
 
自分が見えてないことを
理解してくれてる人だけではない。
 
見えている前提で作られている
様々な仕掛け。
こうなると僕は立派な
「視覚障害者」となるわけです。
 
だから「障害」というのは
自分と外部環境との間にあり、
自分の性質と、外部環境との
相互作用の結果だと言えます。
 
だから「障害」に対して向き合うときは
1.自分はどんな性質があるのか知ること。
2.外部環境はどんな状態にあるかを知ること。
3.そこから生まれている相互作用を知ること。
一番効果的なアプローチは
4.「自己習慣の改善」と「外部環境の調整」を、トライアンドエラーで試して、確かめていくこと。
 
これが大事なんじゃないかなと
障害者と言われている存在は思います。
「障害」ってなんでしょうね。
僕は当事者になって
真剣に考えるようになりました。
なので、ここらへんは僕がやってくんで
みなさんもご自身の
「真剣に取り組みたいこと」
を任せました!
ともに相互作用を与えあいながら
わちゃわちゃ生きていきましょう。
 
それではまた。


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