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vol.6 見えているもの

売り場に立っている時だった。
スーツのお尻のポケットに入れてある携帯電話がバイブしている。
電話の表示画面を見ると〝社長〟と言う文字がスクロールしていた。
最近の動向からか嫌な予感が頭を過ぎったが、無視する訳にもいかず電話に出た。
開口一番、

「明後日からの仙台、名古屋の初出店の方に行ってもらえる?」

社長は、有無も言わさぬ声色で用件だけを伝えてきた。

また~⁉︎

予感的中…
最近、頻繁に起こるスケジュール変更に嫌気がさしていた私は、年末の出来事も重なり正直辟易とした。
眉間に皺を寄せながら目を瞑り、携帯を耳から遠ざけ一呼吸した後、

「かしこまりました」

気持ちを悟られないよう声のトーンに気を付けながら返事をした。このような時、自分の考えや思いを伝えたところでどうにかなる訳ではない。
それが分かっていたからだ。

入社当時からずっと、百貨店事業部のスタッフのスケジュール管理は私が行っていた。
管理と言ってもその部は私を含め3名しかおらず、数年の時を経てその倍の6名になったが数名のスケジュールを管理することはそれ程難しいことではなかった。
しかし一年前、会社は事業内容を小売業に一本化することを決めた。
百貨店事業部を会社の基盤へと変更したのだ。
それに伴い事業拡大の為、取り組み先の百貨店や営業スタッフを一気に増やした。
10名近くに増えた社員のスケジュール管理を片手間で出来るものではないと、それからは社長が全体のスケジュールを管理するようになったのだった。
それまで全体の売上管理をしていた副社長は、現場に出つつ、百貨店へ出店する為の営業の仕事がメインとなっていった。
事業拡大と同時に課長から部長へと昇格した私は、副社長の抱えていた仕事がスライドされ全体の数字を管理することとなった。
その主な仕事は、会社から落とされる目標値に合わせて、各開催店舗に数字を分配し、月末までにその数字をクリアすること。
新入社員の教育も含め、全営業スタッフに企画の立て方や準備の仕方を教えながら、その目標額をクリアする為の打ち合わせや確認が毎日続く。
私はその当時、会社の基幹店である百貨店を6店舗担当しており、この頃、年末の社を挙げて行う大掛かりなプロジェクト以外は、その店舗の企画や準備も行なっていた。
日中は現場に出て販売をする。
店が閉店すると、夜にはその日売上が上がらなかった店舗の営業担当スタッフに状況確認の連絡を入れ内容を精査し、やれていない事を探し出し修正を行う。
毎日を追われるように過ごしながら懸命に足掻くが、数字は見る見るうちにショートしていく。
自分の現場以外の数字が目標値まで到底追いつかないのだ。それを見て、頭を抱える日々が続く。
落とした数字を自分の担当店舗に上乗せし、企画を膨らませ準備を追加し、現場で必死に数字を追う。
抱えている店舗の顧客様方のおかげでその数字が作れている事だけが唯一の救いで、今考えるとまるで奇跡のようだった。
何故ならその頃、私が担当している店舗だけで会社の欲する目標額の半分を作れていたからだ。


私は、閉店後にその日数字か上がらなかった営業スタッフに電話を掛けることがとても嫌いだった。
怪訝そうに電話に出るスタッフ、おべんちゃらだけは上手で話半分しか聞いていないような態度をとるスタッフ、電話を掛ける度、その中の誰一人の心にも触れていない事をヒシヒシと感じていた。それに対し、とても虚しい感情を抱いていたのだ。
新入社員を面接していた社長は、好んで経験者を採用した。宝石に携わって来た営業マンは大概が中年の男性で私よりも年上。宝石店のマネージャーをしていた人、卸業者だが展示会で売場に立ち販売スタッフの管理をしていた人、根っからの営業マン、そんな強者だらけだった。
年下で、しかも女性の上司。
反磁石のように反発し合うような空気が堪らなく苦しく、息苦しさまで感じるようになっていた。

そんな中、私は一つの打開策を見つけた。

自分の入る現場の数字に予め予算を多く見積もり、一緒に入る販売スタッフの販売教育を行い、数字を積み上げると言う作戦だった。
自身の販売力を武器に、同じ境遇の販売スタッフに力技を見せつけて奮起させた方が、聞いているか聞いていないか分からないような営業スタッフに、販売の仕方を教えるより効率が良いと思ったからだ。
販売スタッフは全て女性。
年の離れた強者達というのは営業スタッフと変わりはしないが、私も同じ女性であることから、共感を生み出すにはこちらの方が近道だと考えたのだ。
スケジュールでは、小さな規模の開催には営業スタッフ一名と販売スタッフが一名入るように配置され、売上規模によって販売スタッフの人数が多くなるように設定してあった。
例えどんなに準備が整っていても、現場に入る営業スタッフが内容を理解しておらず、その上販売力が無ければ、一緒に入る販売スタッフの販売力だけで売上を立てていると言う事になる。
企画や準備に関して営業スタッフと会話を続けて来た結果、営業スタッフの販売に期待するよりも、企画の内容が理解出来れば、既に力を持っている販売スタッフの販売力を上げることの方が売上が上がる可能性が高い。そう、思ったのだ。
しかし、一つ問題があった。
全国から集められる宝石販売専門スタッフは社員ではない為、会社の理念や理想を唱えたところで共感してもらえることはない。
唯一、同じ意識になれるのは〝数字〟と言う着地点だけだ。
けれどもこの目的意識は、個人レベルに落ちると環境や人のせいに出来るので逃げ道はいくらでも作ることができる。
これを作らせない為には、自らが実績を作ることで同じ方向に向かって走る道を開くことだった。
その力(販売力)を目の当たりにすることで、販売スタッフの逃げ道はなくなる。
だからこそ、自分がトップセールスである事に拘ったのだった。

そんな中、ころころと変わるスケジュール。

自分が入る予定の開催場所は綿密な準備を行っている為、数字のシュミレーションが出来ていた。
直前で変更されることは、描いているシナリオが狂ってしまい売上の予測が変わってしまう。
しかも、他の場所に変更をされるとその店舗を一から見直ししなくてはならない。
それが開催日目前ともなると、見直したところで現場で出来る事などはたかが知れている。
準備が整っていなければ、己れの販売力だけを頼りにサバイバルとも言える闘いに挑む以外の方法がない為、数字の予測など立つわけもない。
しかも、指示された店舗は新規とは言え、小規模な開催で目標額も大きくはない。

全体数が足りなくなっちゃうじゃん…

自分が編み出した作戦とは逆行するようなスケジュールを行なってくる社長。
私は社長の考えていることが全く理解出来ず、恨めしい気持ちまで生まれていたのだった。


行くことを変えられないのであれば、その開催の数字はしっかり作らなければならない。
一つ、一つの開催が数字を落とさないことが本来ならばセオリーなのだから…
それを営業スタッフに伝えている私は、数字を落とす訳にはいかなかった。

電話を切った後、名古屋の店舗の担当をしている営業スタッフに連絡を入れた。

どうか万全の準備をしていますように…

祈るような気持ちで内容を聞いた。
小手先でやり過ごしたような準備を、あたかも大仕事をしたような口調で喋るスタッフ。
怪しい雲行きが近づいてきて、現場での苦しい闘いが確定した途端、目の前が真っ暗になった私はがっくりと項垂れた。
初出店にも関わらずありきたりの準備しかなさられていなかったのだ。

最悪なんだけど…

準備が整っていない事、現場で苦しい闘いを強いられた事に苛立ちを隠せない。
たとえ目標額が少なくとも、準備が出来ていなければ簡単に作れる数字ではないのが分かっているからだ。
うんざりとする気持ちを抑えながら電話を切った。脳裏にはまた社長の顔が浮かんで来た…


名古屋では想像以上に苦戦を強いられた。
初出店にも関わらず、初日は低単価の商品一本が売れただけ。二日目も同じだった。
慌てて準備したサービス品を販売するのが精一杯の状況が続く。

三日目…
店に入ると一緒に入っている販売スタッフが、

「今日は売れますよ!朝、熱田神宮にお参り行って来たの!勝利の神様だから、ご利益絶対あると思うんで頑張りましょ!」

と、目の覚めるくらいの元気な口調でそう言った。この時、私が少しでも心豊かな人間であったならば、〝朝早くからそんなことを思いながら参拝し、仕事に出るなんてなんて素晴らしい人だろう…有難いなぁ〟と思えたかもしれない。
でも、その時の私は違った。

神頼みで数字が作れるんなら
誰も苦労しないって言うの!
そんなことより、もっとお客様に声かけて
仕事して欲しいわ…

心の中でそうぼやき、

「そうなんですか?朝早くからありがとうございます。頑張りましょうね。ところで○○さん、今日は何をおすすめされますか?このままだと全体数が足りないので、○○さんの日々の数字がとても重要になってくるんですが…」

心にもない感謝の気持ちを伝え、二日間1本も販売出来ていないスタッフに対し、数字が作れないことへの苛立ちを個人の責任に転嫁してプレッシャーをかけたのだった。
すると、それまで一本も売れなかったスタッフが午前中にサービス品を販売した。
ここで売ってくるのがスーパーセーラー達の凄いところだ。彼女達はそれだけの力を持っているのだ。それを引き出せるかどうかはマネージメントしている側の問題である。
けれどもこの当時の私はマネージメントとは何かを理解しておらず、強引に型にはめる事が目的地への近道だと信じて疑わなかった。


3時少し前…
そろそろ販売スタッフに休憩に行ってもらおうかと思っていた時のことだった。
初めは自分の身体の感覚がおかしくなったのかと思うくらいの程度だった。
驚いて周りを見ると、

「部長、地震、地震‼︎」 

販売スタッフがこちらを見て叫んでいる。

ん?

何をそんなに…と、思った途端、立っていられないくらいに館が左右に大きく揺れた。
一度、二度、三度目の揺れを感じた時、

「○○さん!座って!座って‼︎」

口が勝手に動き、大きな声を出していた。
その揺れは左右に7、8回続き止まった。
5メートルほど離れた場所で身を庇うように座り込んでいた二人は顔を見合わせ、目を見開いたまま動かない。
やっと身体が動かせるようになり、

「こんなに大きく揺れる事ってあります?」

販売スタッフに向かって私が言うと、

「これ、違うところが震源地なんじゃないですか?東京とか…」

えっ⁉︎

それを聞いて私の心臓は大きく跳ね上がり、バクバクと音を奏で出した。
彼女は北海道から来ているスタッフだった為、九州出身の私よりもはるかに多く地震の揺れを体感しているようで直感でそう思ったようだ。
すると、その言葉を追うように館内放送が鳴った。

「ただ今の揺れは東京方面で発生した地震によるものと思われます。詳しい情報は分かり次第お伝えさせていただきますが、館内はただ今安全確認がとれておりますので、皆様落ち着いてご行動お願い申し上げます。尚、ご気分の優れないお客様がおられましたらご遠慮なくお近くのスタッフにお声掛けくださいませ。また、余震が考えられますので館内スタッフは充分に安全確認をした上でお客様のご誘導をお願い致します」

東京が⁉︎

その放送が耳に届いた途端、全身が震えた。
それと同時に心臓も小刻みに震え出した。
私はあまりの寒さに堪えかね、自分の身体を両腕で包み込んだ…
我に返り、慌てて会社に電話をかける。
繋がらない…

社長に電話をかける。
繋がらない…

副社長に電話をかける。
繋がらない…

神奈川、金沢、新潟、山形、東京に近い場所にいる営業スタッフから順に電話を掛ける。
繋がらない…

すると折り返し電話が鳴った。
神奈川にいるスタッフだ。

「地震大丈夫ですか?怪我とかしてませんか?」

私が尋ねると、

「僕と販売員さんは大丈夫です。でも店の床に亀裂が入ってコンクリートが15センチくらい下に沈んで、床が抜けるんじゃないかと思って慌てて非常階段に避難したんです。すみません。宝石どころじゃなくて、商品置いて来ちゃってます。取って来た方が良いですか?」

日頃からおべんちゃらが上手なスタッフだ。
普段は自分にとって利益になる事であれば、独自の判断で勝手に何でもやってしまうのに、こう言う時のリスクヘッジには抜かりがない。
大変な状況にいるスタッフを気遣うどころか、そんな思いが一瞬脳裏に浮かんだ。
が、身体の方が即座に反応し、直ぐに現実に引き戻された。

「商品は落ち着いてからで大丈夫です。とにかくご自身と販売員さんの安全を確保してください。顧客様とかご来店されていませんでしたか?もし、お客様がいらっしゃったら百貨店の方のお手伝いなどもしてあげてください。ただ、無理はしないでくださいね」

私が言うと、

「かしこまりました!安全第一で務めさせていただきます‼︎いやぁ~死ぬかと思った。ほんと死ぬかと思った…」

話している最中に電話が切れた。
その後すぐに15センチ沈んだ床の写真が送られてきた。よく分からない行動ではあったが、無事なことが確認できひとまず安心したが、他の状況が全く分からない。気持ちだけが焦り何度も何度も電話をかけまくる。
あの時、誰もがそんな気持ちで携帯を握りしめていたのではないだろうか…

地震から1時間くらいが経過した。
握りしめていた携帯が鳴った。社長だ。
私はワンコールで電話に出た。
この時ほど、社長からの連絡を待っていたことはない。

「名古屋、揺れた?東京はね〜、めちゃめちゃ揺れたよ。でも、会社も机の上の物が散乱したくらいで内勤も皆んな無事だから安心して。工場の人達も大丈夫だから。宮城が震源地なんだって。仙台の○○くんが心配だったけど、都心は大丈夫だったみたいで連絡ついたから…同時開催がバカラ展だったみたいで棚からバカラ落ちちゃって全滅だって。他の営業も皆んな連絡ついたから大丈夫だからね。北海道にいる副社長なんかさぁ、携帯繋がらないからって公衆電話から掛けて来て、水が電話ボックスに入って来たーとか騒いでんの。早く切れって言ってるのにさぁ、まだ喋ってんだもん。何やってんだか…」

いつもより饒舌な社長。
恐らく、私の不安を拭う為に明るく努めてくれているのだろう。
この時の私達は、現実とは思えないほどの災害が三陸沖で起こっていることをまだ知らなかった。

「そうですか。神奈川の○○さんとは連絡が取れまして、百貨店の床が沈んだって騒いでいましたが安全は確認できました。商品のことを気にしていましたが、落ち着いてから管理するよう伝えました」

先程の電話の内容を報告すると、

「鍵さえかけてれば問題ないから…○○さん、大袈裟だからねー。今日はどっこも営業にならないだろうね。まぁ、とにかく全員無事で良かった。また連絡するねー」

そう言うと社長は電話を切った。
全員の安否が確認でき安心出来るのかと思ったが、私の震えは止まらなかった。
胸騒ぎが鎮まらない…
結局、その日は全く営業にならず店が閉店すると泊まっているホテルへ足早に戻った。
地震の情報を得ようとテレビをつけた。
寒さに耐えかね、布団を肩から掛けてうずくまった。
携帯を見るとメールが数件入っていた。
九州の友達や販売スタッフ、親しくさせてもらっている作家、様々な人が私の安否を心配して送ってくれたメールだった。
メールに返信をしているとテレビから効果音が鳴り、テロップが入った。

〝津波にのまれたと思われる3000人のご遺体が仙台市の川の河川敷に打ち上げられる〟

アナウンサーがそのテロップと同時に詳しい内容を読み上げ始めた。

「ただ今、仙台市の川の河川敷に津波にのまれたと思われるご遺体が打ち上げられました。その数3000名以上。宮城沖ではまだ多くの方々が津波にのまれたと思われ、これから更にお亡くなりになられた方が増えていく……」

アナウンサーの声を聞きながら、その数の多さと甚大な被害に戦慄が走り、持っていた布団の両端を更に手繰り寄せた。部屋が暗い…
電気をつけるのを忘れていた。
震える身体を抱き抱えていると、急に無性に何かを口にしなければならないような感情に囚われた。そう言えば、ご飯を食べていなかった。
けれども、お腹は空いていないようだ。
頭の後ろの方から自分の声が聞こえる。
もう一人の自分がそこにいるようで〝食べて、食べて〟と言っている。
私は、生まれて初めて〝死の恐怖〟を近くに感じた…

その夜、震える身体は治まることを知らなかった。結局、一睡も出来ずに朝を迎え出勤した。
昨日のことが嘘のように店は通常通り開店した。ただし、お客様は来なかった。
目を瞑ると津波が全てを飲み込んでいく光景ばかりが脳裏に浮かび、宙に浮いたような状態で売り場に立っていた。
結局、5日間の開催だった名古屋の初出店は、初日から3本売れたサービス品の売上だけで幕を閉じた。

そして私は、街明かりが見えなくなった東京へと戻ったのだった…



〜続く〜


百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!