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わたしは母が嫌いだった

この言葉って、ちょっと強いですよね。

これは言ってはいけない言葉な気がする。
私を産んで、育ててくれた母にこんなことを思うなんて、ひどい。
こんなことを、娘に思われている母を思うと苦しい。

だから私はいつも、
「うちの母は変わっている。」
「うちの母はちょっとおかしい。」
という言葉で誤魔化していました。

私が子供の時の母のことを思いだせと言われると、いつも台所の定位置の椅子に座って、機嫌悪そうにタバコを吸っている姿が1番最初に浮かびます。

一緒に遊んだ記憶はありません。
本を読んでもらった記憶はありません。
歌を歌ってもらった記憶はありません。
宿題を見てもらった記憶はありません。
抱きしめられた記憶はありません。
一緒に大笑いした記憶はありません。


ただ、母のご飯はおいしかった。
いつも帰りの遅い母の代わりに、夕飯を用意してくれていた祖母は料理が得意ではなく、レトルトやスーパーのお惣菜を出すことが多かったので、母の手料理は本当に大好きでした。

母の良いところ、、、
「料理がうまい」それしか思いつきません。
なんか悲しいですよね。

母と色々した記憶はないけれども、父が色々してくれた記憶はあるので、特に寂しいと感じたことはありませんでした。
それが当たり前だと思っていたのかもしれません。

中学1年生の時には、母の金銭問題で家族が崩壊しそうになりました。
その時はよく事情もわからず、泣いて「離婚しないでくれ」と父に頼んだのを覚えています。

高校生の時には私が思春期だったこともあり、不機嫌そうな顔をして、いつも苛々していて、ネガティブオーラを出している母と顔を合わせば喧嘩することが続いていました。

この人の性格無理。
なんで父はこんな人と結婚したんだ。
父は離婚すべきだった。

ずっと、ずっと、そう思っていました。


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そして23歳くらいの頃実家に住んでいた私は、1本の電話を取ります。

「ごめんね。」

母からでした。

この人、死ぬ気だ。

私は父と姉、警察に電話してパニックに陥ります。
警察は全く相手にもしてくれませんでした。

どうしていいか分からず、家で父の帰りを待っていると、突然物音がしました。
母が何かを取りにもどってきたのです。

私に見つかり、逃げる母。
車に飛び乗った母を止めようと、私は運転座席のドアに手をかけたのに、母は車をすごい音を立てて急発進させ、私は引きずられそうになり、手を離すことしかできませんでした。

悲しみと怒りに震え、すぐに自分の車を出して、母を追いかけます。
父と姉と携帯で連絡を取って、協力して母を追いつめました。
こんなことで家族協力するなんて、悲しいですよね。

そして最後はアクション映画の一場面のように、キーーーッと、父が車で横から追い詰めて母の車を停車させました。

何を言っても車のドアを開けようとしない母。
車から工具を取り、振りかざして窓ガラスを割ろうとする父。

地獄絵図でした。


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母はまた借金を膨らませて、もうどうにもこうにも行かなくなったのでしょう。予想はついていました。
家に帰ってから、全てを話してもらわないと困ると言って説得し、どうして、どこにいくら借金があるのかを言わせました。その時に母が本当のことを全部言ったかどうかは、正直今でもわかりませんが、私たちは家族で母の借金を返すことを決め、母が二度と消費者金融などからお金を借りられないように、手続きをしました。

父が用意してくれたお金に、私も自分の貯金をおろして足し、母を連れて消費者金融の事務所にお金を返しに行ったことをよく覚えています。
そして対応してくれた人は悪くないのに、

「もうこれで全部ですよね。二度とうちに勧誘の電話などかけてこないでください。」

私はかなり強い口調で言い捨てて、一言も話さない母を連れて帰りました。



うっわ〜!!

話くらっ!!

すみません。こんな暗い話になって。
私、今思い返すと結構嫌な思いをしました。

私もこんな経験したくなかったんですよ。
なんでよーーー!!って思うけど、自分でコントロールできることではなかったから仕方ないですよね。
よく乗り越えたな。とほほ。

それからはこのようなことは二度とありませんが、やはり母への不信感は脱ぎ捨てられず。
普通に母には接していたつもりでしたが、心の中ではよく、

なんだよ、こいつ。

って、思っていました。


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月日は経って、私は結婚し、母になります。
もちろん結婚した時も、私が母になった時も、母は泣いて喜んでくれました。
子供達を連れて日本に帰省する際は、大喜びして、美味しいご飯を作ってくれ、洗濯も掃除も全部やってくれて感謝しかなかったです。

しかし、母が笑顔なのは1週間くらいかな。

滞在が長くなればなるほど、どんどん昔の母を思い出す態度が出てきて、大喧嘩。
もちろん私が悪いこともたくさんあったと思うけれども、

こんな家に、もう帰ってくるもんか。

母の態度で毎回毎回そう思っていました。
そうは思っても、結局空港で別れる時は、いい思い出だけを持って、涙を流して、「またくるよー!」って、イギリスに毎回戻るパターンが続いていました。(3歩歩くと忘れるタイプw)


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そして2年前、父と母にイギリスに遊びにきてくれるようにお願いをしました。
8年前に1度来てもらったことがあったのですが、その時は夫の両親と同居していたので、初めて私たちの家に招待する形となったのです。

しかも6週間!!!

娘達は大喜びですけど、私は喜びと不安の半分半分でした。
だって、母とずっと一緒ですよ。
どこでまた大喧嘩するのか。
絶縁する可能性もある。
色々悪いことも考えました。

しかぁぁし!!!

何もなかったんです。
喧嘩を1度もしなかったんです。
母に対して、イラつくこともなかったんです。
全く想像していなかったこと。それは、、、

母ずっと笑顔で、いつも喜んでいました。

なんでか?

母はご飯を作る、洗濯、掃除をする必要もない。仕事もない。

ゆっくりする時間が持てたのです。

もちろん母は、洗濯物を畳んだり、掃除機をかけてくれたり、いつもすごくいいタイミングでいい助っ人になってくれていました。
一緒に色々やったので、自然に会話も生まれました。
お互いがお互いに感謝しているので、「ありがとう。ありがとう。」を私達は言いまくっていました。

そして衝撃の事実を知ります。

母が本を読んでる。

生まれて初めて見たのです。
母が本を読んでいる姿を。
何冊も、何冊も私の本を読みまくっていました。
時には声をあげて笑いながら読んでいました。

母は本が好きだった。
「昔はいっぱい読んでたんだよ。」

本当に知りませんでした。知らないどころか、母がちゃんと字を読めることにびっくりしました。
ちゃんと教育を受けてない人だと勝手に思っていましたし、今まで料理以外のことを母に聞くことはありませんでした。

私が母のこと何も知らなかったことに衝撃を受けましたが、

母は大好きな本を読む余裕さえなかった。

という事実を知り、とても辛くなりました。
母は鹿児島出身で東京で父に出会い結婚し、新潟に住みました。
新潟で友達もそんなにいなかったと思います。
今みたいにインターネットもなかったし、携帯電話もない時代だから故郷の友達と連絡を取ることはほとんどなかったでしょう。
ちゃんと悩みなどを話せる人なんていなかったと思います。
父に話せばよかったのに。。。と、思いますが、できなかったのかな。
働いて、家事して、、、本も読む余裕もない。

それは笑えないですよね。
いつも苛々しちゃいますよね。
子供と関わる余裕ないですよね。
借金もしちゃうよね。(しないで欲しかった。)

今まで「なんだこいつ。」って思っていたのが、

母はずっとずっと辛かったんだ。

って、気持ちに変わりました。

そしてさらにこの気持ちは強くなります。

私は母のようになりたくない。
絶対なりたくない。

娘達に私のような思いをして欲しくない。
「母が嫌いだった」なんてそんな辛い言葉を、娘達に言って欲しくない。

だから私はできるだけ子供と関わりたいし、できるだけ子育てを楽しみたいし、できるだけ笑顔でいたいと思っています。

とは考えているものの、余裕がなくなってイライラして、鬼になっていることなんて、たぁぁぁぁくさんあります。

だけど私は困ったり、悩んだり、ストレスが溜まった時に、話を聞いてくれるお友達がいますし、吐き出せば自分が楽になることも知っています。

どんなにいい夫、義両親に恵まれていても、この異国の地イギリスで、家族以外の他の繋がりを持つことで、心に余裕ができたり、気持ちが上がったり、笑顔でいれることが多くなることも知りました。
移住してきたときは、友達もいなく泣きまくってましたからね。

私が「海外で子育てをしている人達に、楽しく日本語に触れながら、ママやパパが交流の持てる場所」オンライン日本語プレーグループ『にこにこ会』を立ち上げたり、『ポジティブ子育てアドバイザー』として活動し始めた理由は、

私の母のような笑顔のないママを1人でも減らしたいから。
私のように母に嫌悪感を持つ子供を1人でも減らしたいから。
ママの笑顔で笑顔になる子供達を増やしたいから。
そして私も楽しいから。


と、先日自分の過去を改めて振り返って確信しました。
嫌な過去ではあるけれども、今の自分の行動と繋がっていることに気づき、とてもスッキリしました。

母のことは恥ずかしくて、こんなに詳しい事までは夫以外には話したこはありませんでした。
ここで文章にしてさらにスッキリしました。
(ここまで読んでくれた方ありがとう。)

もう私には隠すことがない。
パンツ脱ぎすぎちゃったよね。(笑)

こんな私でも、大好きと言ってくれてる夫と娘達がいるから、なんでもチャレンジできるのかな。感謝、感謝だよ、ほんとに。

私の辛い過去はプラスに変えていく!!
できるだけ笑顔で!!
できるだけ子育てを楽しんで!!
突っ走るんだーーーー!!←迷惑かけたらごめんなさい
えいえいおーー!!←意味不明

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こんな私の長い話を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。



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