
「人より欠けている」んじゃなくて「欠けていることを持っている」。
もしも、生まれた時から
全員が裕福。親も健全、毒親なんていない。
みんな美男美女。みんな頭よくて、
みんなセンスもよくて
だれも色々間違えない。
全員が程よい距離感を保ち
コミュニケーションも毎回抜群。
誰も持病もない。いかなる時も大健康。
だったら?
それって楽しいのかな?
そこから生まれるものってあるのかな?
みんないかなる時も見える世界も同じ。
特に痛みはない。
痛みから学ぶこともない。
比べることもない。
争いは起きないのかもだから、
その点においてはいいのかもしれない。
現実の世界は、同じ人間だといっても
ほんとにたくさんの色んな人がいる。
その中でお互いが
人と比べて、足りないと感じるからこそ
欠けているものがあると認知する。
でも、ほんとに欠けているだけのことなのかな。
人より「欠けている」のではなく
「欠けていることを持っている」
ってことなんじゃないかな?
欠けていることから学ぶということは
辛いこともたくさんある。
もちろんきれいな思いばかりじゃない。
人は1人じゃないから、だったら
その「欠けていることを持っている」
人ができることをすればいい。
「欠けていない人」がどうがんばっても
できないこと。
でてくる負の感情もあるだろう
なんでこんな思いしないといけないんだろう
って、やっぱり持ってる人がうらやましいよって
どうやって歓びにかえるのよと
打ちのめされるくらい辛い重い思いがある
かもしれない。
「なりたい自分」に到底なれなくて
もがくこともある。ある。
でも、綺麗事じゃなくその痛み重さからしか
学べないこと、その先にキラキラしたその人だけのかけがえのない輝きに
次に繋げられることや生み出されるもの
がたくさんあって、
だから地球にとって🌏
皆んなにとってもその人は
必要なのかなって思う。
それは「欠けていること」の種を
手に入れている人でないと咲かせられない。
みんなその種の現れ方が
違っただけなのかなと。
結局は人は幸せに進んでいくために
生まれているから。
だから、いましんどいなら、
気持ちが腐っているなら
それでもいい。そんな時もある。
現実を生きていると
何を信じればいいかわからない時
だってある。
でもだけど
その現実を彷徨っている時ですら
必ずこの苦しみも
ちゃんと自分の「キラキラ」に行くまでの
過程なんだってこと。
自分の人生の根っこの部分を
とことん信じ切る。
これが自分を救うから。
と思ってわたしは生きています〜🧸🍪
長々とした文章をここまで
読んでくださり、感謝です。(*´꒳`*)🫧