自分の職業について考える
自分の職業について考える。
よく毎日がつまらないとか仕事が面白くないと考える人は自分がつまらないのではないかと以前書いた。
そのスパイラルを抜け出す方法は一歩進んだ考え方を身につけることである。
一皮剥けたとでもいうのかそんな人生観を持つ事である。
プライベートでもビジネスでも死ぬほどの苦労をする体験とか
よくインターネットの記事でも辛い病気の体験をして人生観が変わったとか毎日の日常で普通に生きていられる有り難さを感じるとか書かれている。
それは幼少期に死ぬ程の貧乏を経験したことを克服したとか借金で生活できなくなったことを克服したとか書かれている。
そのような人は人生観ができていて、何をしても、どこで働いていても、働く意義や生きる意義が感じられると思う。
また出世したいと野心がある人もギラギラと何からでも吸収してやろうとしているから働く意義、生きる意義を感じられるのかもしれない。
そこまで極端でなくても今なら物価高で生活が苦しいとかあると思う。
それなら仕事が与えられるだけ幸せ、仕事ができる自分に感謝するのではないか。
エリートと考えられている弁護士でも、いざ仕事となると人とのいざこざの解決は日常茶飯事で、いざこざはどこでも起きているから解決するのは本当に泥臭い仕事である。しかもいくら正論を言っても裁判に勝つかどうかはわからない。
かっこいい仕事なんかない。
どんな仕事でもどんな作業でも価値や意義を感じられる自分を作ることが大切である。
自分には毎日の単純作業が与えられたとする。
どこまで行ってもこの毎日の単純作業は変わらない義務である。
例えば営業で電話かけたり、飛び込み営業をして契約をとる。
家事も同じである、それらは変わらないやるべき仕事である。
それ以上というかそれを易々とこなして、その上に余分なものを身につける力が必要である。
他部署で行われていることとか会社としてどのように経営が運営されているのか他の営業マンがどのように契約を取っているのか、それらをどれくらい吸収しているのかでやりがい生きがいが生まれる。
他の人の性格とか欲望、悩み、何に苦しんでいるのか、幸せになるにはどのようにすれば良いのかを見抜ける力が身につく。
洞察力、観察力が高まる。
外を歩くだけでも興味深いし、外には仕事の機会がゴロゴロしている。
それらを持つと生きる意義、働く意義が身につくのではないか。
体験は尊い。しかしお金を払って陶芸の体験コースを受けるのではお金がかかってキリがない。
もっとしたことのない体験とかはそこらじゅうに無料で散らばっている。会社の他の部署のソフトを体験して見てみるとか、オンラインのセミナーを受けるとか仕事の体験だけでもウン十万件、ウン百万件の体験ができる。
これと必ずやらなければならないノルマとを上手く組み合わせる。
このバランスと舵取りの仕方が大切である。
不満を持たない方法は、上手くやろう、成功しよう、勝とう、ここを上手く切り抜けて、ここからは楽だとか、常に自分に語りかけて、意味を見つける、程よい緊張感を持って仕事をする。私はかなり強めの緊張感を持って毎日仕事をしている。そんな感じなので20年働いても30年働いても慣れる、マンネリといううことはない。