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供託金の歴史と民主主義の理念の葛藤


1供託金制度とは?

 供託金制度とは、選挙に立候補する際に候補者が一定の金額を供託(供託所という機関にお金を預けること)し、得票数が一定の基準に達しなかった場合、その供託金が没収されるというものです。

 主な目的としては「真摯を欠き単に選挙の妨害をなすにすぎないおそれのある議員候補者の輩出を防止すること」、つまり、選挙の混乱を減らし、選挙が誠実かつ厳正に行われることとしています。[1]

 多くの候補者が立候補することで選挙が混乱するのを防ぐために、経済的なハードルを設けることで、資金力のない泡沫候補者(選挙の立候補に際して、当選を目指さず、自己宣伝のために選挙を利用する者や、公的資源を不正に利用して不当な利益を得る者を比喩的に表現したもの)の立候補を抑制します。[2]

 加えて、泡沫候補者の乱立による選挙公営(費用の一部を公費負担にすることにより個人の負担を抑え、候補者間で選挙運動の機会を平等にするために導入された制度)費用の増大を防止し、公平な選挙の実現といった見地から選挙公営が本来の趣旨で最大限活用されるべきであるという趣旨にも基づき、設けられているとされています。[3]

 このような選挙供託金制度は、公正で自由な選挙を実現するために導入された合理的な制度であり、その目的を達成するために適切な金額が設定されており、供託金の額にも合理性が認められるものだと総務省は表明しています。[4]

2供託金の目的

 東京都知事選における立候補者は、公職選挙法第92条により300万円の供託をすることが義務付けられており、第93条において有効投票の10分の1を得票できなかった場合は没収されることが定められています。没収された供託金は、東京都に帰属し(公職選挙法第93条、第94条)、一般会計の歳入となります。なお、得票できた場合には返還されます。

 しかし、供託金制度があっても、東京都知事選においては2016年には21人、2020年には22人、そして2024年には過去最多の56人と立候補者は年々増えています。供託制度の目的は「選挙の混乱を減らし、選挙が誠実かつ厳正に行われる」こととなっていますが、少なくともこの目的に照らして考えれば、56人も候補者がいては、有権者側の混乱が効果的に解消されている状況であるとは言えないでしょう。

 この問題を考える上で、そもそもなぜ供託金制度が成立したかについて考えてみる必要があります。

3. 民主主義の理念との葛藤

 さて、そもそも選挙を支える根拠の一つである民主主義の原則は、すべての市民が平等に政治に参加できる権利を持つことです。そして、被選挙権は基本的人権の一つとして擁立されてきた重要な権利です。

 しかし、供託金制度では高額な供託金が設定されることで経済的な障壁が生じ、資金力のない有権者が立候補できない状況を生み出します。選挙において多様な意見や立場が反映されることは、健全な民主主義にとって不可欠であるのに対し、政治に参加する権利が経済的な理由で制限されてしまえば、多様性を阻まれてしまうとの声もあります。

 日本の選挙供託制度は、1925年(大正14年)にいわゆる男子普通選挙制が実施された際に導入されたものです。この制度はイギリスの人民代表法(1918年)を参考に、「売名候補者や泡沫候補者の立候補を妨げ、選挙の混雑を減らし、選挙が誠実かつ厳正に行われること」を表向きの理由としています。しかし、実際には無産政党(労働者や貧農など無産階級の利益や意思を代表する政党。)の進出を抑制するためのものであったとの評価も存在します。[5]

 このような意図が隠れていた過去もあり、本制度は戦前から学界からの批判が続いています。

 議論のうち論点は大きく分けると二つあり、一つはこの制度が合憲であるか違憲であるか、そしてもう一つは本制度の効果性の評価です。

 まず、選挙供託金制度の合憲性に関しては記事の都合上割愛いたしますが、都道府県議会や国会議員立候補者を原告として複数回争われてきており、何度も裁判所は合憲であるとの判決を出してきています。[6]

次に、効果性の評価としても、この制度には様々な批判がなされてきました。

 たとえば、「当選可能性が低い」とされる候補者が立候補したとしても、落選後も、その人物や主張が有権者に理解され、将来的に当選する可能性はあります。選挙は地域の問題を議論する絶好の機会であり、選挙活動を通じて少数意見であっても自分の考えを広め、実現を図ることは、民主主義と地方自治の討議や熟議を促進し、その成熟と活性化に貢献することもあるでしょう。

 また、立候補者が「売名」を目的としている場合でも制限をかける必要はないとの声もあります。多くの政治家は本質的に何らかの形で自身の名前を広めようとするものであり、有権者はそれに応じて、様々な候補者の中から適任者を選ぶ権利を持ちます。そのため、「売名」を理由に立候補の自由を不当に制限し、有権者の選択肢を狭めるべきではないとの声もあります。[7]

 立候補者が「泡沫候補者」であるか否かは内心による極めて主観的な評価であるという点や、科学的に本制度と抑止効果の因果関係を検証するには供託金の増減以外の要因があまりにも多いため、立証することが不可能である点などが挙げられています。[8]

 加えて、日本の供託金制度は他の国と比べて特に高額であるとの声があります。アメリカやフランスなど、供託金を課していない国も多いのにもかかわらず、他国と比べても日本ではかなり高額な供託金を課している事が以下のグラフから読み取れます。

 しかし、制度は維持され、参議院選挙から地方選挙まで、日本のあらゆる選挙で供託金制度は活用され続けるに至っています。

4. 現状

 しかし、東京都知事選挙に関しては、今まで議論されてきた民主主義上の問題の葛藤ではなく、新たな問題が浮上していると指摘されています。

 2024年の東京都知事選挙では、史上最多である56人が立候補しています。今回の選挙では、本選挙ポスターの掲示が始まると同時に同一のポスターが多数貼られたり、選挙と無関係な内容が掲示されたことが物議を醸しています。

 それらについて、「(候補者と関連のない)不適切な画像が含まれているので、すぐに撤去すべきだ」という苦情や、「なぜ一つの掲示板に同じポスターが複数枚貼られているのか」という疑問の声が、都の選挙管理委員会に電話やメールで多数寄せられました。[9]

 このような「売名」行為とも受け取られかねない問題を抑制するために設置されたのが供託金制度でありましたが、立候補による知名度向上のメリットが300万円の価値を上回るようになっており、立法当初の目的を達成できているとは評価しがたい状況を産んでいるでしょう。

 専門家は、「以前は没収のリスクが高かったが、今は(立候補後の知名度向上により)インターネット収入で賄える可能性があり、制度が想定していない事態が起きている」と懸念を表明しています。[10]

 実際に19人もの候補者を擁立している政治団体である「NHKから国民を守る党」では、1口2万5000円の寄付と引き換えに、候補者に割り当てられた掲示板の枠を譲ると表明しています。寄付者は自分で作成したポスターを1カ所に24枚貼ることができ、これまでに約1050カ所分が「売却」されています。党首の立花孝志氏は報道の取材に対し、「都知事選は注目度が高く、宣伝効果は数千万円に匹敵する。300万円を支払う価値はある」と指摘しています。[11][12]

 現状、公選法によるポスター枠の「売却」等の利用について規制をする定めはありません。法政大学の白鳥浩教授は、ポスター内容は表現の自由の範囲内であるとしつつも、「選挙とビジネスは切り分けるべき」と指摘する声をあげています。[13]

 供託金制度が立法された当時には想定されていなかった問題が時代の変化とともに浮上し、供託金制度自体が抱えてきたさまざまな問題を表面化させていると評価できるでしょう。

 供託金を立候補の要件とすることで泡沫候補者を排除する効果が現状あまり見られておらず、同時に資金力がないが選挙に真剣に臨む意志を持つ者の立候補機会を奪っている可能性が十分あると評価できるいま、わたしたちはどう供託金のあり方と向き合ってゆけるのでしょうか?

 東京都知事選を通して、国民の持つ権利や民主主義的な政治の運営についての関心が上がっていくことを期待しています。

参考:公職選挙法

”公職選挙法 第九章 公職の候補者
(供託)
第九十二条 第八十六条第一項から第三項まで若しくは第八項又は第八十六条の四第一項、第二項、第五項、第六項若しくは第八項の規定により公職の候補者の届出をしようとするものは、公職の候補者一人につき、次の各号の区分による金額又はこれに相当する額面の国債証書(その権利の帰属が社債、株式等の振替に関する法律(平成十三年法律第七十五号)の規定による振替口座簿の記載又は記録により定まるものとされるものを含む。以下この条において同じ。)を供託しなければならない。
一 衆議院(小選挙区選出)議員の選挙 三百万円
二 参議院(選挙区選出)議員の選挙 三百万円
三 都道府県の議会の議員の選挙 六十万円
四 都道府県知事の選挙 三百万円
五 指定都市の議会の議員の選挙 五十万円
六 指定都市の長の選挙 二百四十万円
七 指定都市以外の市の議会の議員の選挙 三十万円
八 指定都市以外の市の長の選挙 百万円
九 町村の議会の議員の選挙 十五万円
十 町村長の選挙 五十万円
 第八十六条の二第一項の規定により届出をしようとする政党その他の政治団体は、選挙区ごとに、当該衆議院名簿の衆議院名簿登載者一人につき、六百万円(当該衆議院名簿登載者が当該衆議院比例代表選出議員の選挙と同時に行われる衆議院小選挙区選出議員の選挙における候補者(候補者となるべき者を含む。)である場合にあつては、三百万円)又はこれに相当する額面の国債証書を供託しなければならない。
 第八十六条の三第一項の規定により届出をしようとする政党その他の政治団体は、当該参議院名簿の参議院名簿登載者一人につき、六百万円又はこれに相当する額面の国債証書を供託しなければならない。

(公職の候補者に係る供託物の没収)
第九十三条 第八十六条第一項から第三項まで若しくは第八項又は第八十六条の四第一項、第二項、第五項、第六項若しくは第八項の規定により届出のあつた公職の候補者の得票数が、その選挙において、次の各号の区分による数に達しないときは、前条第一項の供託物は、衆議院(小選挙区選出)議員又は参議院(選挙区選出)議員の選挙にあつては国庫に、地方公共団体の議会の議員又は長の選挙にあつては当該地方公共団体に帰属する。
一 衆議院(小選挙区選出)議員の選挙 有効投票の総数の十分の一
二 参議院(選挙区選出)議員の選挙 通常選挙における当該選挙区内の議員の定数をもつて有効投票の総数を除して得た数の八分の一。ただし、選挙すべき議員の数が通常選挙における当該選挙区内の議員の定数を超える場合においては、その選挙すべき議員の数をもつて有効投票の総数を除して得た数の八分の一
三 地方公共団体の議会の議員の選挙 当該選挙区内の議員の定数(選挙区がないときは、議員の定数)をもつて有効投票の総数を除して得た数の十分の一
四 地方公共団体の長の選挙 有効投票の総数の十分の一
2 前項の規定は、同項に規定する公職の候補者の届出が取り下げられ、又は公職の候補者が当該候補者たることを辞した場合(第九十一条第一項又は第二項の規定に該当するに至つた場合を含む。)及び前項に規定する公職の候補者の届出が第八十六条第九項又は第八十六条の四第九項の規定により却下された場合に、準用する。

参考文献

[1]只野雅人「普通選挙と選挙供託金」(藤野美都子・佐藤信行編著『憲法理論の再構築―植 野妙実子先生古稀記念論文集』(敬文堂、2019年)228頁)参照、 内務省作成の立法理由書。

[2]日本弁護士連合会「国政選挙における選挙供託金制度について、供託金額の大幅 減額又は制度の廃止を含めた抜本的見直しを求める意見書」2022年,7頁https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/document/opinion/2022/221116_2.pdf

[3]総務省「選挙公営」
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo16.html

[4]同意見書,8頁

[5]「無産階級」,『デジタル大辞泉』小学館
https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E7%94%A3%E6%94%BF%E5%85%9A-140427

[6]早稲田大学 行政法研究部「選挙供託金制度の違憲性について ~東京地裁判決(2019年5月24日)の問題点~」
 https://katagi.w.waseda.jp/touben200702.pdf

[7]片木純 「選挙供託金制度の違憲性に関する意見書 ~ 東京地裁判決 (2019年5月24日)の問題点~2019年7月18日」9頁

[8]同意見書 11頁

[9]NHK「都知事選 選挙ポスターに苦情や疑問など1000件以上 異例の事態」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240621/k10014488551000.html

[10]毎日新聞「知名度アップは供託金以上の効果? 都知事選、50人以上が出馬か」
https://mainichi.jp/articles/20240618/k00/00m/010/159000c

[11]時事通信「掲示板ジャック」が物議 ポスター枠「売却」、問われる良識―「常識外れ」と有権者・都知事選
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024062700201&g=pol

[12]産経新聞 「東京都知事選は史上最多の戦いか 供託金没収、実効性乏しく 35人が事前審査」
https://www.sankei.com/article/20240610-2YXPY3FCBNMAZOD2UG5AOTHPXE/

[13]時事通信 同上

[14]青柳幸一「<研究ノート> 選挙における供託金制度の違憲性」, 1983, 4巻,139-145頁

[15]小倉一志「選挙供託制度に関する憲法上の問題点 ~被選挙権との関連で~」, 2010, 21巻2号

[16]三枝昌幸「選挙公営の起源と展開」2018, 法律論叢第90巻第6号

[17]産経新聞「東京都知事選は史上最多の戦いか 供託金没収、実効性乏しく 35人が事前審査」2024年
https://www.sankei.com/article/20240610-2YXPY3FCBNMAZOD2UG5AOTHPXE/


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