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美濃焼とは? ①歴史

「美濃焼」
みのやき。聞いたことはあるけど、どんな物か分からない。他の「やきもの」と区別がつかない…。そんな方のために、美濃焼の概要をお伝えします。

美濃焼はヤキモノ?陶磁器?

そもそも「やきもの」とは何を指すのかご存知ですか?
「やきもの」は大きく4つに分類されます。

 •土器(どき)…縄文土器、弥生土器の他、植木鉢などでも使われている
 •炻器(せっき)…朝ドラでも注目された信楽焼など
 •陶器(とうき)…古瀬戸、美濃焼、唐津焼、萩焼など
 •磁器(じき)…伊万里焼、姫谷焼、江戸後期の美濃焼など

炻器と陶器は区別されないこともありますが、それぞれ使用する原料や焼く温度に違いがあります。磁器は4種類のなかで最も固く、弾くと金属のような音がします。
美濃焼は「陶器の美濃焼」もあれば「磁器の美濃焼」もある「やきもの」なんです。



美濃焼のルーツは「瀬戸焼」

室町時代に登場した美濃焼。現在の愛知県瀬戸市で盛んだった「瀬戸焼」の陶工たちが山を超えて美濃(現在の多治見市や土岐市辺り)に流入したのが始まりだとされています。
なぜ陶工たちが美濃へやってきたのか。室町時代の戦乱を逃れるためだとされていますが、一説には瀬戸焼を気に入っていた織田信長の美濃進出に伴ない、陶工たちが美濃でも生産を展開し始めたのだとも言われています。
こうした瀬戸焼陶工たちの美濃への流入は「瀬戸山離散」と呼ばれます。

華やかな時代の象徴「美濃桃山陶」

瀬戸焼の陶工の流入を経て、東海地方の焼き物の中心地となった美濃。茶の湯の流行や華やかな桃山文化を取り入れた「美濃桃山陶」が誕生します。
「美濃桃山陶」とは、安土桃山末期から江戸初期の30年ほどの間に作られた茶の湯に使われる陶器のこと。器を意図的に歪ませるなどの特徴があり、登場した当時はかなりセンセーショナルな茶碗だったようです。



美濃桃山陶、黄金期の終わり

江戸幕府の権力が安定すると、美濃桃山陶は「奇抜な物」と見なされ使う人が減っていきます。また、①室町時代にやってきた瀬戸の陶工たちが尾張藩に呼び戻される、②出荷先である京都でもやきものが本格生産され始める、などして美濃桃山陶は下火に。黄金期が終わりを告げます。


奇抜な茶碗から、庶民の茶碗へ

需要が減ってしまった美濃焼。江戸中期になると、人口の多い江戸の庶民に向けた茶碗や皿を焼くようになります。江戸後期には磁器生産も開始。文化人御用達の茶の湯道具製造から、稼ぎを重視した製造に舵を切る、現実的な判断でした。

紆余曲折が一大産地の源に

こうした歴史は現在の美濃焼に大きな影響を与えました。華やかな桃山陶器から日常使いの磁器まで、現在の美濃焼は種類が豊富です。
食器の生産量は全国1位。和食器は総生産の約60%、洋食器は約50%のシェアを占めており、私たちが知らないところで実は美濃焼にお世話になっているかもしれません。

参考資料:
『図解 日本の焼き物』
『知識ゼロからのやきもの入門』
『NHK美の壺 織部焼』
岐阜新聞

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